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お控えなすって

 こんにちは、最近紫外線が強いからセロトニンがよく出て嬉しい。毎日熱中症になりかけるけどよく寝れると言うスレスレの所で生きてるとまよこ りゃんシーです。

 youtubeのASD紹介動画がバズって(?)ます。ASDをドラマ仕立てで分かりやすく表現されてて良いとは思ったのですが、どうしても「社会人目線」で表現されてて、「ASDの悪い所特集」みたいになってしまっていると感じた。ASDを悪者に仕立て上げて益田さんの知名度向上に加担している感がある。「何でも正直に言う」は「すぐ褒める」とか「素直」とか「対応が早い」という面もあるし、融通が利かない点も「絶対ヒューマンエラーを起こさない」と言う点になるわけで、本当にASDと接してるとそういう面も見れるから逆にこういう風にはならないと思う。ASDヘイトを増やしてるだけだよなって。益田さんの「発達障害」の世界観が独り歩きするのが怖いと感じる。
 発達障害が今まで発見されなかったのはそのぶんアンダーグラウンドがデカかったというだけで、「発達障害」が増えるのは良い事だと思うけどね。
 ASDの良い所と悪い所を純粋に同時に描いている作品って本当に少ないよね。商業作品になると「発達障害向けのチート・天才系(良い面しか切り取ってない)」か「カサンドラな私系(悪い面しか切り取ってない)」と「子育て系(社会的な描写が少ない)」と、「感動ポルノ(発達障害は障害だからかわいそう)」しかない気がする。「僕妻」もどっちかって言うと「発達障害の良さ」にはあんまり焦点が当たってなくて「周りの人、助けてくれてありがとう!」って話だし。「ドジでどうしようもないけど、才能がある」っていうキャラは漫画に死ぬほど出てくるけど「ASD」とは書かれてないし。あ、でも今ウ・ヨンウとか厨房のありすとかいうのがあるらしい。けど、「ドラマチックな才能」とかは要らないんだよなあ。ASDの良しも悪しもそのまま描いた作品観てみたいよね。あと、トランスジェンダーのドラマももっと欲しいなぁ。
 エンタメ作品にしてしまうとどうしてもキャラを善か悪かに固定させたくなるし視聴者に分かりづらいややこしい描写を避けたくなるんだけど、それをしなくても配信できる所がYoutubeの強みだよな。インタラクティブと言うか。

「発達障害」って今は「障害年金でも貰って引きこもってろ」って感じだけど、そのうち「男女共同参画社会」みたいに、社会参加ありきの制度になっていくんだろうな。だって30人に一人が発達障害ならそいつらみんな障害年金受けたら財政破綻するからねw「バカとはさみは使いよう」と江戸の人は言った訳です。江戸の人は発達障害の扱い方を知っていたのかもしれないな。もっと社会が発達障害の強みを理解できれば、発達障害なんて言葉は廃れるのだろう。

 子供の頃、和服に凄く憧れていた。京都に移り住んだ時、毎日着物を着て暮らしたいと思ったほどだ。
 今思うと、あんなに和服に憧れるのはなぜだったんだろうと思う。
 僕は昔から「古い日本」が好きで、縁側で風鈴の音を聞きながらすいかを食べるようなそんな風景に凄く憧れを感じる。そもそも京都に引っ越したのも、そういう理由が大きい。
 でも、アイヌの血を引いてて、発達障害と診断されている僕のDNAの中にはきっとそんな記憶は存在しない。縁側で家族とすいかを食べるような事は出来るはずがない。
 子供の頃、僕は自分の事を「古風」だと思っていた。柔道部に入部したのもそう。愚直で、真面目で、それが凄く「日本らしい」ってずっと思っていた。ひたすら研鑽を積む自分が伝統的で、大和魂そのものだと思っていた。女性の好みも、大和撫子みたいな人が好きだし。勝手に日本代表のつもりでいた。
 でも、30年生きてみたら、本当の日本は全く違った。
 ウソをつき合い、騙し合い、ズルばかりで「お利口」が評価される世界だった。それが「日本文化」だと言われた。
 僕はこの2つの矛盾に、未だ答えを出せてない。
 日本人には二種類いるのだろうか? 僕の捉え方が違ったのだろうか?
 僕の憧れていた「日本人」は、僕の作り出した幻想だったのか?
 あんなに好きだった日本から拒絶されて、愛国心も自尊心も全部砕けて消えて、憎しみだけが残った。

