麦本三歩のすきなもの1・2|住野よる 読了
いや〜、あっというまに2冊とも読み終えました。正直読書というより会話に近い感じで読みました。とても親近感があって愛おしい三歩ちゃんとの会話が楽しくて楽しくて。本を読んでいるという感覚は本当になくて、いつの間にか三歩ちゃんと図書館勤務している気持ちになる物語でした。
日常に転がっている生活のにおいが随所にあって、本当に普通に暮らしている女の子がふらっとそこにいて、勝手に友達になっていました。
あ、あととっても個人的にすきな登場人物がいて、三歩の事を嫌いと公言する先輩。もう、ちょーーーーーーすき、。なんというか、三歩ちゃんとはまた違った愛おしさがあって。三歩ちゃんに対する態度や発言って、一貫してそこだけ切り取ると、ちょっと怖めなんだけど、そうじゃなくてちゃんとさんぽちゃんを見てのことで。そして、それをちゃんと三歩ちゃんも受け取ってて。
それがすごく、すき。
最近の世の中?(一般人が何言ってんだ、って感じだけど)は、感受性が鈍い時があるなって思う事があって。というか、汲み取ることというか、感受性が単純になってきているというか、。
口調が強いから、この人は良くない。だとか、
ひどいことを言うから優しくない。だとか、
優しさを履き違えている時がある、気がする。
もちろん、罵声を浴びせる人や頭ごなしに暴言を吐く人を許すわけではない。むしろ、私も強めに前に出てくる人は苦手。できれば関わりたくない。
でも、じゃあ、
部活をしていた時の監督の
厳しめ指導はいらない指導だったのか。
親の心配からくる余計なおせっかいの叱責は
ただの怒号だったのか。
友達やパートナーと言い争いがあった時、
真剣に腹が立ってしまった時、
それはただのわがままだったのか。
怒る。罵声。怒号。叱責。大声。厳格。
このらの単語だけを見ると、今にも目を背けたくなるよな言葉だらけだけど、悪いことばかりではないと、私は思う。
使う言葉の温度、使い方、口調ひとつで優しさ、愛になる時がある。その強めの温度で、口調で言わないとダメな時って、あると思う。ここを使いこなすのが本当に難しいところではあるんだけど。
んーーー、なんて言ったらいいのかな、
この先に危険が待っているって
知っている人がいたとして、
でもこの先に行きたいと言い張る人がいて、
その人が危険だって言ってるのに
軽い気持ちで行っちゃおうとするから、
お前、マジで言う事聞けえええええええええ!!!!
って言っちゃう、みたいな、。?
んーーーーーーーーーー、
自分の表現力の無さに泣ける。hahahahaha
とにかく、もっと受け手が上手に受け取る事ができるようにしておかないと、すごく寂しい世界になっちゃうんじゃないかって思う。
話を戻すと、三歩ちゃんの先輩のように言うべき事をちゃんと言ってくれる人の事を大事にするような世の中じゃないと、寂しくない?っていう。
ただいいこと言うからこの人についていく。
怒らないからこの人のそばにいる。
ってならないようにしていたいなって。
優しい人が悪いわけじゃなくて、本当の意味での言葉の本音をみる力と受け取る力を備えていたい。
使う言葉に棘がない人
=優しいではないと言うこと。
かといって棘のある言葉を使う人
=優しいでもないと言うこと。
その人、相手をしっかりみて向き合うこと。
そして向き合い返してくれる人を大事にする。
そんなことを三歩ちゃん達から学びました。
あと、自由気ままに生きること。
二日酔いになったり、話すときにたくさん噛んだり、自分に自信持てないし、友達は可愛いしで、踏んだり蹴ったりだけど、あとはもう、すきなものたちが補ってくれるから、まあ、いいやって。
そんな感じで良くね?ってなって、
ホッコリんこした物語でした。
(いつか三歩ちゃんの恋愛編出るの待とう🫶)
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