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時間とは何か? 時間の目的とは?(2/4)

時間とは何か? 時間の目的とは?(1/4)


次に、コースにある「50の奇跡の原理」の中から「時間」に関連したものをいくつか取り上げながら解説していきたいと思います。

奇跡の原理13
奇跡ははじまりでもあり終わりでもあり、それゆえに、時間系を変更する。奇跡は常に再生の肯定であり、後退するように見えるが実際には前進する。それは現在において過去を取り消すので、未来を解き放つ。

奇跡講座/中央アート出版社

奇跡が行うことというのは、言わば「この経験のうちの特定のいくつかの一断片をとりあげて、あなたが対処しなければならないいくつかの問題の領域として隔離する」ということです。

そして、その特定の断片というのはすべて、分離を信じる信念や罪悪感に基づいています。

そしてこれが、「始まりと終わり」という概念が出てくる所以です。

たとえば、あなたが誰かとの関わりにおいてとりわけ困難を感じているとします。

聖霊やイエスからくる奇跡はあなたに、その関わりに焦点を当ててそれを赦すように仕向けます。

その意味において、奇跡は始まりであり終わりなのです。

なぜなら、奇跡は「真の問題は何か」ということの輪郭を浮き彫りにさせるからです。

あなたが問題を癒すとき、つまり、あなたが自分に最も大きな困難をもたらした一人の人を赦すとき、または、分離や不安や罪悪感や怒りといった途方もなく大きな感情をもたらした状況を真に手放すとき、このときに何が起こるのかというと、この時間という全側面が縮小したことになるのです。

それが、「奇跡は時間系を変更する」というフレーズの意味です。

コースは分離が起こったその瞬間に、すべての時間が、すなわち進化する世界の全体が同時に起こったと教えています。

あなたが神から分離したと思ったその一瞬のうちに、巨大な時間と空間のメジャーが広げられたのです。

これは、進化する世界全体としての過去と現在と未来を構成する無限の長さと広さの目盛りを持つメジャーです。

コースはさらに、分離が起こったかに見えたその瞬間に、神は聖霊を創造し、その聖霊がこのメジャーを生起させた信念そのものを取り消したと教えています。

それは、分離は一瞬のうちに起こり、それと同じ瞬間に、それが訂正されたということです。

もし、あなたが論理的であったり科学的な素養をお持ちであれば、物質がなぜ「対生成」し「対消滅」するのかという量子力学の超ひも理論がこの分離と訂正の理解に役立つかもしれません。

ここでの物質とは分離の象徴である罪悪感のことです。

分離は一瞬のうちに起こり(対生成され)、それと同じ瞬間に、分離の象徴である罪悪感が取り消された(対消滅した)ということです。

真空に高エネルギーの光であるガンマ線を入射すると、電子(物質)と陽電子(反物質)が対となって現れます。

これを「対生成」といいます。

また、電子(物質)と陽電子(反物質)を衝突させると、電子と陽電子は消滅してガンマ線となります。

これを「対消滅」といいます。

つまり、分離の象徴である罪悪感がここでの電子を意味し、それに対して赦しが陽電子を表してます。

どうして、真空から物質と反物質が対となって現れるのか、またどうして、物質と反物質が接触するとエネルギーとなり物質は消滅するのか。

それは、質量がエネルギーに、エネルギーが質量に換わる仕組みによって理解されます。
 
物質も光も物質を動かす4つの力(重力・電磁力・強い力・弱い力)も、一本の超ひもの振動として表現されます。

一本の超ひもが物質や光として振動すると物質や光と見え、超ひもの振動が停止するとそれは真空と見えます。

つまり、真空中は何もないのではなく、振動していない超ひもが詰まっているのです。

振動していない超ひもに高エネルギーの光を入射すると、光としての振動は物質と反物質としての振動に換わります。

これが「対生成」です。

物質と反物質の振動は正反対なので、これが一本の超ひもに含まれるとお互いに打ち消し合い、振動は光の振動として放出されます。

ですから、物質と反物質を衝突させるとエネルギーとなるのです。

これが「対消滅」です。

物質も光もエネルギーも、一本の超ひもの振動として表されます。

物質としての振動がエネルギーとしての振動に換わり、逆にエネルギーとしての振動が物質としての振動に換わるのです。

これに、コースの概念にある言葉を追加してみるとこうなります。

どうして、真空(神/創造主)から物質(エゴの間違った心)と反物質(聖霊の正しい心)が対となって現れるのか、またどうして、物質(罪悪感)と反物質(赦し)が接触するとエネルギーとなり物質(分離の概念と罪悪感)は消滅(訂正される/贖罪)するのか。

