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力の相互作用だけを前提した存在論
1) Ontology that premises only “interaction of force”
力の相互作用だけを前提した存在論
2000年6月18日
菅原博文
私達は感覚によって対象について何を知りうるだろうか。林檎の果肉が白いということは、正確には林檎自体についての知識ではない。それはあくまで、対象が私達にどう見えるかについての知識である。
これは、私達の知覚は内的感覚に過ぎない、ということから導かれる帰結であるが、しかしそれは単に論理的な帰結というだけでなくて、外部世界の在り方と私達のその知覚の在り方について、私達の想像力を著しく刺激するものでもある。
最初に、そうした感覚が日常生活において私達に困難を引起さないのは何故か、という理由について考える。
ここに二つの安定性がある。対象が安定的に存在すると想定されること、また一方で、林檎の果肉が私達に常に白く見えるという安定性である。いわば対象と感覚(五感のこと)の関係の安定性。
この対応は、人という種に共通の、また固有の特殊性を持って安定していると通常考えられているだろう。このように、林檎の果肉が一定の条件の元では常に白く見えるということ、決して他の色に見えないということは、私達にこれを林檎自身の属性であると錯誤せざるを得なくした原因ともなった。それは林檎の属性と安定的に対応した私達の内的感覚である、というべきところを。
視覚の場合について、或るアナロジカルな例によってこの事情についてもう少し立ち入ってみよう。視覚について考えた場合、外在的には、恐らく物理的な対象と、物理的な光学現象があるだけであり、それを色彩という感覚に置き換えるのは、人間の感覚能力である。光学的な情報は視覚細胞によって微弱な電気信号に変換され、この電気信号が視覚的な色彩の感覚をもたらす、と言われる。それは最初の光学的情報を基にしているだろうが、それとは全く質の異なる情報である。
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