見出し画像

「京の都に時を越えて」第11話〘この世界の記念に〙

 そういえば、いままで授業をさぼったことってなかったな。どんなにつまんなくても。
 19歳になった朝。手鏡を見ながら、紬は念入りに髪をとかす。

「衣谷さーん、お届けものです」
 お昼前、インターホンが鳴った。彼がプレゼントを持ってくる時の口癖と共に。

「わあ! すごい!」
「三年後の三月に、着てくれる?」
 リボンをほどいた箱のなかに入っていたのは、着物と袴だった。
「必ず、生きて卒業するよ」
 淡い桃色の着物、きりりとした紺色の袴。
紬はそれを自分の前に合わせて、奏向に見せる。
「おお! 似合う!」
 カードサイズのスマホレンズが、向けられる。

「紬といつでも話せたらな」
 奏向は、5センチもないホーム画面をじっと見つめた。
 この世界じゃ、ただのカメラだ。
 寂しそうにつぶやく。

「……そういえば、奏向君の誕生日って聞いてなかったよね」
「8月1日」
「そうだったんだ……夏休み、実家帰んなきゃ良かった」
「未来では、一緒祝ってくれる?」
「今年の分も、めいっぱい」
 紬は、奏向のそばから、解像度の高いその画面をのぞきこむ。インカメが起動された。いつもと違う表情の二人が写る。

 3年後の卒業式に着る服を、今持ってきてくれるという意味。

 来年も、再来年も、多分15年後まで、こうして二人で過ごす誕生日はもう来ない。

 久しぶりに奏向が、食事をフードプロから出してくれた。
 ケーキの上に灯っている、19本のろうそく。
「紬、どこに行きたい? 今日の記念に」
「うーん……京都タワー、かな」


 秋の高い空が、青々としている。バス停には、その時誰もいなかった。
「奏向君」
「うん」
「前言ってたよね。私が未来に行かないほうがいいって。どうして?」

 一瞬の沈黙。今出川通の騒がしいエンジン音が、ただ耳に入ってくる。

 奏向の横顔は、空を見上げながら深く息を吸った。
「15年後にはまだ、生きてる紬は存在してないからね」
「……今の私と、かぶらなくていいんじゃない? むしろ」
「未来には、3歳のオレも存在してない。ほんとに紬と一対一の世界になっちゃうな」

 二人の間に今まで張られていた、透明な膜。喉仏のあたりで、なんとかとどまっている。
 奏向の言えない言葉が、紬の口から出た。

「……私を、未来に連れていってもらえないかな。今日だけでも」

 切れ長の目が、ゆっくり静かに紬を見る。
「いいよ」
 小さな手を、大きな手が包む。
「予定変更だな」

 そのとき、背後から声がした。

「時任奏向君」

 奏向の肩に、男性の手がかけられている。紬が振り向くと、微光沢のスーツを着た男性が立っていた。

「この前、君に警告したのだが」
 警察のような、厳しい顔立ちの男性だった。奏向の顔が青ざめている。
「今日は、特別な日なんです」
「過去の世界で頻繁に同じ人に会わないというルール、君はボーダーラインを越えてきている」
「この日を二人で過ごすことが出来たら……もう、会いません」
「……!」
 奏向は紬の手を強く握った。

 微光沢スーツは眉根を寄せて、ため息をついた。
「君に、真剣に教育しなければならないな。私と一緒に帰ってもらおうか」
「今日だけは、嫌です」
「何」
 奏向は、肩の上にある男性の手を払った。

「走るぞ!」
 その声と同時に、紬は奏向に引っ張られた。そのまま東に向かって走る。
「待て!」
 足音が後ろから追いかけてくる。
 奏向は紬の手をつかんだまま走り、細い小路に入った。碁盤の目を縦横無尽に、マニアックな道を駆けていく。
 ああ、さすが、西陣出身。心臓が破れそうになりながら、紬はおかしな部分に感心していた。

「行くぞ!」
「!」
 一瞬、不思議な空気の歪みに、紬の意識が入り込んだ。

「……ここは?」
「京都駅」
 15年後の。
 奏向が付け加えた。紬は肩で息継ぎしながら、上をあおぐ。
 見覚えがある。
 けれど万倍光を放つ京都タワーが、そこにあった。夕日の中に放たれる、きらめき。

