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自分の在り方を探す大学生たちの物語。 今のところ短編集なのでお好きなところからお試しください。
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一言の寿命

 大学一年生という響きで初々しいと言われるが、もう19年も自分をしていて今更その言葉はしっくりこない。所属が変わるたびに初々しいと形容されるのはやりなおしのチャンスなのだろうか。ありがたいが数年おきに訪れる強制的なチャンスなんて余計なお世話だ。もしかしたら人間が経験を積み重ねるのを不都合におもう存在がいるのかもしれない。
 19年。
 今日で19歳になった。特に感慨もないし、誰から祝われることもな

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『一言の寿命』下

ただそれでも、もっともシンプルに自分の存在を許容してもらえたことが嬉しかった。どれだけ泣いても伝えきれないほど、嬉しかった。

前回はこちら。

***

 すっと奪われたのは既に少し冷え始めていた一本目の缶で、手から離れていく滑らかな感覚を追うように振り返ると長い黒髪が数歩先を揺れている。
「ちょ、何してるんですか」
「それお誕生日プレゼントね」
 ふふ、と笑う学科の先輩は寒さで頬がほんのり染ま

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『一言の寿命』上

 大学一年生という響きで初々しいと言われるが、もう19年も自分をしていて今更その言葉はしっくりこない。所属が変わるたびに初々しいと形容されるのはやりなおしのチャンスなのだろうか。ありがたいが数年おきに訪れる強制的なチャンスなんて余計なお世話だ。もしかしたら人間が経験を積み重ねるのを不都合におもう存在がいるのかもしれない。
 19年。
 今日で19歳になった。特に感慨もないし、誰から祝われることもな

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僕が子どもをやめた日

僕が子どもをやめた日

※不快な恋愛に関する話を含みます。苦手な方はお気をつけください。

「愛が人を救うなんて言ってたら一生救われないんだよ、無償の愛なんてもう手の届かないところにあるんだから」

広い部屋を空き瓶だらけにしている、ほろ酔いの自分と泥酔の彼。なぜこうなってしまったのかと後悔し始めていた。本当は店で飲むつもりだったが自分の家にして本当によかった、細身の自分では彼を抱えて家まで送るのは面倒だっただろう。目元

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嗚呼、無関心の愛よ

嗚呼、無関心の愛よ

中身の入ったビニル袋の潰れる音がした。

レースカーテンのあちら側、ベランダの真ん中で風に揺られる白いコンビニ袋。

何事かとベッドの上で身を強張らせていると、次は先ほどより鈍い、人間の潰れる音がした。

絵の具を溢したような夏空から落ちてきた彼はしばらくして起き上がり、眉間にしわを寄せこちらを見た。

身動きできなかった。

その人はよく知る人間だった。同じ学科の、唯一といっていいほどに気を許し

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墨色を拭って、悲しみを洗って

墨色を拭って、悲しみを洗って

雨に温もりがあるとしたら君のおかげで、雨の雫が冷えていればそれは僕のせいだ。

バスは先日少しの期待を胸に進んだ道を、今日は虚しさを纏って逆から辿っていく。

この路線のバスに乗ることはもうないだろう。

街並みも。人も。もう見ることはない。

帰る先とこの街とは離れていると思い込みたくて、来るとき快速バスには乗らなかった。そして帰りもその気持ちは変わらなかった。

視線を少し右に動かすと、窓ガラ

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水晶を砕く

水晶を砕く

あの子、お前の好きなもの聞いてきたよ。

にやにやしながら国家機密よりも価値のある情報を教えてくれた友人は「おれにも早めにプレゼントくれたよ、お世話になってるからって言ってたけどお前のためのジャブだよなぁ」と少し拗ねていた。

お前がクリスマス付近はパーティとかプレゼント交換とかでバレンタイン並に忙しくて近寄れないからじゃないか、と茶化すと、今年は論文でそれどころじゃないさ、と遠い目で外を見ながら

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あなたにもうひとつ名前をあげましょう

あなたにもうひとつ名前をあげましょう

良かれと思って声をかけたが、後輩にこっぴどく拒絶されてしまった。

ありがた迷惑、検討外れ、自己満足、浅慮、愚か。

後悔したところで何にもならない。

夜中に大学の研究室を抜けてきて、非常階段下の喫煙スペースで頭を抱えて煙草を灰に変える。

「先輩、おれは誰かを愛してやれないのでしょうか」

「どうしてそう思うの」

壁に背を預けしゃがみこんでいるので頭上から声が降ってくる。事情を知らない先輩の

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双眸は逃げられない

双眸は逃げられない

わたしは頭が悪かった。

昔からそうだ。頭も悪ければ要領も悪い。

なにかひとつ取り柄があればいいと優しい両親から愛を注がれてみたものの、なにひとつ花開かないままここまできてしまった。

それでも健康に笑顔で生きられれば素敵なことよ。

慰めの言葉をかけてくれる母の優しい表情に、わたしもこのようになりたいと思っていた。

歯を食いしばって手に血を滲ませて、地元の国公立大学の前期試験で落ちた。

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この灰は地図だったものです

学びとは自分の地図を広げていくものだと教えてくれたのは誰だったか。

賢くなって世の中や自分についての理解度が深まれば、容易く生きられる?

知識をつけて、思考力をつけて、そうして広げた地図は何を教えてくれる?

開いた地図の大きさに打ちひしがれて、真っ白な地図に怒りを覚えて、それでも足を休めるなと叱咤されて。

この世界の広さを理解できないほど愚かなら自分の小ささに怯えずに済んだのか。

この世

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黒を裂く涙

トンネルを抜けるとそこはトンネルだった。

そんなバカなと笑ってみたが、震えるその声は反響して自分に降り注いだ。

ここまでどうやって歩いてきたか、忘れられたらどれほどよかっただろう。

トンネルとトンネルの隙間から差し込むかすかな陽の光を、出口なのだと信じて歩いてきた。

ずっとずっと、はるか後方から。

この白い光に胸を躍らせて。

陽の光が射すところにトンネルがある時点で、どうやら全てがおか

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君の名は陽炎

救いを求めて手を伸ばしても、君の肩に触れることはできなかった。

喉を枯らして名を呼んでも、振り返ってくれることはなかった。

それでも、それでも。

君の名を呼ぶことは辞められないし、君の足跡に導かれて歩くのだろう。

眩んだこの目が光に慣れるまで。

はっと目を覚ますと、額に前髪が張り付いていた。

暑さでうなされていたようだ。

「目が覚めましたか」

隣から小声が耳をくすぐる。

汗を拭い

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一言の寿命

大学1年生という響きで初々しいと言われるが、もう19年も自分をしていて今更その言葉はしっくりこない。

19年。

今日で19歳になった。

特に感慨もないし、誰から祝われることもない。

地元を少し離れて進学したので知り合いもいないし、誕生日を自分から広めてプレゼントをねだれるほどの明るさもなかった。

すっかり冷えた指先を白い吐息で温めながら、自販機へ向かう。

氷のような小銭を入れ、しゃがん

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おれの呼吸を許してください

「おれはどうしようもなく死にたいと思っていますけど、そんなおれでも死んじゃいけない理由ってなんですか」

大学生活3年間を終えて、その美しさに魅了され、優しさを敬愛し、賢さに嫉妬し、もっとも尊敬している、卒業を控えたひとつ上の異性の先輩に投げかけるにはあまりに色気のない言葉だった。

彼女は少し伏し目がちに穏やかな呼吸を数度繰り返し、話し出す。

「君が死ぬと悲しむ人たちがいるからだよ」

「それ

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