見出し画像

僕が子どもをやめた日

※不快な恋愛に関する話を含みます。苦手な方はお気をつけください。



「愛が人を救うなんて言ってたら一生救われないんだよ、無償の愛なんてもう手の届かないところにあるんだから」

広い部屋を空き瓶だらけにしている、ほろ酔いの自分と泥酔の彼。なぜこうなってしまったのかと後悔し始めていた。本当は店で飲むつもりだったが自分の家にして本当によかった、細身の自分では彼を抱えて家まで送るのは面倒だっただろう。目元にかかる金髪をかきあげ、小さなガラステーブルの上に残ったチータラをつまむ。

「幸臣はいつ届かなくなったなーって思ったの、無償の愛」

「先生と寝たときかな」

「え、何それ、俺初めて聞いたんだけど」

「言ったことないもんな」

眼鏡をかけているのに彼の視線はふらふらとチータラの周りを彷徨っている。決して酒に弱いわけではないし、許容量を越えて飲むことがない人間だからと油断していた。軽く自暴自棄になっているのかもしれない。

「先生って、いつの?」

「高校生のとき。家庭事情心配してくれてさ、やたら話聞いてくれんなーって思って、俺そのとき親再婚したばっかで、がんばんなきゃ、幸せの邪魔しないようにって張り詰めてて。でもそれまでの傷も癒えてなくて」

うんうん、と聞きながら焼酎の水割りを濃いめに作る。こうなったら付き合おう。大学入学から、もう三年目の付き合いなのに途中で止めてやれなかった俺も悪い。泥酔姿を覚えていて欲しくないだろうから、俺も記憶をぶっ飛ばす。好きなだけ吐け。

「頭撫でるとこから始まって、めっちゃ泣いてたら抱きしめてくれて、すっげぇあったかかったの。ばかだよなぁ、そういうのに縋っちゃうの。そのときの俺にとっては選択肢なくてさ、息するために温もりが必要だったの。母親の姿見て学んでたはずなのにさぁ」

「温もりなぁ、そうだな、うまく言えないけど分かる気がする」

彼は眼鏡の位置を直しながらウイスキーを煽った。氷がカラカラと音をたて、彼が酒を追加しようとしたので瓶を奪った。コークハイでいい?と聞くとうんとおとなしく頷いたのでウイスキー風味のコーラを渡す。

「先生も悪気あったとか、騙そうとしたとか、そういうんじゃなかったとは思うんだ、ただ分別がなかったというか手段を間違えたというか頭が悪かったというかさ。これは俺の立場だから言っていいことで、先生側が言ったら許されないってのも分かってるよ。それでも、俺が先生の立場だったら、どうだろう、抱きしめてたのかなぁ」

「お前はしないだろうなぁ」

「そうかなぁ」

「だって無償の愛?とは違うって感じたんだろ。救われなかったんだろ」

「んー、でもその関係性そのものには助けられてたのかな」

「え?そうなの?物足りないというか、違和感あったんじゃ?」

「その先生他の子も誘っててさ」

うっわぁ、と声が出て思わず天井を仰いだ。なんだそれ。最低じゃん、と言おうとして途中で止めた。止められてよかった。

「いやー、なんていうか、飽きられたんかなぁ。俺がちょろかったから他の子もいけると思ったのかなぁ。それ知っちゃうとね、今度は反抗心に囚われちゃって」

「そりゃそうなるよなぁ、先生に言ったの?」

「狙われた別の子はちゃんと拒否できてたからさー、取引したんだ。放課後に人気のない資料室に先生を呼び出して。向き合って座って。先生の手が震えてるの見ながら、俺も膝が震えてるのばれないよーに、ゆっくりゆっくり話した。別の子誘ってたの見てしまったし、今までのメールも取っておいてるし、金輪際生徒に手を出さないと誓ってくれって。今後もずっと見張り続けるよって。気配があったら仕事がなくなると思えって」

「そっか。それで?」

「誓うって言ってくれて。一応録音しといたんだけど。先生家族もいてさ、お子さん幼いの知ってたし、告発とかしたら絶対影響あるじゃん。そこまでできなくて。俺、間違ってるってわかってたけど、先生の温もりに何度も助けられたし、なんていうか、お子さんから母親を奪うってことできなくて」

