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#赦し
358という数字をコース的視点で読み解く
よく街中を歩いていると、すれ違う車や駐車場に止まっている車のナンバープレートが358のものをよく目にします。
今や多くの人にとって人気のあるこの358という数字ですが、振り返ると最初にこの数字を世に広めたのは小林正観さんでしたね。
そういえば、昔よくこの方の本を読んでいた時期がありました。
小林正観さんは、この358という数字について本の中でこのようにおっしゃっていました。
一度この数字を
「間違い」の「間」の漢字の成り立ちからも赦しは理解できる
今、立て続けに「間違い」についての記事を投稿しています。
と言ってもずいぶん前にメモしていたものが出てきたものですが日の目を浴びたがっているよう思えたので記事にしています。
現在、私たちが使っている「間」という漢字はどうやら俗字だそうです。
俗字とは、異体字の一種で正字(正式の字体)に対し、正式ではないが世間一般で広く行われている字体を意味するそうです。
ではどこが正式ではないのかというと
「間違い」、そして「間」とは何か?
今回は、「間違い」という言葉そのものと「間」という漢字を独自に解釈していきたいと思います。
まず「間違い」の「間」は「時間と空間」の両方を意味しています。
よって「間違い」とは、今というこの瞬間しかない永遠に、自我(エゴ)が「時間と空間」という概念を用いて、神と神の子の一体性を分断しようとする間違ったアイデアということです。
そして、それは単なるアイデアに過ぎないので取り消しが可能です。
「罪」と「間違い」の違いを明確にする
「罪」とは、それが既に起こったことが前提にあるが故に取り消しが不可能なものです。
しかし、「間違い」(誤り)であれば訂正は可能です。
「罪」とは神からの分離が実際に起こったことであるのに対して、「間違い」は神から分離することが出来たとただ単に信じただけに過ぎません。
つまり、もし私たちが「間違い」という言葉を
”神から分離したという間違いを赦す”
というような解釈でコースの赦しを捉えてい
特別性と罪悪感の関係(5/5) 〜「自我の救済計画」と「神の救済計画」〜
特別性と罪悪感の関係(1/5)〜特別であることの魅力とその危険性〜
特別性と罪悪感の関係(2/5)〜攻撃と防衛のサイクル〜
特別性と罪悪感の関係(3/5) 〜「特別な憎悪」と「特別な愛」〜
特別性と罪悪感の関係(4/5) 〜「特別な関係」から「神聖な関係」へ〜
「自我の救済計画」と「神の救済計画」神からの特別な愛を望むという密かな願望から生まれた特別な関係の中で、自我(エゴ)の憎悪が勝利をおさめ
特別性と罪悪感の関係(4/5) 〜「特別な関係」から「神聖な関係」へ〜
特別性と罪悪感の関係(1/5)〜特別であることの魅力とその危険性〜
特別性と罪悪感の関係(2/5)〜攻撃と防衛のサイクル〜
特別性と罪悪感の関係(3/5) 〜「特別な憎悪」と「特別な愛」〜
「特別な関係」から「神聖な関係」へさてここまで、あなたの心を罪悪感を閉じ込めておくための一つの巨大な箱として語ってきたわけですが、ギリシャ神話にはこのことを示す物語があります。
それが「パンドラの箱」と言わ