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掌編小説

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早高叶の掌編小説。気軽に読める短いもの。400字詰原稿用紙に直すと2枚から15枚程度の作品です。
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記事一覧

【掌編小説】お帰りなさい

【掌編小説】お帰りなさい

 戦場から兄が帰ってきた。
 まだ夏が居座っているかのような、けれど空は高くなってきた日曜の昼下がり。私は庭に面したテラスのテーブルで、色鉛筆を使って絵を描いていた。夢中になり過ぎていたのか、兄が錆びた門を開けるギイという音も、芝生を踏みしめる足音も聞こえなかった。
 気づいた時には「ただいま」とテーブルの向こうの、もう一つの椅子に腰かけていた。白いペンキの剥げかけた椅子が、キュイ、と独特のきしみ

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【掌編小説】綺麗な地獄

【掌編小説】綺麗な地獄

 ――この道は、地獄へ続いとるんよ。
 浜辺を歩いていると、ふいに声をかけられた。
 振り向くと、背の曲がった老人が、やわらかな笑みを浮かべて立っている。暑さしのぎの麦わら帽は潮風に吹かれて年季の入ったらしい濃い飴色、首元には長めの手ぬぐい、端っこが風にひらひらしている。木の棒をそのまま杖にしたようなものを砂につきつき、こちらへ近づいてきて、
 ――気ぃつけんと、いかんよ。
 と、続けた。相変わら

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【掌編小説】お化けが出てくる話 #2000字のホラー

【掌編小説】お化けが出てくる話 #2000字のホラー

「二十年、待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
 夏の暑い日、そう言い遺して妻は死んだ。病状が悪化して昏睡状態が続いていたのだが、ふと眼を開けて微笑していた。私が何とも答えられないうちに再び眼は閉じられ、もう開かなかった。
 まだ六十の手前で、随分早い死である。私のほうが年上だし男だし、先に死ぬものと決めてかかっていたので、やや裏切られた感があった。
 死んだら無になるだけだ。そうは思いつつ

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【掌編小説】特殊能力シリーズその3・父の歌 

【掌編小説】特殊能力シリーズその3・父の歌 

 私の亡き父親は特殊能力の持ち主だった。美しい歌声であらゆる人間を魅了することができたのである。
 船乗りたちを惑わして海に引きずり込んでいたという、古い叙事詩に出てくる例の半人半鳥と同じ能力だ。が、父は上半身も下半身も人間だったし、海より山が好きだった。そして何より、人前では決して歌わなかった。
 父の能力を知った人が「ちょっとだけ歌ってみてくださいよ」と興味本位で言ってくることもあったが、父は

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【掌編小説】特殊能力シリーズその2・魔の眼

 私の恋人Dは特殊能力の持ち主である。見たものを石に変えてしまう眼を持っているのだ。
 ギリシャ神話の英雄に首を斬られてしまった例の女怪と同じ能力だが、Dの髪の毛は蛇ではない。ストレートのつややかな髪が見事な、可愛いひとだ。もちろんうるわしいのは外見だけではなく、人当たりが良くて明るい性格も、私が彼女に惹きつけられた理由の一つである(彼女の美点を並べるときりがないのでやめておこう)。

「でも、結

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【掌編小説】特殊能力シリーズその1・火の手

【掌編小説】特殊能力シリーズその1・火の手

 私の親友Mは特殊能力の持ち主だ。右手で触れたものすべてに火をつけることができるのだ。
 能力封じの黒手袋をはめていれば日常生活に支障はないので、触れるものすべてが黄金になったとかいう例の王様に比べると、使い勝手が良い能力だと思う。

「こんな能力、何の役にも立たないよ」
 久しぶりに飲みに行ったら、Mの奴、ひどく愚痴る。
「どうした、急に」
「急にじゃない、結構ずっと思ってたさ。この現代社会の中

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掌編小説「水葬都市」

 その街は、白と黒と水とで出来ていた。
 
 小さな駅の改札口を出た広場からして、白い石が敷き詰められている。同じ列車で降りた黒い服を着た人々が、立ち止まる私に背を向け、影のように静かに歩いてゆく。
 お気に入りの花柄のワンピースに麦わら帽子の私は、おそろしくこの場所にそぐわない。引き返したくなったけれど、自分を励まして広場を突っ切り、その先にある橋を渡った。橋も白い石造りで、サンダルがかつかつと

