信仰と伝統~合理性とアイデンティティ~
※note会員でない方もご購入いただけます。
メンバーシップ購読者の方は、このままお読みください。
+++++
近年、「コスパ(コストパフォーマンス)」や「タイパ(タイムパフォーマンス)」などの考え方が、世間に浸透しつつあるものと思う。
これらはあくまで代表例であって、世間の風潮として「 "合理性" や "効率性" が広まり始めている」というのが本質なのではないだろうか。
これ自体は、決して悪い風潮であるとは言えないと考えている。
私自身、モノを買う際には "コスパ" を考えて買うようにしているし、"タイパ" を考えて動画を倍速視聴するなどしている人間でもあるのだ。
しかし、これを "伝統" に適用する向きに関しては、これは健全でないと考えている。
たとえば、「祭り」に対して合理性を理由に廃止を訴えたり、「天皇」について合理性を理由に断絶を訴えたり。
「祭り」や「天皇」など、"伝統" と呼ばれるものは『信仰』とも言うことができ、「合理性」や「効率性」と対局に存在するものであろうと思う。
本記事では、「 "伝統" と "信仰" 」について考えてみたい。
効率的な人生を追い求めるこの時代においても、"伝統" や "信仰" という人類が連綿と紡いできた叡智に想いを馳せることは、世界を見る目を深く、そして広くし、人生をより豊かに生きることへ繋がるのではないかと思う。
+++++
古来、人類は "信仰" の氣脈(人々の心・想いの繋がり)をつくり上げ、永きにわたって紡いできた。
これは日本人も例外ではなく、いや、日本人こそ "信仰" と非常に密接な生活を送っていると言えるかもしれない。
よく日本人は「無宗教」であると言われるが、これは『無信仰』を意味しない。
日本人の "信仰" として最も代表的かつ深く浸透しているのは、
ここから先は
この記事が参加している募集
「政治初心者の教科書」シリーズは無料公開なのですが、数万、十数万字にわたって、より深く、詳細に解説するには書籍や文献を漁る必要があり、財布が常に火の車です。 100円~10,000円の間で任意の金額を設定していただけますので、どうかご支援のほど、何卒、よろしくお願いいたします。