そして、

”一本の超ひもが物質や光として振動すると物質や光と見え、超ひもの振動が停止するとそれは真空と見えます”

これが意味しているのは、一人の神の子(超ひも)が分離を選択すると物理的な肉体を持ち、その人の子となった神の子が分離の概念である罪悪感を完全に赦す(贖罪)と神と一つに戻るということです。

”真空中は何もないのではなく、振動していない超ひもが詰まっているのです”

これは、神は神自らが創造した無垢なる神の子らと一体であるということです。

そして、一つの体が沢山の細胞の一つひとつの集まりで構成されているように、神も神の子らと一体になっていることによってそれを証ししているということです。

しかし、これではたった一人の神の子がまるで無数にいるように感じられてしまうのは、あなたがこの二元世界の価値観で解釈しているがために起こる矛盾と混乱です。

実相ではこれが何の矛盾にもなりません。

なぜなら、神による創造とはこの世界の創造とは全く意味合いが違うからです。

この世界がいう創造とは、これまでなかったものを作り出すということを暗示させます。

つまり、違うものを生み出すということ、他とは違う特徴や、ユニークな見た目、特殊な機能、特別な効能などを意味します。

すなわち、比較や相違によって価値の序列を生じさせることで分離を強化させることがその目的にあります。

しかし、神の創造とはこのこととは全く違うものです。

神はそれが神の属性であるが故に全一で包括、また不変で永遠なるものです。

これは、すべてを含み、すべてと一つで、永遠に変わることがないということです。

全体から排除された他のものがなく、また他のものがないということは違いを生み出せないということです。

この世界が作り出すものは、必ずどこかが違い、時間の中で移り変わり、また物理的なものであるためにいずれ崩れ去ってしまいます。

ですから、この世界の創造という信念に基づいた思考しかできない我々には、神の創造を完全に理解することはできません。

よって、コースでは「創造」という言葉を実相レベルでしか扱いません。

神と神の子だけが創造することができるからです。

そもそも、神からの分離を信じている者、つまりこの世界の住人であると信じている者にとっては神を排除すること、それが意味しているのは、真理に対して防衛していることに自らが気付いていないがために起こる葛藤や苦しみなのですから、神の創造を自ら歪曲し捏造していることを否認し続けていることでこのことに無自覚になっているのです。

神にはただひとりの子がいるだけだということに、特に留意すべきである。神の被造物たちの全員が神の子らであるというのなら、各々が一なる子全体にとって、不可欠な一部のはずである。一体性のうちにある一なる子は、数ある部分の総和を超越したものである。(T-2.7.6:1-3)

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次に、

”振動していない超ひもに高エネルギーの光を入射すると、光としての振動は物質と反物質としての振動に換わります”

これは、神と一体である神の子の心に分離の概念が一瞬よぎり、それに対して深刻化したために神の子が眠りに堕ちて夢の中でこの世界と肉体を作り出したということです。

すべてが一なるものである永遠の中に、一つの小さな狂った考えが忍び込み、その時点で神の子は笑うことを忘れてしまった。彼が笑うのを忘れたとき、その考えは深刻なものとなり、達成することも、実在性ある結果を生むことも、どちらも可能なものとなった。(T-27.8.6:2-3)

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こうしてみると、分離が起こったかに見えたその瞬間に、神は神の声の代弁である聖霊を創造し、その聖霊がこの分離のメジャーを生起させた信念そのものを取り消したことが分かります。

しかしながら、問題はあなたが自分が住んでいると思っているこの時間と空間の世界が、本当は夢なのに現実だと思い込んでいることにあります。

つまり、聖霊によって取り消された信念ではありますが、あなたの方でこのことを疑い否定し、また恐れているために幻想の方を今でも掴み続けているということです。

ですから、このコースは聖霊を「声」と表現しているのです。

聖霊は、あなたが夢から醒められるようにと夢の中にまで延長されてきた神の声です。

そして、進化するこの世界全体が、すべてこの夢の一部です。

自我があなたをこの夢の中に定住させて、その夢が現実だと信じ込ませてきた方法の一つは、直線的な時間という概念を作り出したということです。

過去、現在、未来という時間です。

これが、「このコースがどのように時間というものを捉えているか」そして、「奇跡がどのように働くのか」ということについて、あなたが理解しようとする際の主要な「躓きの石」となっています。

