2.自堕落な学生時代、派遣との出会い

そもそも私がどうしてこんなことになったのか、最初に書いておく必要がある。
なので今回は、私がブルーカラーに足を踏み入れるまでのお話。

私は、27年前にごく普通の家庭で産まれた。
あまり裕福な家庭ではなかったが、両親はそれでも私を熱心に育ててくれた。
小学校低学年の頃は、様々な習い事をさせてもらった。
高学年になってからは、進学塾に入れてもらい、そこでたくさんの勉強をした。
その甲斐もあって、私は国内有数の中高一貫校に合格し、中学からは地元ではなく、電車に乗って私立の学校に通うこととなった。

ルソーは「人は2度生まれる」と説いたが、それで言うならば、私の第二の誕生は、正にこの時だろう。
とういうのも、私は13歳の時からペンを持つのを辞めた。
親から離れているという解放感、高校受験が無いという安心感、さらには今まであまり遊ばずに勉強をしてきたという反動から、遊びの限りを尽くした。
漫画 アニメ 映画 ドラマを片っ端から見て、テレビゲームやカードゲームで仲間と切磋琢磨し、部活終わりにわざわざ公園で野球やサッカーをした。
まさしく、娯楽の文武両道である。
定期試験は毎回、5教科の合計ですら100点に届くことはなかった。
いじめで停学処分になったり、逆に友達に柔道で投げ飛ばされて骨折したり、波瀾万丈であった。
案の定、中学3年の冬に行われる内部進学の試験は失格に失格を重ね、お情けの再々々々々...試験にすら受かることはなく、次落ちたら中卒になるという状況の中、大地震が起こり 試験そのものが無くなり、首の皮一枚で奇跡的に高校生になることができた。

高校に進学してからの私は、更なる高み(低み)を目指した。
少し上がったお小遣いとお年玉にものを言わせ、ボーリング ダーツ ビリヤード カラオケ ゲームセンター 麻雀と、とにかく遊びの幅を広げ、そこで出会った人と仲良くなり、さらにその人達からもまた新しい遊びを教わった。
あまり声高には言えないのだが、思いつく限りの悪事も働いた。
そんな私を見て、私と付き合いを辞める者と、今まで以上に近い距離になる者との二極化が進み、私は色んな意味で極まっていった。
通学用のローファーはいつしかニューバランスへと変わり、腰の下で履いているズボンには もはや付けている意味が無くなった派手なベルトや ギラギラのチェーンがぶら下がり、ブレザーの下には色とりどりのパーカーやセーターがチラつき、茶色い髪の毛を地毛だと言い張り、毎日登校時間の2時間後に校門を通過した。
昼休みには、校内の食堂は利用せず、わざわざラーメン屋に赴き、そのまま学校へ戻ることはなかった。
にも関わらず、帰宅する時刻はいつも深夜になった。

人間というのは不思議なもので......というよりは私が単に他の人達より流されやすく 染まりやすく 弱くて単純で幼稚だっただけかもしれないが、最初はただただ楽がしたくて 楽しみたくて 始まっただけのこの自堕落な生活も、日を追うごとに、自分が さも歌舞伎者で イケてるのではないかという錯覚の日々へと変貌した。
「こいついつまでこんなことしてるんだろう......」という同級生達からの白い目も、私の都合のいいフィルターを通せば、自由への憧れ 自由人への羨望の視線に感じられた。
と同時に私も、夢に向かい努力する同級生達が、檻に閉じ込められ 鎖に繋がれる動物園の動物に見えた。
動物園の動物の中には全国模試で、偏差値70や80を叩き出す珍獣がウジャウジャいる一方で、イケてる私は「8」という数字を叩き出したこともあった。
恥ずかしい勘違いと共に、私の暴走は加速していくのであった。

そうこうしているうちに、18歳の冬が来た。
同学年の99.9%は受験をし、一喜一憂する中、偏差値8の私は受験さえしなかった。
そして、まだ国公立の一部は結果すら出ていない中、私達は卒業式を迎えた。
夢を叶え 大学進学する者、結果を待つ者、夢を追うからこそ あえて浪人し もう1年間挑戦を試みる者、皆 少なからず前に進み学校から巣立って行く中、私だけが ただただ楽しかったという過去の思い出だけを胸に 6年間のパーティーのような日常にピリオドを打った。
寂しさこそあったが、私はそれでもまだ 焦りや後悔は感じていなかった と当時を振り返ってみて思う。
髪の毛を何色に染めようかとか、どんな服を着て街を歩こうかとか、来年度の文化祭はOBとして誰と遊びに行こうかとか、そんなことを考えながら帰宅したのを覚えている。
帰宅して、寝て、起きて、定期券の有効期限が切れる前にと 母校の近くのお気に入りのラーメン屋で腹を満たし、通い尽くしたゲームセンターで夜まで遊んで、そんな日々を何日間か過ごした。