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掌編小説「五月の旅路」

掌編小説「五月の旅路」

 学校の裏庭にある池に、幽霊が出るという。五月の黄昏時にだけ、池のほとりに姿を見せる、と。
 そんな噂が校内でささやかれていた。真偽を確かめてみようと、とある放課後、私は裏庭に向かった。

 創立百年を超えた、中高一貫の女子校である。ほとんどの建物は近年に建て替えられているけれど、敷地のそこかしこに古い歴史が淀んでいるのがふとした拍子に目に付く。
 たとえば裏庭へと続く、校舎と校舎の間のこの細い道

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掌編小説「四月のあの子」

掌編小説「四月のあの子」

 四月になると、居場所がない。
 そういう子どもは、必ずいる。いつの時代でも。
 ほら、たとえばあの女の子。名前は、佐藤さん。放課後、四年三組の教室で、ほおづえをついて窓の外を見ている。
 知っているよ。仲良しだったあの子やこの子とはクラス替えで離れ離れ。同じクラスにはまだ仲良しがいない。
 隣のクラスになったあの子、「帰りは一緒に帰ろうね」と約束してたのに、新学期も三日目になると、新しくできた友

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掌編小説「髪飾り」

掌編小説「髪飾り」

 数年前の話だ。
 姉家族と一緒に、大阪のT市北部にある渓流へ遊びに行った。街中から車ですぐだが風光明媚な所で、花見の名所でもある。しかしその時は三月の初め頃でまだ風も冷たく、桜の木々にはつぼみ一つ見えなかった。
 姉夫婦には当時四歳になる娘がいて、僕を「おにいちゃん」と呼んでよくなついてくれていた。川のそばの広場で弁当を食べた後、僕と姪っ子は小さなゴムボールで遊んでいた。
 と、ボールがあらぬ方

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掌編小説「カフェの二階」

掌編小説「カフェの二階」

 古い引き戸を開けて一歩足を踏み入れると、どこか懐かしいにおいがした。そのまま玄関口でぼんやりたたずんでいると、
「――ごめんなさいね、今、満席で」
 ものやわらかな声をかけられた。入ってすぐが二畳ほどの取次(とりつぎ)の間、その向こうに板敷きのカフェスペースが広がっている。床はよく磨かれて深い飴色に光っていた。四人がけのテーブルが二つと、カウンターは五席。確かにどの席もお客でいっぱいだ。
 カウ

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掌編小説「僕と鬼と」

掌編小説「僕と鬼と」

「私ね、昔、人を殺しかけたことがあるんですよ」
 居酒屋のカウンターで隣り合わせた男が、ふいに話しかけてきた。
「はあ。人を……」
 ハイボール二杯を空けてすでに酔いの回っていた僕は、ぼんやりと返事をした。冷めかけた唐揚げをかじりつつ、男の顔を見やる。
「ええ。もう、二十年も前になるかな……」
 独り言のように、しかし僕の耳にはきちんと届くように呟く男は、五十代半ばか、もう六十を越えているか。日に

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掌編小説「漕ぎ来るひと」

 家の裏の雑木林を抜け、山の細道を駆け上がる。セーラー服のスカートが、藪から突き出た小枝に引っかかった。
「本当に、もう……」
 文句を言いながらそれを外したところで、こらえていた涙が、ぽろりと一粒こぼれた。
 ずっと我慢してきた。学校にいる間も、帰宅中も。家に帰って部屋に鞄を放り込んで、そのまま再び飛び出してきた。もういいよね、泣いても。
 頬を伝う涙をそのままに、落ち葉の降り積もった道をさらに

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掌編小説「月と恋文」

掌編小説「月と恋文」

 手紙が届いた。何十年も前に別れた女からだった。お互い深く思い合っていたが、添い遂げられなかった女だった。

 ――たいそうご無沙汰しております。
 覚えておいでですか。あの秋の夜のこと。綺麗な満月の夜でしたね。
 小さな風呂敷包み一つ持って、親の目を盗み、家を抜け出しました。待ち合わせは、村外れのお地蔵様。よく来てくれたね。そうおっしゃる貴方の声は、震えていました。
 その夜のうちに隣町まで逃げ

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