あなたの心は、時間が直線的だという信念の中で構成されているため、時間とは実際にはホログラム的なものだということを認識することが不可能となっています。

ホログラムというのは、量子物理学が提示している概念です。

ホログラムの特徴には、何かを構成する各部分の中には、全体が含まれているというものがあります。

つまり、あなたが意識的には何を信じていようと、一つひとつの心の中には、自我の歴史の全部が含まれているという意味です。

そして、自我の歴史というのは、この惑星の歴史だけでなく物理的な宇宙、そして多次元的な宇宙のすべての歴史です。

スピリチュアルな表現を用いれば、アカシックレコードに刻まれている全歴史のデータは自我によって神からの分離後に作り出されたということです。

こうした概念について考えると、まったく頭がくらくらしてくるほどですが、それはなぜかと言うと、心というもの(さらに頭脳も)が、あなたが作り上げた過去・現在・未来という直線的で連続した時間という構成概念により、甚だしく限定されてきたからです。

実際に何が起こっているのかと言えば、どの瞬間においても、あなたはこのホログラムの中の或る特定の一部分を経験することを選択しているということです。

あなたは心の中をさっと眺めて、この夢全体の中の或る一部を通過したり経験したりすることを選択するのです。

それが、このコースが、あなたはすでに書かれている台本を通過しているだけだと述べている意味です。

時間とは、手品のように巧妙なからくりであり、広大無辺なる幻想である。その中では、まるで魔法のように、人影が現れては去っていく。しかし現象の背後には、変わることのない一つの計画がある。その台本もすでに書かれている。あなたの疑いを終わらせる体験が訪れる時も定められている。私たちは旅の終わった時点からふりかえって、その旅を見ているだけであり、もう一度自分たちがその旅をしていると想像し、過ぎ去ったことを心の中で反芻している。(W-pl.158.3-4)

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これが台本です。

聖霊が台本を書いたのではありません。

聖霊はこの世界であなたに何かが起こるように仕向けることはありません。

聖霊が行うことは、その台本の中であなたに繋がり、それを別な見方で観る方法があると教えることです。

私たちはただ、遠い昔に割り当てられている役割につくだけであり、その役割は、創造主の名と創造主の子の名において救済の台本を書いた聖霊によって完全に認識され、完璧に成就されている。この世界にいる誰にも理解できないことを、これ以上説明する必要はないだろう。あなたの一体性についての啓示が訪れるとき、それは知られ、完全に理解される。今、私たちには、ほかになすべきことがある。時間の中にいる者たちが、時間を超えたものについて語ることはできるし、これから訪れるものはすでに過ぎ去っていると説明する言葉を聞くこともできる。しかし、そうした言葉が、今でも時間を数え、時間によって起床し、働き、眠りにつく者たちに対し、どれほどの意味を伝えることができるだろうか。(W-p.169.9:3)

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救済の台本とは、自我の台本を逆転させたものです。

自我の台本が分離の信念を強化することをその目的としていたのに対し、聖霊はあなたが分離していないということを学べるように、既に書かれたその台本を使います。

その台本というのは、あなたが経験するすべての対人関係と状況という意味です。

聖霊は世界を教室として使い、自我は世界を牢獄として使います。

それは同じ世界ですが、自我による世界の見方は、あなたをますます罪深さの深淵へとのめり込ませます。

聖霊による世界の見方は、あなたを世界から解放します。

あなたをこの巨大なメジャーの上に留めておくのは罪悪感だけです。

ということは、あなたがこの夢から目醒める方法、つまりメジャーの上から離れ出る方法は、この罪悪感から自由になることです。

それが、赦しが行うことです。

このコースがそれ自体について述べている主張の一つに、それが時間を省くというものがあります。

一つの奇跡が起こるのにかかる時間と、奇跡が影響をおよぼす時間との間には、何の相関関係もない。奇跡は何千年もかかったかもしれない学びに代わるものとなる。与える者と受ける者の完全な対等性という、奇跡の根底を成す認識によって、それが為される。奇跡は時間を崩壊させ、その中の特定の時間枠を取り除くことによって時間を短縮する。(T-1.2:6-6)

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慈愛の一表現である奇跡にできることは、時間を短縮することだけである。しかし理解されなければならないのは、あなたが他の人に奇跡を差し出すときはいつでも、あなたと彼の両方の苦しみを短縮しているという点である。(T-2.5:10-6)

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コースは、輪廻転生や過去生といった話題については具体的に述べていません。

