5.紡ぎ出した「安定」の2文字

食物連鎖のピラミッドにおいて、下層に位置する生物程、環境の変化には強いという話を、昔どこかで聞いたことがあった。
それらの生物は、天候 天敵 病気などのリスクに常に晒され続けているため、多少の環境の変化など、その日常と大差はないからなのだろう。
その法則を人間界に置き換えて考えるならば、我々派遣社員こそ、その下層に位置する生物であるということは、残念ながら火を見るよりも明らかであった。
けれど、当時まだ世間知らずだった私にとっては、その常に隣り合わせの筈のリスクというものにイマイチ実感が湧いていなかった。
もう少し具体的に話すと、派遣社員=不安定という定説が自分の中では、まだピンと来ていなかったのだ。

しかし、そんな勘違いも神様はそう長いことさせては下さらなかった。
ある日、当たり前のように勤務を希望し、お仕事紹介メールを待っていたところ、待てど暮らせど派遣会社からの連絡が来ず、夕方になってしまった。
不信感を覚え、派遣会社に問い合わせてみると、私の希望した勤務先が軒並み派遣社員の雇入れを前日にキャンセルしたために、明日は仕事の紹介ができないとのこと。
おいおいちょっと待て それでは派遣に登録している意味がないじゃあないか、という私の焦りとは裏腹に、派遣会社側の説明は極めて淡々としていた。
思い返してみれば、登録説明会の時に、「必ずしも勤務を希望した場所で働けるわけでも、勤務を希望した日に働けるわけでもありません。」なんて説明をされたことを思い出した。
その時は、よくシャンプーなどの裏に記載されている「異常が出た際は、すぐさまご使用を、お控え下さい。」といった、万が一のための形式的な説明なのだろうと勝手に推測していたが、まさかこんなにも早くその万が一が自分の身に降りかかってこようとは思ってもいなかった。
その上、どうやらこれは万が一でもなんでもなく、わりと日常的に起こりうる弊害だということもわかってしまった。
考えてみれば、私が派遣社員となったのは、春、言い換えれば年度末 年度はじめという世の中が忙しい時期だった。
その世間の忙しさに、私はたまたまあやかれていただけだったのだ。
世の中には、繁忙期と閑散期が存在し、我々はその繁忙期 人が足りなくなってしまった時の、それこそ会社側の"万が一"のための補欠という存在でしかなかった。
その補欠は、自分が補欠であると自覚を持った上で派遣社員として働いているという大前提の元で成り立っているため、我々を切ることにおいて、会社側に悪い点は1つもない。
というのが、暗黙の了解だったのだろう。
自分の喉が乾いた時に、たまたま近くにあった自動販売機を利用し、その時は喉を潤せたとして、それに恩義を感じ、それ以降も喉が乾いていなくとも、その自動販売機をわざわざ利用する者が一体どこにいようか、、、
ただそれだけの話だ。
それだけの話に、なんの危機感も感じてこなかった大馬鹿者は、これ以上の醜態は晒せまいと、「了解です。また明後日以降よろしくお願いします。」とだけ派遣会社に伝え、そっと電話切った。

派遣社員として初めての緊急事態に私は困惑した。
緊急事態がこれからは日常茶飯事になりうることにも困惑した。
逆恨みもいいところなのだが、これまでの私の努力や決心はなんだったのかと誰かに問いたかった。
生き方や、他人との接し方を分析してきた私であったが、そもそもそんな壮大な哲学をすること自体がおこがましいことであり、本来は、働けている現状にただただ感謝をし、そんな日が1日でも長く続くのを祈ることだけが、自分に許された救われるための手段だったのだ。
私がどんなに受け入れる生き方を心得たところで、支払いの滞った私を世の中までもが受け入れてくれるわけではないのだから。
しかし皮肉なもので、「もっと早く気付いていれば......」とは思ったものの、そもそも派遣に登録するしか未来がなかった私からすれば、気付くタイミングが早かろうが遅かろうが、今仕事がないという状況が変わっていたわけではなく、そういった点も加味すれば、結局のところ私は、その現実すらも"受け入れる"しかなかったのだ。