 あっそう言えば都知事選終わった!  結局また投票行きそびれた。誰が良いか全然知らないからなー。別に今の都政に文句ないですけどね。歌舞伎町を一掃したアレを凄いと僕は思ってる。これを維持してくれるなら誰でも良い。とにかく犯罪者を減らして障害者を増やして欲しい。『ケーキの切れない非行少年』を減らして欲しい。でも誰に投票すればそうしてくれるのかは分からないんだよなー。。でもそれって進みすぎるとまた「反発」が起きるか? やっぱりリーダーになる人は多少ナルシストくらいじゃないと、有象無象に食われちゃうよな。でも自己中だと困るしバカは論外とすると……「ゲイバーのママ」みたいな人が良いんじゃない?
 子供の頃は「教育に力を入れて欲しい」とか思ってたけど、誰も教育なんか受けたくないんだよ、人生に関係ないから。でもその教育の衰退が今の日本の低迷を招いてるんだけどさ…。ゆとり教育とか今考えると本当に頭おかしい…。
 石丸伸二って人初めて知った。ひろゆきとか石丸伸二とかの噂を聞いてていっつも思うんだけど「発達障害って本当に『人間』の事分かってないよな」と思う。僕も政界に興味ある時期ありましたよ。「何でもっとロジカルに制度を変えないんだろう?バカどもが。僕が政治家になったら絶対もっと住みやすくするのに」と思ってましたよ。でもね、世の中の大多数は「キチガイ」で、その「キチガイ」のために世界は回ってるんだから、マイノリティである僕達はお呼びじゃないんだなって分かってきたんですよね。人間には「理性」と「本能」とは別に「感情」と言うものがあって、それがむしろ一番人間らしさでもあるのだと。人は生きる為に生きてるのであって社会を良くするために生きてるんじゃない。発達障害者の「完璧な政治作りゲーム」に付き合ってる暇はないと言う訳。まあ、僕らとしては別に「完璧な政治作り」で構わないですけどね(笑)ゼレンスキーとかいうのもよく知らんけど好きじゃなくてさー、元俳優で短絡的で分かりやすいプロパガンダを扱うのは知覚統合型発達障害の最も得意な分野だ、だから僕も広告と宣伝の仕事をしている。僕も中2の時生徒会長の選挙に中3を差し置いて当選した事がある。それを国分寺市の相談員に言ったら「発達障害が生徒会長に当選するはずない」とかアホな事のたまわれて傷ついた事ある。たった7年前ですらプロの知識でさえそんな感じなんやで。あの時感じたのは一部のヤンチャ系男子が面白がって僕に入れてくれて票が伸びたなーという事。今回の都知事選もそういう事が起きたんじゃないだろうか。みんな政治に興味があって投票した訳ではないと思う。もちろん、彼らはそういうDQNの天下みたいになって世紀末みたいな社会になって欲しいから表を入れたんだろうけどね。もし僕が男だったら石丸派の暴徒になっていただろう。石丸派には間違いなくミソジニー票が含まれている。でも、一部の人にはオモチャにされてる事に気付いてくれ。政治は祭りでも、喧嘩でも、ましてやエンタメでもないんだから。喧嘩をするのが裏か表かの違いでしかないなら意味がないんよ。前、なんかの記事で少年が「生活保護ってなんであるの?みんな使えないゴミ人間なのに養う意味あるの?」って聞いてて記者が困ってたけど、その答えは「生活保護切ったらそいつらが暴徒化するから」だよな。今、そういう流れが実際に起きつつあるのかもしれない。
 何度も書いてるんですけどASDが永遠に理解されない理由って、ASDが根っからの「共産思想」だからなんですよ。我を殺して(殺してと言うかそもそも無いんですけど)ルールに則って生きるみたいな事を当然のように出来てしまうところが、そもそも根本的に見えてる景色や生きる姿勢が違うっていう話をしたい。例えば今回なら「嬉しかったですか?」という問いに石丸さんは「特に」と答えたけどそれは「嬉しくなかった」って意味じゃないんだよ。嬉しいとか悔しいとかそういう「個人」的な感情は分からないんだよw(実際は嬉しいだろうけど)まあそれを「自尊心を煽って遊んで視聴者を幻滅させている」と捉えるのがまた「冗談の分からない」ASDっぽいんだよなあw幻滅してるのは発達障害だけなんだよなあ。本当にメディアに取り上げて欲しいなら「嬉しかった」って言えばいいのだろうに。そして「やりたいかどうか」という個人の意思の質問をされるとまた必ず躓く。しかしこの会話は高知能のいじめっ子が高機能アスペを話術でねじ伏せてる状況がよく分かって良いなと思った。小学校とか京都でまさにずっとこんな感じだった僕(笑)純粋な人間が165万人集まっても1人の悪人には敵わない。少年漫画読みすぎるとその辺が分からなくなってくる。ま、障害者の僕にはどうでもいいか。良い思い出になったでしょう。普段選挙に行かない層がこんなにいるんだってことが分かって面白かったよね。このままASDの認知度向上に繋がってくれればありがたい。国会議員に一人当事者がいれば発達障害の未来は明るいんじゃない? もしこれでこの人がASDの噂無視するなら「あ、この人もやっぱり弱者に寄り添う気ないんだな」って判断するよ。今流行ってるんやからどんどん取り入れれば良いのに。政治家が診断貰ったらそれだけで励まされる人沢山いると思うよ。
 ASDの理想とする社会には必ず矛盾があるんだ。それは人間は感情があると言うこと。ASDの理想とする社会は無理なんよ。だからせいぜい議員になって発達障害雇用を拡大する政策でも進めてくれ。あと、プレッシャーメイクスダイヤモンドちゃう、プレッシャーメイクス副腎疲労や。

「大和魂」は、もしかしたら明治以降のフィクションの世界だけのものなのかもしれない。
 かつて、自分こそが「日本人」だと信じたかったバカ共がいた。
 日本人と声高に叫ぶ奴ほど、日本人らしくないのかも知れない。
 彼らはきっと日本に認めてもらいたかったんだ。でも、散っていった。バカだから。彼らの心の拠り所が、「大日本」という新しい国だった。
 僕らはいつも「約束の地」を探している。僕達だけの理想郷がどこかにあるはずだ。フィクションの世界だけではなく、現実に探している。
 でも、きっと見つからないのだろう。発達障害が上に立つと、たいてい人がたくさん死ぬのだ。意図せず人を煽り、暴力以外に頼る術もなく、殺し合って歴史を変え、先導者は吊し上げられ、処刑される歴史を繰り返すのだろう。
 そして、僕達はずっと搾取される弱者であり続けるのだろう。

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