一つの例外は、マニュアルの中にありますが、そこでも明確な立場はとっていません。

マニュアルのその文章を紹介する前に、このことを理解する助けになるお話を先に紹介したいと思います。

それは、「毒矢の男の喩え(仏説箭喩経ぶっせつせんゆきょう)」です。

これは、種種の経典(中阿含経巻第60、第221経)に引用される有名な経です。

ある修行者が、坐禅をしていた所、いったい世間は変らないのだろうか、世界は有限の広さなのだろうか、死んでも魂は有るのか等、いろいろ考え出して、とうとう我慢できなくなってしまいました。

そこでついに、世尊(釈迦)にお聞きしたのですが、だいたいお前は、何よりも大切な事を考えずに、役にも立たないことを考えて、何をしているのだと、たいそう呵られてしまいました。

世尊は、比丘びく(修行者)たちに、ある毒箭どくせん(毒矢)に射られた男について喩え話をされました。

ある人が毒をぬった矢で射られたとしよう、その人が治療をしようとする人に、誰がこの毒矢をわたしに射ったのですか?

バラモンの人ですか?王族の人ですか?一般の人ですか?

それを知るまでは、わたしはこの矢は抜かない。

また、わたしを射った人の肌はどんな色ですか?黒く焼けた人ですか?色の白い人ですか?

それを知るまでは、わたしはこの矢は抜かない。

また、わたしを射った人はどこに住んでいますか?この町ですか?それとも隣の町ですか?

それを知るまでは、わたしはこの矢は抜かない。

また、わたしを射った矢の柄はワシの羽ですか?タカの羽ですか、それともクジャクの羽ですか?

それを知るまでは、わたしはこの矢は抜かない。

と言ったら、矢を射られた者は、その答えを知らないうちに死んでしまうであろう。

それと同じように、真理を教えている人が、そのようなことを教えていないのに、

「教えていない回答を聞くまでは、修業をしません。」

という人がいれば、その人は永遠に教えを聞かないまま死んでいってしまうであろう。

さらに世尊は修行者に伝えます。

わたしは

「世界に終わりがあるのか?」

「世界は無限か?」

「生命と身体は同一か?」

「ブッダは死後存在するのか?」

など教えません。

わたしは生きているものには、老いがあり、死があり、悩みや苦しみがあり、その悩みや苦しみの解決を教えているのです。

それゆえ、わたしが教えなかったことは、教えていないこととして認識しなさい。

わたしが教えていることだけを理解するようにしなさい。

ではなぜ、わたしは

「世界に終わりがあるのか?」

「世界は無限か?」

「生命と身体は同一か?」

「ブッダは死後存在するのか?」

など教えないのか。

このようなことは、目的にかなわず、清らかな行いにならず、煩悩の消滅、心の安らぎ、優れた智慧、正しい悟り、涅槃のために役に立たないから、わたしはそのようなことは教えません。

修行者よ

「これは苦である」

「これは苦がでてくる原因である」

「これは苦の消滅である」

「これは苦の消滅に導く道の実践である」

この苦の解決の四つの真理である「四諦したい」をわたしは教えます。

目的にかない、清らかな行いになり、煩悩の消滅、心の安らぎ、優れた智慧、正しい悟り、涅槃のために役に立つから、わたしは四諦を教えるのです。

世尊の教えをしっかり理解した修行者は喜んで修行を続けました。

仏説箭喩経ぶっせつせんゆきょう

このように、あなたの心の平安を取り戻すことが最大の目的であるのに、その解決手段と何の関係もないものに取り組んでも時間の無駄であるということです。

それどころか、自我によって後から作り出されたこの世界のあらゆるもの(偶像)を解決しようとすることは、それは時間の概念(輪廻転生)も含め、幻想を新たな違う幻想で塗り替えるようなものです。

過去のトラウマや、肉体の病を幻想のレベル(この世界が当たり前に使っている医療や心理療法といった治癒法)で解決しようとしても真の原因が取り除かれない限り、それらは一時的なために時間と共に新たな問題を引き起こしてしまうのです。

なぜなら、幻想である問題に対して、本当にそれが実在しているという間違った土台から間違った解決法という幻想を選ぶことで幻想をさらに実在化させてしまうからです。

こうして、問題を解決しているつもりが、実際はより一層悪化させてしまうことになります。

ですから、こうした実在しない偶像たちに焦点を合わせて執着し続けることは、あなたをさらなる苦しみの深みへと落としてしまうことになるです。

この世界の偶像のすべては、内なる真理をあなたに知らせずにおくために作り出された。またそれは、完全で幸福であるためには自分の外にあるものを見つけなければならないという夢に対する忠誠を、維持するためでもあった。平安を期待して偶像を崇拝しても無駄である。神は内側に宿り、あなたの完成は神の中にある。いかなる偶像も神に取って代ることはできない。偶像に頼ってはならない。あなた自身の外を探してはならない。(T-29.7:6)

