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記事一覧
「自然とヒトとの関係について」
菅原博文著。論文集になります。「私達は感覚によって対象について何を知りうるだろうか」から始まる「力の作用だけを前提した存在論」など、5編の論文、及びレポート集から成ります。Apple Books で、立ち読み、購入できます。Hirofumi Sugawara で検索していただければ、他の何冊かと共にヒットします。ぜひ、Apple Books に行ってみて下さい。
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大栗博司「超弦理論入門」より 1
(少々、唐突な導入ですが)電子が、自分自身のつくった電磁場の影響を受けると、質量が無限大になるという問題があります。これは、電子が自ら発した光子を吸収する現象であると表現することができます。これによって電子の質量が無限大になってしまうのです。
(一番最初から順を追ってではなく、面白くなってきたところから始めたので、わかりにくいかもしれません🙇。しかし、回を追うごとに、分かりにくさは消えると思いま
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」より-4
2.0122 ものが自立的といわれるのは、それがすべての可能な状況のうちに現れうるからでしかない。すなわち、この自立性の形式はものと事態との連関の形式であり、非自立性の形式なのである。(同じ言葉が、単独で用いられたり命題の中で用いられたりと、二様の異なる仕方で用いられることはありえない。)
2.0123 私が対象を捉えるとき、私はまたそれが事態のうちに現れる全可能性をも捉える。
(そう
量子力学における物理量 連続か整数倍か
主に巨視的な物理を取り扱う古典力学では、物理量は実数で表される連続量だが、量子力学では、量子を数え上げたものとして扱われる。たとえば電気量は、電気素量の整数倍の値となる。
Wikipedia より
とびとびのエネルギー準位といわれるのがこの整数倍を意味している。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」について
論考にあっては、世界は生き物ではない。
しかし、これは一つの、対極、両極の一方なのだとおもう。論考の描く世界には、確実に意味があり、かつ魅力的である。
両方考えなければならないとすれば、不思議ではない。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」は、その可能性において捉えなければならない書物であると、私も考えている。しかし、「論考」の描く世界は、鑑賞用だと思う。写真ではない、絵画である、写真よりも精緻