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「京の都に時を越えて」第10話〘長く深い絆〙

 蒸し暑かった都も、長袖が目立つ季節になった。
 奏向の深い仲だという女子が、紬をどん底に突き落としてから、1ヶ月。

 どれほど会いたいと念を飛ばしても、奏向は来ない。

 紬は、ジャンクフードにあけくれた。
 ビール缶やワインのガラスびんが、ゴミ袋からあふれている。
 心が回復できなくなっていた。日を追うごとに。


「どしたの紬」
 夕方の木屋町。京の食サークルで来ていた和食屋。メンバーたちが面食らっている。
 ご飯を前にして、ボロボロ涙がながれている紬の頬。秋実が驚いて、タオルを差し出した。
(あの彼とお別れとかした?)
(いいんだもう、あんなやつ)

 ほとんど飲まず食わずで、紬は店から出る。あてどもなく歩く、ふらふらと。

 四条大橋の上でぼうっと突っ立っていると、後ろから肩を叩かれた。
「きみ、一人?」
「!」 
「こっちの世界の祇園、まだ一緒見てなかったね」
 紬のまぶたは、涙でにじんだ。
「良かった、もう来ないと思った」 

 ひと月ぶりの奏向。
 何も変わらなかったけれど、服の上にペンダントをしている。そこには、紺色のつむぎ貼りがあった。
 彼によく似合っている。というより、このペンダントに服を合わせてくれたのかも。

 歓喜が溢れ出そうになった心に、ふっと、疑念が走る。
 こうして愛を表してくれながら、裏で悪事をはたらいてるのか、このひと……。

 橋の上から見える鴨川。建物の灯りが、細長く水面に写り込む。聞かなければ。
「奏向くん。未来の世界から、女の子が私に接触してきてる」
「え?」
「きれいな子だよ。奏向君と浅くない関係だ、って言ってた」
「浅くない?」
「私は、奏向君の未来に登場しないんだって」
「! そんなことを!」
 端正な横顔が、けわしい表情になった。
「その女子って、どんな子?」
 紬は見たままの特徴を伝えた。

「紬」
「うん」
「それ、オレの妹」
「え……まさか? はんぱない憎悪感じたよ?」

 奏向は苦笑いをした。
 あれはブラコンってやつでね。でも一応、仲のいい男友達とかいるんだから、マトモなんだよ。安心して。まだ14歳だから、感情のコントロールが出来ないんだろうな。

「奏向君でも、言い訳やウソをつくの?」
「紬」
 あれ、そういえば。彼女ずっと私をにらんでたから気づかなかった。切れ長の……。
「……うん。そういえば、言われてみれば、目が少し似てるね」
「似てるよな」

 紬はため息をつきながら、橋の欄干に頭を付けた。
「浅くない関係って、兄妹って意味か。ひどいなぁ」
「ほんと困ったやつだ玲香は。あっち帰ったら叱っておくから」

 ここしばらくの苦悩が、紬の中からひとつ落ちていった。
「毎日会ってた時なら、長く苦しめずにすんだのにね」
 奏向の顔は、夕日の橙にそまっている。ううん。紬は首を横に振った。
「でも正直……毎日落ち込んではいました」
「だよね。ごめん。来るタイミングを絞らないといけなくなってね」
「消耗するんだよね? タイムトラベルは」
「それ以上に、あまり使うと細かい未来が変わりすぎてしまう。時空移動監視警察から、警告されはじめてるんだ」
「警察! そうだったの……」
 紬は、うつむいた。
 横に並んで、奏向は橋にもたれた。

「それでもこの未来だけは、ムリにでも変えないといけないんだ」

 真剣な表情。
 ……ムリにでも……。
 それだけ将来の私は、何かまずいのかな。こうして来てくれるということは。

 鴨川の水面が、傾き始めた夕日に染まっている。

「今まで黙ってきたけど」
 そう前置きして、奏向は息を吸って目を閉じた。
「紬は……ほんとは、あと三年でこの世にいない」
「……え……?」
 紬は奏向を見上げる。
 薄墨色のまつげが、ふたたび開いた。その目が、じっと川の流れを見つめている。

「数ヶ月前、秋実叔母の家でアルバムを見てね。紬の写真を見つけたんだ。その時、ソウルメイトだ、って直感でわかったんだよ」
「ソウル、メイト?」
 奏向はうなずいた。
「魂の片割れ、といったところかな。君とオレの魂は、二つで一つ」
「魂……」
「それで叔母に聞いたんだ。この女のひと今どこにいるの、って」
「……」
「大学四回生の時、亡くなってると」
 紬の口からは、言葉が出てこない。
「体を壊し、精神を病み、自殺してしまったらしい」
 ……まさか……。
 鴨川が、血でぬめっているように見えてくる。

 奏向の手が、ふるえている紬の手を握った。
 それで、私が彼の未来にいない。妹の言葉の意味って、そういうこと……。

「続きは、祇園へ歩きながら話すよ」
 奏向の足は、南座のほうに向いた。紬は手をひかれるがまま、ついていく。

「オレは君の死因を詳しくつきとめたくて、ここより少しあとの世界を自分なりに調べた」
「……」
「紬はマジメなんだけど、かなり悪い食生活だったようだね。一人暮らししてからは、ジャンクばかりになってたようだ」
 紬はうつむく。 
 恥ずかしいけれど、フードプロダクター持ってきてもらえるまでは、そうだった。
 ここしばらくも、そうなっていた。だけど、それで自殺するほどでは……。

「そのうえ、自分の行きたい方向に進まず、大学の勉強が面白くなくなって荒んでいったみたいだね」
「……」
 思い当たることばかりだった。
 入学して半年の今、すでに授業にまったくやる気がない。ルーティンをこなすだけの毎日。

