水晶を砕く
あの子、お前の好きなもの聞いてきたよ。
にやにやしながら国家機密よりも価値のある情報を教えてくれた友人は「おれにも早めにプレゼントくれたよ、お世話になってるからって言ってたけどお前のためのジャブだよなぁ」と少し拗ねていた。
お前がクリスマス付近はパーティとかプレゼント交換とかでバレンタイン並に忙しくて近寄れないからじゃないか、と茶化すと、今年は論文でそれどころじゃないさ、と遠い目で外を見ながらホットコーヒーに口をつける。
その横顔は整っていて、学科内外の女性陣に人気があるのも納得だった。
大学四年の冬。卒業論文に追われている。
毎年縁のないイベントであるクリスマスだったが、今年ばかりはそうもいかなさそうだ。
クリスマスイブの日、講義が一通り終わった夕方。学内の噴水に腰をかけて時間を潰す。彼女は待ち合わせ時間の五分前に姿を見せた。
「行橋先輩、お忙しい中すみません、お時間いただいて」
駆け寄ってきた彼女はライトグレーのダッフルコートに身をつつみ、口元はマフラーに埋まっていた。目元だけでも笑っているのが分かるほどの溢れそうな笑顔が彼女らしい。文献とばかり向き合い固まっていた頬が思わず緩む。
「久しぶりだね。元気にしてた?」
「はい、めちゃくちゃ元気です」
きりっとした顔でガッツポーズ。微笑ましくて、ふふっと声が漏れる。
「少し歩こうか」
待ち合わせ場所だった大学構内の少し人通りが少ない噴水から、農学部が管理している森林の散歩道へ向かう。
「論文の進捗はいかがですか」
「悪くはない、かな」
「先輩らしいですね」
「どうして?」
「二階堂先輩は『余裕余裕!和臣よりはやばいけど!』って言ってました」
横顔の綺麗な友人のおかげで彼女の口から自分の下の名前を聞くことができた。鬱蒼とした木々に覆われ、まだ夕方だというのにすっかり暗い散歩道を選んだのは正解だったようだ、自分の表情がどうなっているのか気にしすぎなくて済む。
「書きたいものが違うから一概に比較もできないんだけどね、あいつは優秀だから大丈夫だろう」
「たしかに、おふたりとも頑張り屋さんですもんね」
頭がいい、と線を引いて褒めるのではなく日々の姿勢を認めてくれるこの子の温かみにどれほど救われてきたことか。
たったふたつ歳が違うだけなのに、どうしてこんなに眩しいのだろう。生育環境か生来の性格か、ここまで純粋にまっすぐに誰かと向き合えるのは彼女の強さだ。
「あまりお時間いただくのも申し訳ないので、良ければ受け取ってください」
ずっと彼女の片手にぶら下がっていた紙袋が差し出される。
「ありがとう。気遣わなくて良かったのに」
「いつもお世話になってますから」
「開けていいかな」
はい、という返事を聞いて近くのベンチに腰掛ける。彼女も少し距離を空けて隣に座った。
箱を開くと、紺色の手袋の掌の上に紅茶の個包装パックが綺麗に並んでいた。
ひとつひとつ味の違う紅茶をまじまじと見ていると彼女が気恥ずかしそうに言葉を添えた。
「論文の追い込みのお供にしてください」
「ありがとう、嬉しい。LUPICIAって聞いたことあるな」
「美味しいですよ、あと二階堂先輩から手袋持ってないと聞いたので」
「そうなんだよ、手袋買うタイミング見失って毎年指先冷やしてたんだ。大切に使うね」
へへ、とはにかむ彼女。手袋を取り出して箱を閉じ、紙袋に戻す。
できるだけ自然な動作を心がけて、トートバックから小さめの紙袋を取り出した。
「おれからも、ささやかだけど」
「わ、え、そんなつもりじゃ。なんだかすみません、気を使わせてしまいましたね」
「いや。渡したかったものがあったからいい機会だった」
「渡したいもの、ですか」
「開けてみて」
検討がつかない様子で小さな箱を取り出し、寒さで少し赤くなった細い指先が箱を開いた。
「か、かわいい!ブレスレットですか、嬉しいです」
綻ぶ笑顔。街灯のオレンジが白い頬を彩っている。
「喜んでもらえてよかった」
「この石、水晶ですか?」
ピンクゴールドのチェーンブレスレットの中央にいる石を掌にのせて不思議そうに見つめる大きな瞳。
「そう、クラッククォーツっていうらしいんだけどね。内側にヒビが入ってるの見えるかな。人工的に力を加えるんだって」
小さな手が大切そうにブレスレットを持ち上げて、街灯の光に当てる。
「本当だ、中できらきらしてすごくきれいです。すごく」
「……君が、傷つきやすい自分が嫌だって言ってたから。それも悪いことじゃないんだって伝えたくて」
「え?」
「傷が光を乱反射していろんな色を引き出して綺麗だろ。おれは君のことをそんな風に思っているよ」
「わたし、そのお話をしたの夏頃じゃなかったですか」
うう、ずるいですよ、と彼女の瞳が潤む。
「そのときに上手く伝えられなかったからずっと引っかかってて。喜んでもらえたかな」
当たり前です、嬉しいに決まってます、と彼女はくしゃくしゃの顔で笑った。
「もう、視界が歪んで指先が」
手の甲で目元を拭う彼女の横顔はまだあどけなさが残っていて、優しくて、心が剥き出しで、温かい。
貸して、と彼女からブレスレットを受け取り、細い手首にチェーンを巻く。
泣いていないはずのこちらまでフックが上手く付けられないのがばれないように、できるだけ手の震えが伝わらないように。
「はい、できた」
「ありがとうございます、ずっと大切にします」
涙が彼女の瞳をきらきらと輝かせる。君の美しさはそういうところなんだよ。
好きだよ、と言葉にしかけて飲み込んだ。
「身体を冷やす前に帰ろうか。今日はありがとう」
手袋をつけて、立ち上がる。
彼女も小さな箱を紙袋にしまう。
「こちらこそ、ありがとうございます。とても嬉しいです」
「それはよかった」
彼女の家に一番近い門まで送って、そのまま研究室に戻る気にならず少し遠回りをしながら学内を歩く。
伝えなくて良かった。
これで、良かった。
空を仰ぎながら手袋をした両手を目元にあてる。
新品の手袋の香りがするかと思いきや、ラベンダーの優しい香りがした。
眠るのが下手だと話したのは一年以上前だ。
一度貸したハンカチもそういえばこの香りで返ってきたっけ。
「まったく、困ったな」
どこか清々しい気持ちで、小さくため息をついた。
***
好意のかたちが恋愛に収まらなくてもいいよね。
行橋先輩は漢文学科の四年生、君と呼ばれている女の子は河野唯、英文学科の三年生です。
行橋くんが浪人しているので二歳差。
ふたりの出会いはこちら。
少し仲良くなった頃のふたり。
夏頃からタイトルと内容だけ決めて書かずに寝かせていた下書きnoteでした。
ずっと書きたかった作品なので満足しています。
大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。