彼の声が詰まっていく。眼鏡を外す彼から視線をそらして焼酎を一気に流し込んだ。

「その後被害にあった生徒が出なかったかはわからないけど、お子さんにとってはありがたかったのかも、な。何が正しいか分からないけど、高校生が抱えることじゃなかった気がするっていうか。幸臣さ、それ誰かに相談しなかったの?」

「取引終わった頃に信頼できる先生から声かけられてね。ひどい顔をしているから家まで送るよって。車の中で、辛くないかと聞かれて苦しいって答えて。その先生が、お前が苦しんでるのは分かってたけど、手段を選んでられない状態の人間から手段を奪って、その後救う道が見えなかったって言われた」

喉の奥が焼けそうなのは、焼酎のせいか。それにしては塩辛い。

「それ、どういうことだよ」

「その人は気付いてたんだよ。でももうどうにもならないくらいに俺が荒んでたんだろうな」

「気付いてて、救う道が見えなかったって、それ、そんな」

「しんどい状況にいる人間に、あなたのいるその場所は地獄ですねって突きつけるようなことはできなかった、すまなかったって成人式の日に言われたよ」

はーっと息を吐いて、それでも胸が苦しい。彼がどう思ったか知らないが、その謝罪は自己満足じゃないのか。

「それは、一生胸にしまっておいて欲しかった言葉だな」

「うーん。当時その人が実家を離れる選択肢を与えてくれて。俺は断ったんだけどね。それ以外は見守るスタンスだったから、頑張れってことなのかと思ってた。それくらいなら大丈夫だろってことなんだと。でもそうじゃなかったんだって救われた気持ちの方が大きかったかな。あのときの俺は辛かったけど、側から見ても辛い状況だったんだ、俺が弱かったわけじゃないんだなって。だから聞けてよかったかも」

「実家を離れる選択肢を出すくらいだから、そりゃ、辛そうだったんだろ」

「今思えばそうなんだけどね、当時はもう何がなんだかって感じで」

「……そっか。共感してもらった、みたいなことか」

うん、そうかも。耐えた俺を認めてもらったというか。耐えるために堕ちたけど。彼は定まらない視点を床に這わせながら続ける。

「あの、恋愛というには薄汚れた時間がなかったら俺はここにいるかわかんないし、あれで無償の愛を受けられる機会はきっともうないんだって予感できた。愛情なんて、もうどっかに裏があると思ってた方がいいんだよ」

「どうだろうな。愛情なんてたいそうなものわざわざ出さなきゃいけないような状態なら裏があるのかもな」

なるほど、それはそうかもしれないな。彼は呟いてグラスを空にした。今度はウイスキーを少しだけ多めに注ぐ。

「幸臣には幸せになってほしいなぁ」

「んー、そうだなぁ。愛情を欲しがるのをやめたいかもな、俺の場合はろくなことにならないから。愛情そのものより、そっと差し出された優しさとか、ふとしたときの気遣いとか、そういう出力されたものに癒されたいっていうか」

「愛情は人を救わない、みたいなこと言ってたのに、分かってても欲しくなるもんかね」

「欲しかったなって一生思うんだろうな。衝動は薄れていくだろうけど」

彼はガラステーブルの上のつまみをざっと端に寄せて突っ伏した。酔いと疲れとで満たされたのだろう。彼は続ける。

「……『愛情が人を救う』が真なら、救われなかった自分が愛されてなかったことになるからいやだってのもあって認めたくないのかも。だから穏やかな日常に救われたい。でも手に入らなかったものはきっとずっと欲しいままだ」

「手に入らなかったっていう付加価値みたいなね。欲しいから欲しいんじゃなくて手に入らないから求めてしまうというか」

そうそう、と返事が小さくなっていく。

「幸臣、言いたいことはもうこれで全部か」

「んー」

「がんばったんだな。おやすみ」

返事はない。彼は紙パックに残った焼酎をグラスに注いで薄めないまま流し込んだ。このくらいが自分の酒の限界量だ。胸に沈んだ悲しい話が重くなった頭の中で渦巻きながら広がっていき、まとまるより先に身体を床に放り投げて意識を手放した。








※飲酒は成人してから適量を楽しみましょう。


***


こんばんは、幸村です。

書けてよかった。


幸臣の苗字は行橋です。

彼の他のお話はこちら。

小学生の頃。

行橋くんと妹。

高校生の行橋くん。

大学四年の行橋くんの恋愛模様。





大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。