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究極の意味では、輪廻転生は不可能である。過去も未来も存在しないのだから、一度であろうと、何度も繰り返してであろうと、肉体として生まれてくるという概念には何の意味もない。それならば、真の意味においては、輪廻転生は真実ではあり得ない。私たちの唯一の問いは、「この概念は助けになるかどうか」でなければならない。そしてそれはもちろん、それが何のために使われるかということにかかっている。もし生命の永遠性の認識を強めるために用いられるなら、それは確かに助けになる。輪廻転生に関するそれ以外の問いは、道を照らすのに役立つだろうか。他の多くの信念と同様、それもひどく誤用される可能性がある。少なくとも、そうした誤用は、過去への没頭をもたらし、さらには過去にまつわるプライドすらもたらすかもしれない。最悪の場合は、現在に無気力を引き起こす。その中間においては、おびただしい種類の愚かなことが起こり得る。輪廻転生は、いかなる状況下においても、今、対処すべき問題とはならない。仮にそれが、個人が今直面しているいくつかの困難の遠因であるとしても、彼の課題は依然として、今、それらから脱出することだけである。仮に彼が未来の人生のための基礎を築きつつあるのだとしても、自分の救済のために何かを為し得るのは、やはり今だけである。ある者たちにとっては、この概念が慰めになることもある。そしてそれが彼らを元気づけるのなら、そこに価値があることは自明である。しかし、救済への道は、輪廻転生を信じる者によっても信じない者によっても見出されることは確かである。したがって、この概念をこのカリキュラムに不可欠なものと見なすことはできない。現在を過去の観点から見ることには、常に何らかの危険が伴う。(M-24.31)

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けれども、確かに、私たちがここに来たのはこれが最初ではなかったと示唆するようなことが多くの箇所で述べられています。

千年の歳月を省くことができると述べているのは、実際多くの人生を省くことができると言っているのです。

ということであれば、あなたには対人関係の特定の領域において表現されてきた罪悪感という巨大な問題があるという意味になります。

あなたが絶え間なくやっていることの中に、自分自身に対する憎悪と自分自身の分離を強化するような何かがある、という意味です。

普通の時間の長さにおいては、それを通過するのに十回の人生を必要とするということがあるかもしれません。

それを通過できるようになるまで、何度も何度も戻ってくるかもしれません。

けれども、もしこの難しい問題を解決することを選択して、それを別の見方で観ることができるなら、一回の人生でこの問題に取り組んで、消し去ることができるということです。

そして、この難しい問題というのは通常、世界が非常に厳しい問題と判断するような対人関係や状況のことであり、多くの痛みや苦悩や苦しみに満ちています。

そして、「別の見方で観る」というのは、要するに、あなたが自分は相手の被害者ではなく、自分自身の被害者でもないと認識するようになる手段なのです。

これが、このコースが時間を省けるとか千年もの歳月を短縮できるなどと言うときに意味していることです。

また、奇跡が「時間を廃する」とか「時間系を変更する」と述べるときにも意味していることです。

コースは時間の全域を廃することはしません。

そういうことは、一切しません。

では何をするのかと言うと、あなたが持っている罪悪感の巨大な問題を通過するのにかかったであろう時間を崩壊させるのです。

もちろん、時間についてのこの形而上的な考え方の全体を理解することは必要ありませんし、受け入れることさえ必要ではありません。

必要なのは、あなたが非常に難しく苦痛に満ちた状況に置かれたとき「その状況の中に自分のものとすべき目的がある」と気付くことです。

その目的とは、あなたが自分を被害者と観ないようにすることを学べるということです。

そして、それを学んだ度合いに応じて、その分だけ、あなた自身の中にあるこの罪悪感を癒すことができます。

それが、あなたに時間を省かせることになるのです。

時間とは何か? 時間の目的とは?(3/4)へ続く


あなたはもう一人ではありません。

なぜならあなたは神に創造されたままの完璧な存在として
今でも愛されているからです。

神の子にはどんな苦しみもあり得ません。

そして、あなたはまさしくその神の子であり、
それがあなたの「真の自己」なのです。

〜あなたの最奥の自己から愛を込めて〜 
リンプ


参考書籍


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