現状は受け入れるしかなくとも、未来は変えられるのではないかと、それ以降の私は、働き方に多少の工夫を凝らし始めた。
職種や勤務地は問わず、派遣会社には、働ける現場をただ紹介してくれとだけお願いをし、以前にも増して様々な現場で勤務をした。
その中で、繁忙期であると予測される現場を見極め、そこでの人間関係の構築や 仕事内容の把握に、より勤しんだ。
そうすることで、この季節はこういった職種は忙しいから働くべし、こういった職種は暇だから働くべからず、といったある程度のセオリーも把握することができ、多少の一般常識や 生きる力が養われつつあった。

けれど、知ればこそのもどかしさを感じるようにもなった。
知識や経験を得れば得るほどに、自分の無力さを痛感した。
派遣社員を必要とするか否かの選択は就労先の一存であり、それらに我々を割り振るのは派遣会社の一存であり、その審判が前日に覆ることも已む無く、そこに派遣社員の介在の余地は極めて少ない。
我々はただ、神の見えざる手に踊らされる奴隷に過ぎないのだ。
そういった自分の立ち位置は、より如実にはっきりと感じ取れてしまった。
その苛立ちや焦りを、恐らくは多くの派遣社員が同じように感じ、その混沌の中で、私と同じような行動に出ていたのかもしれない。
柿も青いうちは鴉も突き申さず候。
実際、人手の足りていないような現場に巡り会う機会は多かった。
しかし、柿が熟し始めた途端に、同じような考えの鴉が群がり、最終的には飽和状態となる。
閑散期には、こういった現象がありとあらゆる現場で頻発し、結果的に我々派遣社員に安定が訪れることはなかった。
私の工夫や努力は焼け石に水だったわけだ。

ついに私は、手に入るお金より、出て行くお金の方が大きくなってしまった。
俗に言う、赤字である。
「この先どうなるのだろう」という、ぼんやりとした不安が、はっきりとした不安にに変わり、居ても立っても居られなくなった。
そこで私は、最終手段に出た。
鼓を鳴らし攻めて可なり。
孔子の言う通り、とにかく攻めることを決意した。
恐らく2日以上は出ていないであろう布団の中から起き上がり、1度深呼吸をした後に、派遣会社に電話をかけ、
「依頼のある勤務先の中で、最も過酷で人気のない現場で私を働かせて下さい!」
と、某名作アニメ映画の1シーンの如く、私は叫んだ。
状況が理解できていない社員さんに対し、事の経緯を説明した。
わがままではあるが 一か八かのような毎日に辟易していること、その上で現状 赤字になってしまっていること、誰も働きたがらない現場であれば 働き続けられる可能性があるのではないかと気付いたこと、そしてその方法であれば 仮に自分が安定を手にしたところで 自分と他の派遣社員との間に不平等という概念は生まれない筈だということ、など。

