やっすー

セブンスターをこよなく愛するプロレタリア

やっすー

セブンスターをこよなく愛するプロレタリア

記事一覧

固定された記事

1.仕事を辞めました

"石の上にも三年"という言葉がこれまでしっくりこなかった。 「我慢強く耐え忍べば、やがて報われる」というような意味なのはわかるのだが、わかりやすいようで とてもわか…

やっすー
2年前
76

7.そして、無色(無職)から青(ブルーカラー)へ

S社での肉体労働の日々は続いた。 習うより慣れろとはよく言ったもので、筋肉痛や関節痛で布団から起き上がるのさえ辛い朝も、身体に鞭を打って出勤をすれば、それなりに身…

やっすー
1か月前
6

6.汗臭く泥臭い香水

S社初勤務当日の朝、私は普段よりも早い時間帯に起床し、準備に取り掛かった。 充分な朝食をとり、歯を磨き、シャワーを浴びた。 家を出る前に、前日に派遣会社から届いた…

やっすー
2か月前
15

5.紡ぎ出した「安定」の2文字

食物連鎖のピラミッドにおいて、下層に位置する生物程、環境の変化には強いという話を、昔どこかで聞いたことがあった。 それらの生物は、天候 天敵 病気などのリスクに常…

やっすー
1年前
40

4.日雇い労働という名の麻薬

あの初勤務から、数ヶ月の時が流れた。 依然として、単純な仕事内容をこなす毎日ではあったが、無遅刻無欠勤を貫いていた私と派遣会社との間には信頼関係ができ、それなり…

やっすー
1年前
46

3.「受け入れる」という生き方

「天国と地獄」とは正にこのことだろう。 エレベーターの中での私の胸の高鳴りは、数日間かけ、単調減少していくことになる。 エレベーターが開き、少し歩き、扉を開け事…

やっすー
1年前
56

2.自堕落な学生時代、派遣との出会い

そもそも私がどうしてこんなことになったのか、最初に書いておく必要がある。 なので今回は、私がブルーカラーに足を踏み入れるまでのお話。 私は、27年前にごく普通の家…

やっすー
1年前
28

1.仕事を辞めました

"石の上にも三年"という言葉がこれまでしっくりこなかった。
「我慢強く耐え忍べば、やがて報われる」というような意味なのはわかるのだが、わかりやすいようで とてもわかりずらい。
ここでの"三年"という言葉は、3 yearsという意味ではなく、あくまで長い期間の例えなのだろうけれど、まるで「3年間は辛抱しよう!」みたいなニュアンスで使われがちな気がする。
なぜならその3年という月日が、妙に我々の私生活

もっとみる

7.そして、無色(無職)から青(ブルーカラー)へ

S社での肉体労働の日々は続いた。
習うより慣れろとはよく言ったもので、筋肉痛や関節痛で布団から起き上がるのさえ辛い朝も、身体に鞭を打って出勤をすれば、それなりに身体は動いた。
若さも相まってか、環境への適応スピードは我ながら凄まじく、仕事終わりや翌朝の疲労感は日々軽減された。
本来であれば、そこで満足し 自分にあったペースで働けば良いものを、これまで自堕落に生きてきた私は、反動もあってかさらに高い

もっとみる

6.汗臭く泥臭い香水

S社初勤務当日の朝、私は普段よりも早い時間帯に起床し、準備に取り掛かった。
充分な朝食をとり、歯を磨き、シャワーを浴びた。
家を出る前に、前日に派遣会社から届いたお仕事紹介メールを確認した。
作業内容の部分には、「日用品の仕分け」と記載されていた。
派遣会社に登録した頃から感じていたのだが、この作業内容の説明は実に簡素であり、不充分だった。
これではその作業が楽なのか大変なのか、わかったものではな

もっとみる

5.紡ぎ出した「安定」の2文字

食物連鎖のピラミッドにおいて、下層に位置する生物程、環境の変化には強いという話を、昔どこかで聞いたことがあった。
それらの生物は、天候 天敵 病気などのリスクに常に晒され続けているため、多少の環境の変化など、その日常と大差はないからなのだろう。
その法則を人間界に置き換えて考えるならば、我々派遣社員こそ、その下層に位置する生物であるということは、残念ながら火を見るよりも明らかであった。
けれど、当

もっとみる

4.日雇い労働という名の麻薬

あの初勤務から、数ヶ月の時が流れた。
依然として、単純な仕事内容をこなす毎日ではあったが、無遅刻無欠勤を貫いていた私と派遣会社との間には信頼関係ができ、それなりに入りたい現場に入りたい日時に入れてもらえるようになり、働きやすさは感じるようにもなっていた。(社会人からすれば当たり前の話だが、当たり前のことができない人も派遣社員には多かったということだ。)
同じ現場で働き続けたり、あえて未経験の場所を

もっとみる

3.「受け入れる」という生き方

「天国と地獄」とは正にこのことだろう。
エレベーターの中での私の胸の高鳴りは、数日間かけ、単調減少していくことになる。

エレベーターが開き、少し歩き、扉を開け事務所に入り、登録説明会というものに参加することになった。
当時の私が知っている物だけで例えるならば、そこはまるで予備校の教室の様な空間だった。
白い壁、上に掛けられた時計、その下に設置されたホワイトボード、その正面に並ぶ長い机と椅子、そこ

もっとみる

2.自堕落な学生時代、派遣との出会い

そもそも私がどうしてこんなことになったのか、最初に書いておく必要がある。
なので今回は、私がブルーカラーに足を踏み入れるまでのお話。

私は、27年前にごく普通の家庭で産まれた。
あまり裕福な家庭ではなかったが、両親はそれでも私を熱心に育ててくれた。
小学校低学年の頃は、様々な習い事をさせてもらった。
高学年になってからは、進学塾に入れてもらい、そこでたくさんの勉強をした。
その甲斐もあって、私は

もっとみる