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#256 茶道に学んだ「基本」の重要性と扱い方

この状況でお稽古はずっとお休みしてしまっていますが、お茶を習っています(いました?)。仕事とは全く違う世界ではあるのですが、時にハッとさせられることがあったりします。今日はその1つ「型」と「形」についてメモ。


1、茶道の点前は合理的&明確に定義されている?

だたお茶を飲むだけのことに、多大な労力と時間をかける。
むしろ不合理では?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

また、そもそもゆったりと雰囲気を味わうものだろうから、「合理的」とかは関係ない世界でいいのではないか?とお感じの方もいらっしゃるでしょう。

ともにその通りなのですが、先人たちが数百年に渡って洗練させてきた点前(手順ですね)はとても合理的です。

なぜこの順番でなければならないのか、なぜここに置かないといけないのか、は全てその前後との依存関係やその点前の目的からして説明できないのものはないと言われています(私が習った点前はまだ一部なので伝聞ですいません)。

点前はちょっと説明しにくいので、例えばお辞儀

丁寧にしているだけ、とも見えるでしょうが、実はお辞儀には真・行・草(しん・ぎょう・そう)の3種類あって場面によって使い分けられているのです。

☑️ 真のお辞儀:最も丁寧なお辞儀。亭主と客がともに礼をするとき、客がお茶をいただくときなどにするお辞儀。
☑️ 行のお辞儀:客同士の挨拶のときなどにするお辞儀。
☑️ 草のお辞儀:亭主が点前座で挨拶するときのお辞儀。

ふーん、というところでしょうが、実は、「最も丁寧」とか「中くらい丁寧」といった曖昧な定義ではなく、3種類のお辞儀はそれぞれ明確に定義されています

☑️ 真のお辞儀:指先から手のひらが全て畳につくようにします。上体は頭だけが下がることのないように、胸と膝との間が少しあくぐらいに下げます。
☑️ 行のお辞儀:上体を倒しながら、指の第2関節までが自然に畳につくようにします。
☑️ 草のお辞儀:上体を軽く倒しながら指先が畳につくようにします。

人によって解釈が異なる「丁寧に」ということではなく、誰が見ても誰が聞いてもわかるように定義されているのです。

このように、茶道の点前というのは実に合理的に、明確に定義されているもの、なのです。


2、なぜ明確に、細かく定義されているのか?

なぜお辞儀1つとってもこのように細かく定義されているのでしょうか?

それは、武道でもそうですが、「型」が重視されていることが理由です。

ではなぜ「型」が重視されるのでしょうか?

守破離(しゅはり)」という言葉があります。
茶道では以下のような意味で使われます。

☑️「守」:教わった作法を守り、繰り返し稽古して基本を身につける段階。
☑️「破」:「守」で習得した基本を応用する段階。
☑️「離」:基本に囚われない自由闊達な境地。

もちろん、最も重視され大事だとされるのは「守」の段階です。
基本となる「型」を身につけなければ次の段階へは進めません。

「型」を身につけるには、繰り返し繰り返し自分の体に覚え込ませる過程が必要です。意識せずとも体が次の動作に移れるようになるまで「型」を繰り返すのです。

その段階まで来れば、お客様の動きを見たりする余裕ができますから、周りの状況に応じて点前のスピードを調節したりできるようになり、次の段階へ進めるのです。

このように全ての基本となる「型」ですから、明確に細かく決められる必要がありますし、どこにも引っかかりや違和感がないよう、とても合理的に決められているのです。


3、まとめ

いかがでしたでしょうか?

基本が大事だ、というありがちな話ではあるのですが、ありがちではない、重要なポイントは、基本となる「型」が合理的に、明確に、細かく定義されていることです。

仕事でもよく「基本が大事」と言いますが、その「基本」は果たして合理的でしょうか?明確でしょうか?詳細に定義されているでしょうか?

例えば、聞くたびに違ったり、人によって違ったりしないでしょうか?

そんな堅苦しい、と思われるかもしれませんが、「大事」といっている基本がふわふわ動いてしまうものでいいのでしょうか?

そんなレベルな「基本」であれば、そもそも「基本が大事」などと言ってはいけないでしょう。

当たり前に使いがちな「基本」という言葉ですが、その重要性と扱い方を、茶道のお稽古から学びました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

なにか参考になるところがあれば嬉しいです。

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