墨色を拭って、悲しみを洗って
雨に温もりがあるとしたら君のおかげで、雨の雫が冷えていればそれは僕のせいだ。
バスは先日少しの期待を胸に進んだ道を、今日は虚しさを纏って逆から辿っていく。
この路線のバスに乗ることはもうないだろう。
街並みも。人も。もう見ることはない。
帰る先とこの街とは離れていると思い込みたくて、来るとき快速バスには乗らなかった。そして帰りもその気持ちは変わらなかった。
視線を少し右に動かすと、窓ガラスの外側を雨が叩いている。
バスの揺れに合わせて流れ落ちていくそれが他人事とは思えず泣きたくなって、焦点を映り込む自分に変えると髪が湿気に負けていた。
一時間近くこの湿った箱の中で揺られるのか。
髪と同じくらい気持ちも湿気に負けていた。
しばらく外を眺めたり目を閉じてうたた寝したりしていると、ガサ、と音がして左膝に不快感が降ってきた。
ぱっと左隣を見ると、小学生の男の子が座っていた。
茶色の短髪は少し癖っ毛で、梅雨時期に半袖半ズボンの装いは肌寒そうだ。
小さなリュックは習い事か何かだろう。
彼の身長に相応の小さな黄色い傘を右手に持っていて、広がったままのビニル部分がおれの膝に接触している。
こちらの視線に気づいたのか、少年がこちらを見て笑顔で会釈してきた。
おれは今、虫の居所が悪いんだ。
大人気ないとは思いつつもできるだけ優しい顔で声をかける。
「君は何年生?ひとりでバスに乗れてえらいね」
きょとんとした顔で二秒ほど悩んでから少年の顔は綻んだ。どうやら彼のセキュリティを突破したらしい。
「一年生!あのね、しゅうじきょうしつはもうなんども行ってるからね、ひとりで行けるの」
「そうなんだ、しっかりしててえらいねぇ。そんな君にひとつ相談したいことがあるんだけど、いいかな?」
うん、と全力で頷く少年。首の動きと連動して傘から雫が飛び散った。
「お兄さんはね、バスに乗るときは傘を畳んだほうがいいと思うんだ。これは誰かに言われたことある?」
彼は再びきょとんとしてしまう。おれの表情が引きつっているからだろう。
「例えばね、このバスに天使がびしょ濡れで乗ってきたらどうする?大きな羽から雨が滴っていたら?」
二秒だった。彼は優しくはにかむ。
「あのね、はんしでふいてあげる!はんしでふいたらね、すずりのぼくじゅうもキレイになるよ。羽もキレイにふいてあげれるよ」
まるでバケツをひっくり返したような雨に降られた心地だった。
くそったれ。自分の醜さに気付かされた苛立ちと、少し清々しいまでの疲労感。
こんな小さな子相手におれは何をしているんだ。
どうしたの、と悲しげな声がして、少年がポケットから小さなハンカチを取り出し差し出してくれる。
半紙がいいな。声の震えをできるだけ抑えてねだると天使は背中から習字道具入れをおろして乾いた羽を広げた。
***
醜さを暴かれるくらいに悲しい思いをした帰り道。
『クランベリー型形態素』より二階堂遥くん。
漢文学科の一つ上の先輩で、髪色めちゃめちゃにしたりちゃらちゃらした態度してるけどどこか優しさが滲み出ている面倒見のいい人。
泣かすつもりなかったけど書いてたら泣かせちゃいました、もし同じ経験したら僕もその場で泣くかもなぁ。
大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。