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つまらない理想 に ついて 「憧れ」 とは なんぞや

「水商売」って言葉、どう受け取られますか。

もちろん、そこに含む意味は非常に幅が広く、人によってまちまちかと思いますが。

私は漠然と、夜の街、風俗的な(この言葉も幅が広いが)を思い浮かべました。

どうしてこんな話かというと、自分が以前、この「水商売」に非常に興味を持ち、かつ一種の憧れを抱いていたからです。

今回は、ずうっとnoteの下書きに保存されていた記事です。多少のちぐはぐあるかと思いますがご容赦を。

こんな言い方をするとどうかと思いますが、当時の自分を振り返った時に、なぜ身近でない「水商売」に興味を持ち、憧れを抱いたのかについて、少し考えていました。

そして、本来そんな水準にないはずなのに、こういう生活、職業に憧れを抱くというのは結局、「自分の目標がないから」だと思うんです。


惰性で日々をこなしていく生活。高校生の時の私がまさしくそれでした。(なんという青春時代!笑)


もう、将来何になりたいとか思い付かないし、親がいたので生きていくために毎日、こんなにお金がいることも知りませんでした。恥ずかし…



「学校のシステムとかほんと意味ない」って良いながら、なんの行動も起こせず宿題に終われながら、ぐだぐだと自宅と学校との往復の日々

夢もなく、目標もなく、それなりに毎日過ごしながら、「大学生になったら自由が増えて劇的に変化するはずだ!」「はやく高校終わりてぇ…」そんな生半可な気持ちで過ごしていました。

しかも本当に恥ずかしいんですが、最近になるまで自分はいつか絶対メディアに取り上げられて、影響を与えられる人物になれるんだという謎の自信がありました。

もちろん誰にも言わんけど笑

そのくせ、何も具体的な努力はしていない。
歌ったり、ダンスの練習したり、はっきり喋る練習をしたりそんなことは一切なく。


では、なぜその有り様で、そんな夢みたいなことを思えたのかといえばやはり

①現実を知らなかったこと

②そして自分自身を客観視できていなかったこと、という以前にそんな勇気を持てなかったこと

があります。

まあ、逆にいえば客観視しなくても生きていけるような、それだけ穏やかで平和な環境に包まれていたということなのですが。

あとは「暇」だったってのもあるかな。

今回のnoteの内容は、もしかしたら素直に目指せなかった自分を正当化するための理屈かもしれません。

それでも、自分にないものではなく、「自分のまわりににあるもの」「自分が持っているもの」に目を向けてみるということを、教訓のようなお堅い言葉としてではなく、自分の実感を持って大切なことだと感じることができるようになったのは事実です。

それでも一回バーテンダーとかやっぱりやってみたいんだけどね。夜の街に憧れはある。
健康的な生活を送る&社会的地位保持のホストかキャバ嬢みたいなのできないだろうか。あっ、それただのローランドさんだ。

普通に考えて、人生80年、いやそれ以上!と言われる時代において、「10代なんてまだまだ」なのかもしれませんが、

今後の働き方を選択し、決める時期だと考えると、この10代で人生の多くが決まってしまうような気がしてものすごく焦ります。

漠然とした不安。

今は外出や活動を控えねばならないぶん、余計にもどかしい思いをしている側面もあるかもしれません。

どうにか打破したい。

それには、自分の行動しかないのだけれど。

その一方で、人並みに幸せに、趣味としていろいろ嗜みながら楽しく生きていければいいかもしれないという思いも最近は大きく出てくることが多くなりました。

難しいですね。自分の人生なのに。

ではでは

ここまでお付き合い頂きありがとうございました!

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