七色の龍と倭姫命さま 元伊勢二七 神話は今も生きている ことの葉綴り三五三
水神さまへ祈る、横手のかまくら
こんばんは。今日は日暮れから「ことの葉綴り」に向かいます。
二月十五、十六日は、秋田県の横手市の真冬の風物詩「横手のかまくら」。水神さまをお祀りする小正月の行事として四百年以上の歴史があるのです。
もともとは、「かまくら」の中にお祀りされた水神さまにお参りをして、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣を祈願します。それが、時代とともに、観光客の人へのふるまいへとなったのですね。
今年は、コロナ禍で、規模を縮小するそうです。
例年は、横手市内に百以上のかまくらをつくり、その中に子供たちがいて「はいってたんせ」「(水神さまを)おがんでたんせ」と呼びかけながら、甘酒やおもちをふるまってくれるのです。
あ~また、一度は行ってみたいところを見つけちゃいました(笑)
そして今回も、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となられた倭姫命(やまとひめのみこと)さまの「元伊勢」物語を続けます。
※これまでの1~343回までの、神代~の13の神話の物語のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。
御代替わり 第十一代垂仁天皇
倭姫命(やまとひめのみこと)さまの御巡幸は、
大和国「御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや)」を出発され、
大和国「宇多秋宮(うたのあきのみや)」「佐佐波多宮(ささはたのみや)」で四年間。
伊賀国「市守宮(いちもりのみや)」に二年間。
同じ伊賀国「穴穂宮(あなほのみや)」で四年間、
天照大御神さまをお祀りされました。
さて、次のご巡幸地はどこでしょう? ご一緒に旅を進めて参りましょう。
活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)の即位二年癸巳、伊賀の国の敢都美恵宮(あへつみえのみや)に遷りたまひ、二年斎き奉る。
こちらは前回までは、第十代、崇神(すじん)天皇の御代でした。そして、第十一代の、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)こと、垂仁(すいにん)天皇に御代替わりがあったようです。
垂仁天皇は、倭姫命(やまとひめのみこと)さまのお父様でもあります。
第十一代、垂仁天皇の神話の物語は、こちらをご覧くださいね。
(悲恋あり、お相撲の発祥があったり、お菓子の神様も登場します)
ちなみに、第十代、崇神(すじん)天皇は、天照大御神さまの初代の御杖代(みつえしろ)の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの父です。
伊賀「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」
第十一代の垂仁(すいにん)天皇が、御即位されて二年目の癸巳(みずのとみ)年、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、伊賀の「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」にお遷りになられて、二年間、天照大御神さまをお祀りされました。
倭姫命(やまとひめのみこと)一行は、三重県の名張市の名張川沿いの「穴穂宮(あなほのみや)」から、北東へ。柘植川に沿って進まれていきます。
この一行を覚えていますか?
「五大夫(ごたいふ)」、「大物忌(おほものいみ)」となった童女の大宇祢奈(おおうねな)、弟の大荒命(おおあれなのみこと)が」いましたね。
柘植というところに到着して、柘植川で禊をされて心身をお清めになられてから、「敢都美恵宮(あへつみえのみや)」に、御鏡と御剣をお祀りされました。
七色の龍の伝説
この日も、倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、柘植川で、大宇祢奈(おおうねな)とともに、禊をしていたのでしょう。
それを、警護するのは、「五大夫(ごたいふ)」の武日命(たけひのみこと)です。
この武日命(たけひのみこと)に、白い衣を着た老人が近寄ってきて、こう声をかけてきたそうです。
「このお宮をお建てになられたのはどなたかな?」
武日命(ためひのみこと)は、
「活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのすめらみこと)の皇女で、天照大御神さまをお祀りされる倭姫命(やまとひめのみこと)さまです」と、答えます。
「さようでございましたか」
そういうと老人は姿を消しました。
するとすぐに、柘植川の水面に、七色に輝く高貴な龍神に姿を変えて現れたのです。
「龍神さまだったのか!!?」
武日命(たけひのみこと)は、驚き、すぐあとを追ったのですが、もう姿は見えなくなっていました……。
でも、この物語には続きがあったのですって!
―次回へ
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