けれど、春の訪れと共に私の生活は徐々に雲行きが怪しくなっていった。
学生ではなくなった私に お小遣いなど渡される筈もなく 次第に持ち金は底をつき、定期券は切れ、嫌でも行動は制限された。
かといって、家で寝ていては 親にガミガミと叱られた。
仕方なく外へ出て、スーパーで1番安い缶ジュースを買って、公園や図書館まで歩いて行っては、ひたすら宙を眺めた。
スマホを見ようにも、とうの昔に通信制限を迎え 何も見ることはできなかったからだ。
それでも時折SNSだけは見ることができたが、そこには不自由と嘲笑っていた筈の かつての同級生達の、煌びやかなキャンパスライフが映し出されていた。
その辺りからようやく私は、自分の数年間を振り返り始めた。
そしてその数年間が、そっくりそのまま"過ち"であったことにも気が付き、初めて後悔をした。
何故こんな簡単なことに気付かなかったのだろうか。
初めて、当時の同級生達と同じ目線で自分を客観視することができた。
鏡に映るそいつは、イケてる若者でも 歌舞伎者でも 自由人でもなんでもなく、ただの未来のない19歳ニートであった。

至極当然のことなのだが、大学進学を目標とし それに特化した進学校に通った上で、もし仮に大学進学をしない生徒がいたとすれば、それはもう 夏休みのない8月というか イチゴのないショートケーキというか ショートケーキのないショートケーキというか、つまりは何も無い"ただの人"なのだ。
勿論、大学が全てではないが、そういった考えなら 工業高校で様々な資格を取るなり、中学卒業と同時に社会に出るなり、何かしらのリスクを犯して夢を追うなり、選択肢は色々あった筈だが、当時の私にはその勇気すらなかった。
その結果、私は 何かしようにも 何もできない人間になっていた。
お坊ちゃま お嬢様の集う私立の進学校で、制服を着崩し 井の中の不良として楽しんでいる分には まだ絵にもなったが、ひとたび学生としての肩書きを無くし 平日の昼間に私服で何も持たずに街を徘徊していては、世間は 白い目を向けるどころか 視野にすら入れようとはしない。
今更両親に 大学に行きたいから浪人させて欲しい 予備校に行かせて欲しいなどと都合のいいことは頼める筈もなく、かといって したいことも できることも極めてゼロに近い私に 就活をする勇気も経歴も技術もなかった。
「勉強をすることが必ずしも正解とは限らないが、勉強をすることは 将来の選択肢を増やすのに最も効率の良い手段の一つだ。未来がわからない以上 選択肢は少しでも多い方がいいし、選択肢を広げる有効な手段が勉強であるなら、勉強をすることは極めて正解に近い」なんてことを昔、担任の先生が言っていたのを、くだらねえと思い 半分寝ながら聞いていたことがあったが、悔しくもその通りだと、ここで痛感した。

選ぶことや迷うことすら許されず、途方に暮れるしかない私に、ついにスマホの使用料金の支払いは数日後にまで迫っていた。
ここまで切羽詰まると、最早浪人や就職すらも二の次になった。
「そんなことよりも明日のお金を手に入れなくては」そう考えるようになった。
家族や友人に借金という形でお金をもらうのも限界を迎え、残金を握りしめパチスロに向かうも 悲壮感MAXな私にツキの女神が振り向く筈もなく 財布の中の残高は減る一方、一度帰宅して古本でも売りに行こうとパチンコ屋のエレベーターに乗ったところ、妙な広告が目に入った。

「日払いOK 現金手渡し 派遣会社◯◯ 当ビル5F」

狭い世界で生きてきた当時の私は、派遣というものの存在は知っていたが、それがどういったものかまでは、詳しく知らなかった。
賃金というのは、どこかに勤めて1ヶ月間働いて、ようやく給料日に銀行口座に振り込まれたものを引き出す というルートでしか手に入れる手段はないと思っていた。
そこに勤めるまでにも、履歴書を準備し 面接をし、合否を待って、合格ならば研修を経て シフトなどを提出し......と果てしない工程が存在するものだとばかり思っていた。
お金が欲しいと思ってから、お金を手に入れるまでにどれほどの時間と労力と手間をかけなくてはならないのかと絶望していた。(だからこそ働くことすら躊躇していたわけだ)
ところがこの広告によれば、このままエレベーターを上がり、身分証明書1枚を提出し、1時間の説明会に参加すれば、履歴書や通帳の提出が無くとも、その日中に最低限の登録が行えて、理論上 翌日から勤務が可能で、その日の夜にはお金がゲットできるというのだ。
そんなウマい話があるものかと思いつつも、財布の中に一万円札が入っている数日後の自分を想像したら、勝手に指は「5」のボタンを押していた。
「もし仮に詐欺とか暴力団とか怪しい集団だったらどうしよう......」世間知らずだった当時の私は少し不安になった。
そんな私を安心させるかのように、
「誤解です」とエレベーターからの心強いアンサー。
「そうだよな。そもそも今の私は金無し!夢無し!失う物など何も無し!恐れることなどあるものか!」そう自分に言い聞かせ、ドアが開くのと同時に、私は新たな一歩を踏み出した。

藁にもすがる思いで踏み出したこの奇妙な一歩は、良くか悪くかこの先の私の運命を大きく変えることとなる。


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