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蘇我氏の勢力 仏教伝来を巡り 敏達天皇さま“神話は今も生きている”ことの葉綴り 八五九

平らかな吉日

おはようございます。昨日の七夕、どう過ごされましたか? 雨にならなかったのは久しぶりな気がするのですが……皆さんの願いが叶いますように!
さて七月八日(金)の暦は、六曜は「先負せんぶ」で、午後は吉。万事に平静で控えめが吉。十二直は「たいら」で、字のごとく、ものごとが平らかになり、平等円満になるとされる日。地固め、柱を立てたり、壁を塗ったりと建築系が吉。旅行、引越し、お祝い事、相談ごとも障りなし。
二十八宿は「ぎゅう」で、二十八宿のなかで、鬼宿日の次の幸運日! 引っ越し、旅行、お金の相談などすべて吉。
一週間が早い気がします。猛暑にも気を付けながら水分補給して体力キープしたいですね。

さて、『古事記』もかなりの終盤になりました。
その続きを……宜しくお願い致します。


<note「ことの葉綴り」振り返り>

これまでの「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。



敏達びたつ天皇さまの系譜 まとめ

第三十代、敏達びたつ天皇さまは、母違いの妹で、初の女性天皇となる推古すいこ天皇こと、豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことを皇后さまをふくめ四柱の妃と、十七柱の御子をもうけられました。

豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみこと(のちの推古すいこ天皇さま)と間に、八柱の御子。
一)        靜貝王(しづかひのみこ)、またの名を貝鮹王(かひたこのみこ)
二)        竹田王(たけだのみこ)、またの名を、小貝王(をかひのみこ)
三)        小治田王(をはりだのみこ)
四)        葛城王(かづらきのみこ)
五)        宇毛理王(うもりのみこ)
六)        小張王(をはりのみこ)
七)        多米王(ためのみこ)
八)        櫻井の玄王(さくらいのゆみはりのみこ)

他のお妃との間には……
九)布斗比賣命(ふとひめのみこと)
十)寶王(たからのみこ)またの名は、糠代比賣命(ぬかでひめのみこと)
十二)坂騰王(さかのぼりのみこ)
十三)宇遲王(うぢのみこ)
十四)難波王(なにはのみこ)
十五)桑田王(くわだのみこ)
十六)春日王(かすがのみこ)
十七)大俣王(おおまたのみこ)

御子は全部で十七柱となります。


太子ひつぎのみこ日子人の太子をさかのひこひとのひつぎのみこの子が天皇に

この中に太子ひつぎのみこと名のつく、忍坂の日子人の太子をさかのひこひとのひつぎのみこが、母の違う妹の、糠代比賣命ぬかでひめのみことを娶り、生れたのが、

一)後に、岡本宮にて、天の下を治められた天皇さま、|舒明《じょめい》天皇さまです。
二)中津王(なかつのみこ)
三)多良王(たらのみこ)

また、日子人の太子ひこひとのひつぎのみこが、母の違うの、大俣王おおまたのみこを娶り生れたのが、
四)智奴王
五)桑田王

同じく日子人の太子ひこひとのひつぎのみこが、母の違う妹の櫻井の玄王さくらいのゆみはりのみこを娶り生れたのが
六)山代王(やましろのみこ)
七)笠縫王(かさぬいのみこ)

以上の七柱となります……第三十代、敏達びだつ天皇の孫ですね。

そして、第三十代、敏達びだつ天皇の御陵は、川内の科長にありま……
と、されます。
敏達天皇 河内磯長中尾陵』(びだつてんのう こうちのしながのなかのおのみささぎ)です。


蘇我氏の勢力と仏教伝来を巡り……

この敏達びだつ天皇の御世の大きなトピックは、古代豪族であった物部氏、中臣氏と蘇我稲目が、仏教伝来を巡り争ったことですね。
仏教伝来でしょうね
やはり蘇我氏の権勢の凄さですね。
父の欽明天皇の妃蘇我稲目の娘が二人もおり、また皇后(のちの推古天皇)も蘇我氏の母を持ち、稲目の孫にあたりますもんね。

また、第三十代、敏達びだつ天皇さまのあとの皇位を継承したのは、太子ひつぎのみこ日子人の太子をさかのひこひとのひつぎのみこさまではありませんでした。
敏達びだつ天皇さまの、母の違う兄弟で、第二十九代欽明きんめい天皇蘇我稲目の娘の妃の御子たちです。
日子人の太子をさかのひこひとのひつぎのみこさまの皇子が、皇位を継承されて、第三十四代舒明じょめい天皇さまになるのは、まだ先のお話。

時代は、すごい勢いで動いていきます。

―次回へ。

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