「罪」と「間違い」の違いを明確にする

「罪」とは、それが既に起こったことが前提にあるが故に取り消しが不可能なものです。

しかし、「間違い」(誤り)であれば訂正は可能です。

「罪」とは神からの分離が実際に起こったことであるのに対して、「間違い」は神から分離することが出来たとただ単に信じただけに過ぎません。

つまり、もし私たちが「間違い」という言葉を

”神から分離したという間違いを赦す”

というような解釈でコースの赦しを捉えているのなら、単に「罪」という言葉を「間違い」にすり替えただけで、その「間違い」は実際に起こったことをいつまでも連想させてしまいます。

よって正しくは、

神から分離できたことをただ単に私が信じていることが間違い”

なのです。

ここには何の深刻さもなく、分離を信じた信念があるだけです。

この、信念を取り消す作業がコースの中でイエスが伝えている赦しなのです。

私たちは日常で巻き起こる罪悪感の投影を知覚した瞬間に一度立ち止まって、今目にしている出来事は私の犯した「罪」の顕れと見るか、単なる分離を信じ続けている「間違い」という信念の一時的な結果であると、ありのままに観るかのどちらか一方を選択できます。

前者は罪が罰を要求するようにこの世界に犠牲や苦痛の様々な証拠を招き寄せます。

後者は一なる自己の視点からもう一度選び直すことで、決断し直す力がわたしにはあったという自覚が浮上してくるようになるのです。

「罪」「間違い」

両者はちょっとした違いに感じるかも知れませんが、赦しをする上では全く違った結果を生み出すことになることを理解してください。


このことがあなたの赦しの実践に少しでも役立つことができたら幸いです。


〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜 
リンプ

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