君の名は陽炎

救いを求めて手を伸ばしても、君の肩に触れることはできなかった。

喉を枯らして名を呼んでも、振り返ってくれることはなかった。

それでも、それでも。

君の名を呼ぶことは辞められないし、君の足跡に導かれて歩くのだろう。

眩んだこの目が光に慣れるまで。





はっと目を覚ますと、額に前髪が張り付いていた。

暑さでうなされていたようだ。

「目が覚めましたか」

隣から小声が耳をくすぐる。

汗を拭いながら目をやると隣の学科の後輩だった。

「......いつから?」

「1時間くらい前からです、たまたま先輩を見かけたので隣の席におじゃましました」

そうだった。空きコマの間に課題を済ませようと図書館にきたのだった。

もう7月なのに、図書館は空調を入れておらず席によっては蒸されるように暑い。

いつから寝てしまっていたのか、手元の参考文献は最初のページのままだし、数滴汗がにじんでしまっている。

「行橋先輩もう少しここにいますか?」

時計を見ると5限はもう始まっている。途中入室を許す先生でもない。

「そうだな、もう少しいるよ」

「わかりました」

肩まである髪を揺らして彼女は席を立った。

お手洗いだろうか。

彼女の荷物に少し気を配りながら、まだ気乗りしないが文献に目を通す。

10分ほどすると、コトンと缶コーヒーが机に置かれた。

にしし、と屈託無く笑う彼女。

「目覚ましにどうぞ」

いつも飲んでいるブラックコーヒーだ。

彼女の手の内で汗をかいている缶がまるで自分のようだった。

「......優しいね、唯ちゃんは」

「先輩には良くしてもらってますからね」

人嫌いの人間に微笑むことが、どれだけ対象の救いになるかなんて彼女は気づいていないのだろう。

穏やかでささやかで暖かい陽だまりのような優しさにどれだけ癒されていることか。

なんて、気持ち悪がられるだろうから一切見せないように心がけているけれど。

「ありがたくいただくね。今度お礼しよう」

「いいですよそんなの、また面白い漢詩があったら教えてください」

「そうだね、探しておくよ」

缶コーヒーにくちづける。

冷たい感触が渇いた喉を潤す。

いつからこのメーカーのコーヒーはこんなに甘くなったのか。

精度の低い自分の味覚に少し呆れながら、課題に真剣な眼差しを送る彼女の姿を見る。

まっすぐな彼女はあまりに眩しい。

彼女が身を焼かれて歩みを止めないための、せめて日除けか何かにでもなれればいい。

そう思っていたが、身を焼かれるのはこちらかもしれない。

それもそれで悪くないか。

彼女の邪魔にさえならなければ。

視界の外で灰になろう。

土の肥やしになろう。

彼女の足跡に花が咲くように。









***

「クランベリー」より

1年生の唯と2年生の行橋。




大好きなマイルドカフェオーレを飲みながらnoteを書こうと思います。