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「死にたい」と、しばしの間お別れすることになった。

折に触れて、「死にたい」を放ってきた四半世紀だった。

私の場合、いつだって「死ぬ行為自体への憧れや熱望」があったわけではなくて、「人生のこの先のページを描くのがめんどくさい」という意味だった。

別に、死ぬ瞬間を体験したいとか、あの世に行ってみたいとか、そういう純粋で(?)積極的な動機では無かった。

ただ、ひたすら、めんどくさかった。
「逃げたい」(逃げるのもめんどくさい)=「死にたい」だった。

本格的に「死にたい」と口にしはじめたのは、大学に入ったころ。
偏差値の高い国立大に現役で合格したころ。
素直に「嬉しい」と思う反面、なんとなくうっすら「おもんねえな」という気持ちがあった。

受験という競争に勝利したら、
次はきっと就活でまた競争、
社会に出て数十年もの戦争が確定。
※ただし、家庭は平和にすること。

夢中になる性分の自分のことなので、全てのチキンレースに対して、最上級の努力をする未来が見えていた。
想像するだけで、めまいがするほどめんどくさかった。

なまじ知恵をつけ、自分の在り方を相対化できるようになりはじめたころが一番揺れていた。頭が変になりそうなほどに。

誰に何を強制されていたわけでもなかったのに、果てしなく窮屈だった。

それでも時は過ぎていき、
私は某組織の行政職に就いた。
5人ほどの課で、親切な上司と先輩に丁寧に仕事を教えてもらった。
死ぬほどおもんなかった。
行政職はルールから逸れないように任務遂行する仕事。私が得意なやつのはずだった。
だが、驚いたことに、おもんな過ぎて、そのルールを覚える意欲がそもそも全然なかった。

とは言え、せっかく新卒で入庁したので、とりあえず様子見で毎日通勤していたが、苦痛は増すばかりだった。

毎日通勤電車の中で、周りの人を眺めて、「こいつら、毎日仕事してるやん。すごすぎ。」と思っていた。
自分も休まず毎日通勤しているのに、そういう感想を抱いていたのは、無意識に、もう通勤できなくなる予感があったからだと思う。

おどろいていた。
今までの20年間で、多くの人にできて、私にできないことなんて、なかったのに。

その後は、細かく書くと長くなるので割愛するが、結局私は1年目の冬にその仕事を辞めて一瞬フリーターになり、翌年度は臨時講師として働いた。今年度は教採に合格して教諭として働いていた。(なんだか焦っていたような気もする。)

しかし、本年度そうそうに適応障害になり今に至る。


現在、休職して2週間目に入ったが、
はっきり言ってすがすがしい。
ヤケクソではない。

なんやかんや一生懸命やってきたのに、2回も正規雇用で働くことに失敗し、いわゆる多数派の働き方・生き方への諦めがついた。

公務員を数年以内に2回も辞めるというジャンキーパワープレイを敢行しようとしている今、いい意味で、私のキャリアなんてツギハギだらけで今更取り返しもつかないのだから、毎月生活に困らない程度に好きにやろう。という覚悟が決まった。

「心からやりたいことだけやろう。」

ようやく、深く息を吸って吐いた心地だ。

そして、そんな実感にともなって「死にたい」(=逃げたい)気持ちも気づけば消失していった。もうほとんど見る影もない。

だって、逃げる必要がなくなったから。
不本意ながら必死に頑張る人生を、いま、
私の方から捨てようとしているから。

しばしの間、「死にたい」とはお別れだ。
(ついでに、「おもんない」と「めんどくさい」にもオサラバしたい。)

取り急ぎ、「死にたい」と溢しながら頑張って生きていた過去の私にお疲れ様と伝えたい。

ありがとうやで。

🦉

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