日出ずる処の天子“神話は今も生きている”『古事記』ことの葉綴り 八六四
『古事記』の物語は……
おはようございます。昨日今日と雨模様ですね。蒸し蒸しとしていますが、気温はちょっと低いので助かりますね。と、昨夜、旅から戻ったので、今朝は、noteに向かうのが遅くなりました。
さて、七月十三日(水)の暦は六曜が「友引」で朝と夕が吉。って、朝、終わってしまいますね。(苦笑)。
十二直は「成」で物事が成就する日。新しいことを始めるのに吉です。種まき、開店開業、建築、引越し、旅、婚礼もよしの日です。
二十八宿は「壁」で、やはり旅行、開店開業、婚礼、建築、衣類の仕立てって、今だと新調や購入によしですね。そして、ご神事やお参り、ご先祖供養によしの「神吉日」です。
神話の物語。『古事記』前回で最後まで行ってしまいました!(笑)。
<note「ことの葉綴り」振り返り>
「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。
推古天皇さまと、皇太子・聖徳太子さまの偉業
初の女性天皇となられた第三十三代推古天皇さまは、三十七年間にわたり、天下を治められました。
ここで、『古事記』は、終わりを迎えています。
そして、皆さんご存じの、聖徳太子さまが、皇太子として、摂政となられ、この御世に私たちも歴史の授業で学ぶ施策をおこなわれていきますね。
まず、大きかったのは、仏教の広まりですね。
そして、「冠位十二階」を制定されて、大伯父にあたる蘇我馬子とともに、これまで、「大連(むらじ)」など氏族により定められていた姓(かばね)による「世襲制度」から、個人の功績、能力、才能、忠誠心により冠位があたえられるようになりました。
続いて聖徳太子さまは、初の「十七条憲法」も制定されました。
このとき、暦日も用いられたそうです。
また、小野妹子をはじめ、海を越えて留学生をおくる「遣隋使」を派遣され、そのとき、有名な「日出づる処の天子……」としたためた書を送ります。
ところが、蘇我馬子の力が強くなり過ぎことから、この「遣隋使」を派遣されたあと、一線から退かれて、飛鳥の地から、斑鳩へとお引越し(今だと“移住”されて)仏さまの道へまい進されたんですね。
そして49歳(50歳)の若さで、天然痘により亡くなられます。
今も生きる聖徳太子さまへの信仰
皇太子で、すばらしい摂政でありながら、次の天皇へとご即位されることはありませんでした。
聖徳太子さまが、亡くなられたあと、一族は滅ぼされてしまいます。
誰に?
蘇我馬子の孫の、蘇我入鹿によってです……。
和の心の大切さを説かれた太子さま。
調和、思いやり……今の時代、希薄になっているものですね。
けれど、聖徳太子さまが建立されたという
「四天王寺」(大阪)「法隆寺」「広隆寺」(奈良)などは、今もしっかり現存しています。
昨年、令和3年は、聖徳太子さま1400年遠忌で、盛大な法会が行われました。
先日、「世界遺産法隆寺―1400年の歴史遺産を未来へ」とクラウドファンディングをされて、目標額「2千万」をすでに超えて、1憶3千600万円以上が集まっています。
聖徳太子さまも、喜んでいらっしゃるでしょうね。
『古事記』終わり
話が、『古事記』からそれてしまいましたが……(苦笑)
私自身、神代の神話の物語から、はじまり、たくさんの神さまのお話を、学びながら、神話の世界を楽しんできました。
どの神さまも、決して完璧ではなく、だからこそ、とても魅力にあふれ、愛らしく、喜び、悲しみ、ときに怒られて……また恋をして、裏切りもあり……ほんとうに、今を生きる私たちと同じように、苦悩もされて、だからこそ、神話の神様の物語には、私たちの生きるヒントが、溢れている気がします。
これだけ続いたのも、皆さんのおかげです。
いつも、本当にありがとうございます。
また次から……さて、何を綴ろうかな~(笑)
『古事記』は、いちおう、こちらで終わりです。
『古事記』編 ―完―
―次回へ。
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