「はじめは、単なる身体の不調だったようだけど。そのうち精神がキレやすくなって、周りの人が離れてしまったみたいだ」
 南座を抜けたあとの大通りは、なんとなく物寂しい。
 つながれている大きな手だけが、あたたかい。
「そうして孤独になったところに、バイトや就活で辛い目にあって、突発的に自殺した」
「……そんな……」
 夕日の作る影が、細く長く目の前に伸びている。
 ふたりの歩く足と共に、影も前を歩く。

「亡くなる前の紬は、見てても苦しかった」
「……」
「こんなのは悔しすぎるだろ。だから、君の生活から余計なものを徹底的に抜いて、心を安定させようと。絶対、運命変えてやると思った」
 茜色の祇園花見小路通に、ふたり足を踏み入れる。
連なる店に、灯りがともりはじめていた。
「オレのソウルメイトがいなくなるんだ、紬がいなくなると」
 手をつなぎながら、二人のまなざしがひとつになる。

 二人の歩く前に、一台のタクシーが止まった。降りた舞妓が一人、古めかしい店に入っていく。
「あ! こっちの世界の舞妓はん見れた!」
「えっ、こんな真剣な話してるのに」
「あ、ごめん、もしかして嫉妬とかした?」
「しないことはないけど、何よりこのタイミング」
 奏向は軽く笑った。

「タイミングはそうだよね。でも、運命変えるためにオレが来たんだよ。大丈夫」
「……うん」
「それにオレは、ソウルメイトしか見えてないからね」
 紬は気づく。木屋町に来てからこの祇園まで、一度も笑顔がなかった自分。
 今は深刻な話をしているのに、口がにやつきそうになるのを必死でこらえている。

「そうだね……未来を変えるために、来てくれてたんだもんね」
 奏向はうなずいた。
 赤が濃くなっていく空と町並み。

「そうそう。オレらの時代でも祇園はほとんど変わらないけど、舞妓はんはAI舞妓だよ」
「AI!? ……はは……想像できない」
 紬は、つい声を出して笑った。
 やっと笑顔になったね、と、奏向はつぶやいた。

「叔母と友達の君に、将来もきっと会えてる」
 紬はうなずいた。
 私が無事に生きてたら、奏向が3歳からの知り合いになれる。
 大人になっていく奏向のこと、全部見守りながら。

 花見小路通を通り抜け、となりの西花見小路通に二人は迷い込む。
 細い石畳の道。街灯に照らされる、きなりや茶色の格子。

「今の君はオレの存在をもう知っている。オレは君をソウルメイトだとわかっている」
「うん」
「オレは30代の君と、それなりの期間で出会えると思う。けど君は、恋愛対象の年齢層になるオレに出会うまで、十数年かかる」
「……もう出会ってることにしたら、ダメなのかな」
 奏向のすっとしたあごが、寂しそうにほほえんだ。
「そうしたいところだけど、君とオレは15歳差で恋愛するのが、本来の姿だしね。今オレこの世界に、3歳くらいで存在してるから……」

 向かいから、広がって歩いてくる男性客達。
 早くも酔っている。
 すれ違うとき、奏向はさりげなく紬を自分の後ろにかばう。

「結ばれるまでの長い間、君は他の人と付き合いもするだろうな。でも必ず最後結ばれるからね、オレと」
 うれしい反面、紬には何も答えられなかった。
 さすがに途中までは、子供にしか見えないのは確かよね……いくら愛情があっても。

「君が他の男性を好きになっても、大丈夫」
「……」
「自分に嘘をつかない人生、を送り続けていて。すると十数年後は、直感でわかる。本当のソウルメイトはオレだ、ってことを」
 紬は奏向の横顔を見つめた。
 もう、わかってるけど。そう心でつぶやく。

 小路がまっすぐ続く。
 遠くを見つめるほど、細く狭い。その先の、吸い込まれそうな空の紅。
 私たちは、いままでよりずっと深く長い絆へ入りこんでいく。もう戻れない。戻る気もない。

 二人で手をつなぎあったまま、西花見小路通を通り抜けた。
 
 四条河原町のバス停に向かって、帰りを歩く。喜びと衝撃を味わった四条大橋に、戻ってきた。
 もう、血染めには見えない。
 夕日のおだやかな茜を映しながら、川は流れている。
 

 夕暮れの都をバスに揺られ、西陣に着いた。
 赤の残り火をかすかに抱えた、群青色の空。

 マンションのショールーム前。
 奏向は突然言った。
「もうすぐ19歳になるよね。その日は、一緒過ごそう」
「私の誕生日、知ってたんだ?」
「当然」
 驚く紬の目を見て、奏向は微笑む。





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各話へのリンク

第1話

https://note.com/lunestella/n/n1f60997fcaa8?sub_rt=share_b

第2話

https://note.com/lunestella/n/n841da540e8fd

第3話

https://note.com/lunestella/n/n4fb09b3362c0

第4話

https://note.com/lunestella/n/n2277f6441660

第5話

https://note.com/lunestella/n/n7b2b9357729e

第6話

https://note.com/lunestella/n/n81a14635fb7d

第7話

https://note.com/lunestella/n/n3485ce817629

第8話

https://note.com/lunestella/n/n2fa77397bbc0

第9話

https://note.com/lunestella/n/ncd737b2f5f41

第10話

https://note.com/lunestella/n/nb2a9e6c494b7

第11話

https://note.com/lunestella/n/n9f674af2e08f

第12話

https://note.com/lunestella/n/n4b7fe04557f5

最終話

https://note.com/lunestella/n/n6d81eee4e6eb









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