 二人はしばらく荒い息をついた。奏向はスマホを出して、画面を見る。
「大丈夫。夕方だけど、紬の誕生日のままだ」

 酸っぱい胃液を飲み込みながら、あらためて、紬は目の前の光景を眺めた。
 タイヤのない反重力車が飛び交う。浮いている流線道路もある。駅に向かっていく微光沢な服の人々。
「駅って、この時代も使ってるの?」
「反重力列車、走ってる。反重力車よりまた速い」
「すごいね……」
 その反重力列車よりまた速い瞬間移動を、毎日してきてくれていた奏向。

 心臓の音がおさまって来た頃、二人はやっと互いに目を見て会話ができるようになった。
「時空移動監視警察も、今日は本気の捕獲じゃなかったみたいだ」
「あれが、時空移動監視警察」
「オレを逮捕する気なら、あれこれテクノロジーを使うだろうから」
「捕まったら、どうなるの?」
「はじめは警告、次は教育、その後は委員からの監視。それでも繰り返す人は拘束される」
「そんな……」
「監視付きや拘束はツラいよね」

 もの珍しいはずの光景も、紬の視界に入ってこなくなった。
「もう、ほんとに会えないんだ。15年後まで」
「手紙とかなら、少しは持って行けるよ。監視が付かなければ、だけど」
「会う、ってことが良くないんだ……」
「……うん」
 奏向は額の汗を手でぬぐった。
「展望台、一緒見ようか」
 外から見上げるタワーが、朱色に耀いている。 

 エレベーターが昇った先の、観光客はまばらだった。
「あ、東寺のシルエットは、変わらないね」
「京都の建物は保存されてるから」
「あれは、清水寺かな」
 360度ぐるりと、夕焼けの京の街。

 ひとまわりしてから、奏向は指さした。
「紬のマンションとオレの実家、あっちのほうだよ」
 西陣のほうをむいて、ガラス窓の前に立つ。紬もそのそばに立った。
 夕日を受けながら、街のネオンも増えていく。
「これが、こっちの世の夜景になっていくんだね」
 上から降りてくる茜、下から昇ってくる街の灯り。京都まるごとが舞台のように、紬には思えた。

「今まであえて、紬と夜一緒いないようにしてた」
 夕日の前で、夜空を想う奏向の横顔。シャツの襟元には、つむぎ貼りのペンダントがあった。 
 長い指が、ガラス窓にそっと乗る。
「この世界で、同い年でいられる今日。記念に見ておこう。夜景が始まっていく姿を」
 うん。
 紬も、ガラス窓に指をあてた。
 夕日が赤を増していく。ネオンも刻一刻輝いていく。

「もう、今の紬とは会えなくなる」
「…………」
「それでも、君が耐えきれないほどオレに会いたいと願った時は、必ず君のもとに行く。たとえ警察から罰が下ったとしても」
「!」
 紬の頬に、思わず涙がつたった。
 周りに観光客がいても、止めることができない。奏向は並んだ紬の肩を、自分のもとに寄せた。
「あ」
 また時空が、一瞬歪んだ。

 西陣らしき町に降り立った。
 反重力列車用の透明チューブが、上空にある。それでも、どこか変わらない今出川通り。 
 車でいつも混んでいる大路は、ここでも相変わらず反重力車で混んでいた。

 連れられて、夕暮れの小路を歩く。
 見覚えある、時任の表札。木目の落ち着いた壁。
「ここ、秋実の家」
「うん。オレの家でもあるけど」
 家には灯りがついていない。駐車場に車もない。
 奏向はカプセルからカギを取り出す。

 たたきには、一足もくつが出ていなかった。
「おじゃまします……誰もいないのかな」
 奏向がスリッパを出してくれる。
「秋実叔母さんは結婚して、他の家にいるよ。あと、うちの親は仕事で他県に引っ越してる」
「あのハジけた妹さんは?」
「ああ、玲香も一緒に引っ越してるよ。まだあれで14歳だからね。親とは離れられないだろ」
「ブラコンだから、かぎつけて今ここにすっ飛んでくるんじゃない? うちにそんな女入れるなー、とか?」
 フフ、と奏向は笑った。
「ああ大丈夫。オレの恋を邪魔したら、好きな男子にお前の秘密バラすっておどしたら、真っ青になってた」
 派手な玲香があわてている顔を想像して、紬も思わずクスと声がもれた。
「京都でも仕事してるの、オレだけだからね。持ち家みたいなもんだよ」