案の定、電話の向こうの社員さんは困惑していた。
それもその筈だ。
そもそも会社側がスタッフに対し、現場の人気の有無や 紹介に際しての優劣の存在を公表していいものなのかは、極めてグレーな一線である上に、お客様である勤務先の企業に対してもそれは失礼な話だからだ。
私の頼みに二つ返事で返答してしまっては、派遣会社の様々な方面への体裁が崩れ兼ねないのは事実だった。
けれど、電話対応をして下さった社員さんは、極めて理解のある方で、
「そうですね。仕事内容の過酷さというのはスタッフさんの価値観によって変わってきますので一概には言えません。それに、その過酷さが人気に関係しているかもわかりません。ただ、皆様からの希望が少ない現場があるというのは事実です。お客様も、人がいる時に派遣してくれればいいとおっしゃっていますので積極的に紹介はしてきませんでしたが......」
と、回答をした。
要約すれば、「ぶっちゃけ、辛いけど確実に入れる現場はあるよ」という意味なのだろう。
どこまでが真意で、どこまでが綺麗事かは定かではなかったが、理論的な説明であり、私は色々なことを理解することができた。
本来、派遣という環境において"働きたいけれど働けない派遣社員"と"人が欲しいけれど人が集まらない現場"は同時に存在する筈がない。
では何故、閑散期にはこの2つが存在してしまうのか。
この矛盾は、派遣会社側の忖度から生まれていた。
まず、派遣社員の中には「お金は欲しいが、辛い思いをして働くくらいならば、休んだほうがマシ」という考えを持った者が多くいる。
そして、派遣社員を募集している現場の中には、「確かに人は足りていないが、我が社が求めているのはあくまで経験者であり、右も左もわからない派遣社員を送り込まれて、そいつの面倒も見ながら仕事をするくらいならば、人手不足の方がマシ」という考えの所がある。
これらの、多数派とも言える派遣社員や、体力や専門的技術を必要とする一部の勤務先の意見を最大限に尊重した場合、仕事はないことはないが派遣社員がそこに割り振られることもなく 結果として勤務ができない派遣社員が生まれる、という現象が稀に起きるのだ。
私の頼みは、「一生懸命頑張るので、その忖度を、私に限っては、今まで以上に取っ払っていただいて結構です」といった内容に、派遣会社目線では言い換えることができた。
派遣会社側は、私をある程度勘のいいガキと判断した上で、その頼みを承諾し、
「例えば、S運輸整備さん(仮名)なんかは、安田さんのおっしゃってるような現場に該当するかと思いますが、如何です?」
と続けた。
私は、
「是非、お願いします!」
と、即答した。
こうして私は、待ちに待った安定を紡ぎ出すことに成功した。

物事は表裏一体。
安定を紡ぎ出したということは、同時に新たな不安の種が生まれる。
閑散期の派遣という環境の中で安定を手にしたということは、言い方を変えれば、今後は派遣社員らしからぬ働き方を求められる可能性が高いということであり、派遣社員としてのデメリットを手放せるということは、派遣社員としてのメリットも手放さなくてはならないということを意味していた。
S運輸整備株式会社が、どのような現場かは全く知らなかったが、少なくともその勤務先で"誰でもできる仕事"を与えられることはまずないのだろうなという想像は容易にすることができた。
S社に派遣社員が寄り付かない理由が、作業内容にあるのか、それとも現場の社員さんにあるのか、はたまた私などには想像も及ばない何かがあるのか、当時の私にはわからないことだらけであったが、だからこそ、覚悟は必要だと自分に言い聞かせた。
格好を付けていても仕方がないので、正直に話すが、S社への勤務を前日に控えた夜、私はとても緊張していた。
派遣を始めてから1番......なんてレベルではなく、学生時代、自堕落の権化のような生活をしていた私からすれば、恐らくそれまでの人生の中で最も緊張していたかもしれない。
体力や筋力が足りず 勤務中に身体が限界を迎えたらどうしよう、専門的技術を求められ それに対応できなかったらどうしよう、素人である私に 現場の社員さんが憎まれ口を叩いてきたらどうしよう、ミスをして怒鳴られたらどうしよう......覚悟を決めようとすればする程に、不安も大きく膨れ上がっていた。
派遣社員という肩書きが変わるわけでも、収入が大きく変わるわけでもない、ただ他の派遣社員よりも少し過酷な現場で 少し安定して働けるようになっただけという微々たる変化に、心底緊張している私は、傍から見れば滑稽だったかもしれない。
私自身も、今回の一連の行動が、大きな一歩だったのか小さな一歩だったのかはわからない。
いうなれば、ムーンウォークのような状態であった。
それでも、明日以降も働くことができ、お金を稼ぐことができ、そのお金で生活をすることができるーその現状に対する感謝だけを胸に、私は眠りについた。

19歳の夏、子供として生活のできる時間は残り僅かであった。
子供として生きてきたこれまでの中で、最も多く何かを考え、もがいていた期間だったのかもしれない。
今年退職した職場との出会いから、さらに遡ること約2年前の話である。

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