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皇子 小碓命を恐れ遠ざける父 景行天皇 其の十 神話は今も生きている ことの葉綴り五二二

続く酷暑。お大事に

こんにちは。noteの「ことの葉綴り」をご覧くださり、ありがとうございます。酷暑ですが。みなさん、お変わりありませんか?
在宅しながら、それぞれ楽しみをみつけて、元気に過ごしましょうね。私は、毎日、テレビでオリンピックを楽しんでいます(^^)

さて、早速、神話の物語に入ります。

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<「元伊勢編」マガジン追加しました>

「ことの葉綴り」は、神話の、「神さまも“失敗して成長した”」「“神話は今も生きている”」と、どこかユニークで魅力的な神さまごとの物語編と、ときおり綴る「エッセイ」編。
そして、最近まで綴っておりました、伊勢の神宮ができるまでの「元伊勢」編で、「マガジン」で分かれています。
今回、『元伊勢編』の新しいマガジンを追加しました。



それ以前の「元伊勢」編マガジンはこちらです。
「元伊勢」編、合計、187本の記事となります。
よかったら、「伊勢のこと知りたい」と思われたときに、お時間あるときにまとめて順番にお読みいただければ幸いです。
みなさんのおかげで、続けております。
ほんとうにありがとうございます。


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息子を恐れ、遥かなる地へ遠ざける父

第十二代、景行天皇(けいこうてんのう)の御代の物語
太子(ひつぎのみこ)の一人、小碓命(をうすのみこと)。
父で天皇のお妃を横取りし、朝廷の儀礼にも顔を出さなくなった兄の大碓命(おほうすのみこと)の天皇への非礼を許せないでいました。
そんな折、景行天皇から、「そなたが、兄を、“ねんごろ”に教え諭せ」と、命(めい)を受けた小碓命(をうすのみこと)は、「父、天皇(すめらみこと)のために」という忠実な一心で、兄を“成敗”します。
それは、父の望んだ「教え諭す」こととは、違い、兄、大碓命(おほうすのみこと)の命を奪ったのです。

その報告を受けた天皇は、息子の小碓命(をうすのみこと)の、兄を殺めたあまりの猛々しさ、凶暴さ、荒々しい気性を恐れられました。
「このままにしてはおけぬ」と、すぐさま、宮中からも、我が身からも、小碓命(をうすのみこと)を、遠ざけられたのです。

そこには、熊曾(くまそ)討伐という“大義名分”の理由をつけて……。

小碓命(をうすのみこと)よ、九州の西の方、熊曾の国に、朝廷に服従していない、勇壮な熊曾建(くまそたける)という兄弟がいる。やつらは不敬叛逆の者どもだ。討伐して命を取ってくるのだ

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父、天皇のために身命を賭して!

敬愛する父からの命に、小碓命(をうすのみこと)は、身命を賭して、天皇の命を果たす覚悟をします。

このとき、小碓命(をうすのみこと)は、まだ額のところで髪を結っているまだ十五~六の幼さも残る少年です。
その少年に、遠い遠い九州の地の、勇猛な強者征伐へ向かえと、命を出されたのです。

小碓命(をうすのみこと)は、父からの命を受けると、父の妹で、伯母で、伊勢の神宮に仕える倭姫命(やまとひめのみこと)の御衣御裳(みそみも=衣裳)を譲り受けて、剱を懐におさめて、遥か熊曾の国へと向かっていきました。

『古事記』では、景行天皇の物語ですが、ここからは、小碓命(をうすのみこと)こと、倭建命(やまとたけるのみこと)の物語となります。そこで、タイトルも、次回からは、倭建命(やまとたけるのみこと)にいたします。

景行天皇の御代には、朝廷の御料田をつくる民の「田部(たべ)」や、「東の淡水門(あづまのあはのみなと)」という現在の神奈川県三浦御崎と、千葉県の安房郡との間の海の門を開かれて、
さらに、宮廷の料理人「(かしはで)」の大伴氏をお定めになり、
この定められた「田部」が働き「御料田」での米作りをし、収穫したお米を収める倉「屯倉」や、その官舎をも定められました。

また、奈良県磯城郡に坂手池(さかてのいけ)をつくり、その池の畔に竹を植えられました……と、あります。

はるか九州の熊曾まで、旅立っていった少年、小碓命(をうすのみこと)。無事に役目を果たすことはできるのでしょうか。

この役目を果たせば、父もお喜びになられるだろう
十五の少年は、父、景行天皇に、遠ざけられ、恐れられているとは露にも思わず、使命を果たして大和に戻れば、父に喜ばれるはずだと、信じて疑わなかったのです。

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―次回へ
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