 夕暮れの赤が、リビングの床を照らしている。
 フードプロダクターのコンセントを、奏向が壁に指す。紬の部屋にあるものと同じ型の、見覚えあるボタン。
 ベージュの革がしっとりとしたソファに、深く沈むように腰掛ける。

「紬が泣きやまないから、連れてきちゃったんだけど」
 奏向は、紬の前にコーヒーを置いた。
「ごめん、止まんなくて」
「ウソ。気にしないで」
 奏向はソファに背伸びした。
「あー、二人分の時空移動疲れたなぁ。もう今日は、紬を15年前に返してあげる力、残ってないよ」
「……」
「でも、まあ、その……今夜は、このソファででも休んで」
 ごまかし笑いをして、奏向はコーヒーを飲んだ。
二人とも何も言わず座ったまま、沈黙が続く。空気が密度を増していく。

「恋人どうしでなくても、いいよ」
 紬の言葉が、静かに空間に響いた。
 机の上に、カップが置かれる音。レースカーテン越しの夕日。

「……はじめから、そう考えておけば良かったのかな。オレも」
 いつか恋人になるなら、同じことか。髪の上で、奏向がつぶやく。
 紬はそっと、目を閉じた。

 夜が明けた。
 15年後の早朝も、スズメがさえずりをかなでていた。反重力道路の上で。

 見慣れたマンションのショールーム前。
 戻ってきたこの世界でも、同じ声が電線の上で鳴いている。

 一階の着物店は、まだ誰もいない。二人はその前で向かいあった。
 ガラスにうつる奏向の姿はちょうど、中に飾られている西陣織の着物を掛けられたように、ガラスにうつる紬の姿はちょうど、中に飾られているつむぎ織を掛けられたように、二人と着物は重なっている。

「ここで、お別れ」
 静かに奏向が言った。
 わかっているはずの事実の重さが、紬の胸に押し寄せてくる。
「今すぐ帰らなくても。まだ時空警察も来ないんじゃない? 部屋で朝ごはん、一緒食べよう」
「そんなことしたら、そのまま未来に帰りたくなくなるから」
 その顔を、抑えきれない寂しさが埋め尽くしていた。
 夏に向かうひと月、毎日二人で食べていた朝ごはん。重ねた思い出。

 引き止められると、いっそうつらいんだ奏向も。
 あきらめて紬はうつむき、そしてまた顔をあげた。
「……奏向君、また、必ず」

 紬は自分の目に願う。涙でにじまないように。もうこの顔を長い間、近くで見れないから。

「また、必ず、紬」

 二人の視線が強く結ばれた。
 そのまま、奏向の姿が消えていった。

「ありがとう……私を助けに来てくれて」
 いなくなった奏向に、ひとりつぶやいた。







第12話へ


各話へのリンク

第1話

https://note.com/lunestella/n/n1f60997fcaa8?sub_rt=share_b

第2話

https://note.com/lunestella/n/n841da540e8fd

第3話

https://note.com/lunestella/n/n4fb09b3362c0

第4話

https://note.com/lunestella/n/n2277f6441660

第5話

https://note.com/lunestella/n/n7b2b9357729e

第6話

https://note.com/lunestella/n/n81a14635fb7d

第7話

https://note.com/lunestella/n/n3485ce817629

第8話

https://note.com/lunestella/n/n2fa77397bbc0

第9話

https://note.com/lunestella/n/ncd737b2f5f41

第10話

https://note.com/lunestella/n/nb2a9e6c494b7

第11話

https://note.com/lunestella/n/n9f674af2e08f

第12話

https://note.com/lunestella/n/n4b7fe04557f5

最終話

https://note.com/lunestella/n/n6d81eee4e6eb










ものつくりで収入を得るのは大変ですが、サポートいただけたら、今後もずっと励みになります🌟 創作が糧になる日がくるのを願ってがんばります🌾