肩の荷を下ろすことがベストパフォーマンスにつながる、に気づかせてくれた『思わず 考えちゃう』
こんにちは。櫻子です。
中3男子、小1女子のママ、できるだけ話を聴こうとしてアップアップすることが多々あるADHD要素のあるHSPです。
引き続き、ヨシタケシンスケです。
はまっているのはすでに娘ちゃんではなく、わたしです。
さて、先日も書いた『思わず 考えちゃう』。
ものすごく肩の荷をおろしてくれた話があったのです。
なにお! ヨシタケシンスケ、絵本作家なのに、色を塗らない!?
衝撃。ショーゲキです。
絵を描く人なのに、色を塗らないってどういうこと!?
(もう一回言ってしまうほど)
色を塗るって、絵を描くことの一部というか半分というか、仕上げというか、相当を占めると思い込んでましたが、そこを人にお任せしている!?
あと、こんな話も載ってました。
挿絵のお仕事を引き受ける時に、「どこでもいいからお願いします」と依頼されるのは嫌で、「このページのここに挿絵を」と頼まれたら、そこに最高の挿絵を入れると。
つまり、ヨシタケシンスケさんは、
できないことをやらない(人に任せる)と決めた。
その代わり、できることは「絶対に応える」という覚悟をした。
と腹を括った人なんですよね。
最初、できることでは最高のパフォーマンスを出すとさらりと宣言してるのがすごいな、さすがだなぁ、プロだなって思って。
でもちょっと待て、
できないことを自分に許している
これがすごいんじゃないかって。
これがなかなかできないんじゃないかなって。
*
自信がないと、
あの技を身につけたら、できることが増えたらかっこいいんじゃないか、
人から尊敬してもらえるんじゃないかって
どこまでも手を広げがちです。
でも、逆なんだ。
そんなことでは自信なんてついてこないんだ。
だって、外に手を広げるってことは、「まだ自分はダメだよ。足りないよ」って自分に言ってるんですもんね。
だからもう頑張らなくていいんだ、と言うのでもないのですけど。
いろいろ手放したら、なにか一つくらい、「これなら、わたし、いけます」と言えるものがありそうな気がしてきました。
気がつけば長く続けてきたこと、
それをしている時に「楽しそうだね」と言われること、
その辺りに自分では気づいていない才能があるのだそうです。
わたしはやっぱりヨガ、体を整えること、かなぁ。
体への執着、ポーズの気持ちよさの追求はもはや粘着質だもんな(表現がまったく気持ちよくないけどさ)。
*
満遍なくある程度なんでもできますというフリを必死でしてきて、いつしか無理をしていることにも気づかなくなっていた元「いい子」としては、
ヨシタケシンスケさんの許しの世界は本当に癒しです。
あの渋い表情に救われるw
(だって、渋い表情になるのだってなかなか自分に許せない)
たぶんですけど、ヨシタケシンスケさん、色を塗るのを手放すのは簡単じゃなかったと思うんですよ。
でも、悩んで悩んで努力して努力して、で、「できない」ってなって、でもそれ言っていいの?ってまたぐるぐるして、最終的にできない自分を認めたっていうか、ここに辿り着いたんじゃないかなーと。
だからこそ、深く染み入ります。
本当のところはわかりませんが。
単に嫌だかからポイって丸投げしたんだったりしてw
(それができるのもある種すごい。悟りの域)
頑張って、頑張って、たくさんの荷物を背負った人に、ヨシタケシンスケさん、おすすめです。
『思わず 考えちゃう』は心配で不安でトンボみたいに多方面を見ちゃって、で、どうしたらいいのかわかんなくなってしまった人の肩の荷を下ろしてくれる。
そして、"できないこと"を捨てて、"できること"に力を注げるようになったら。
また違う世界が見えてくる気がする。
一つくらい最高のパフォーマンスを発揮できる力を持ってるんじゃないかな、と希望につながる。
これはたぶん人と比べて勝てるどうこうではなくて、自分の中で「うん、これだ」って一つに絞れるっていう感じ。
それは、自信と言えるもの。もしくは矜持。
読んでくださってありがとうございました。
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