7.そして、無色(無職)から青(ブルーカラー)へ

S社での肉体労働の日々は続いた。
習うより慣れろとはよく言ったもので、筋肉痛や関節痛で布団から起き上がるのさえ辛い朝も、身体に鞭を打って出勤をすれば、それなりに身体は動いた。
若さも相まってか、環境への適応スピードは我ながら凄まじく、仕事終わりや翌朝の疲労感は日々軽減された。
本来であれば、そこで満足し 自分にあったペースで働けば良いものを、これまで自堕落に生きてきた私は、反動もあってかさらに高いパフォーマンスを求め、効果があるのかどうかもわからないまま プロテインやエナジードリンクによるドーピングも行い、自分で自分を騙し、重い荷物を運び続けた。

ある意味で私は、ドMになっていたのかもしれない。
仕事というフィールド上では、社畜という言葉で言い表すこともできるだろう。
仕事終わりに、あまり疲れを感じないことがあると、私は悔しくて仕方がなかった。
逆に、初勤務の時のような全身の疲れを感じると、満足した。
自由な働き方がメリットとも言える派遣業界において、その真逆を突き進んだ。

当時から薄っすらと自覚はしていたが、私にとってこのストイックな行為は、仕事に対する前向きな努力である一方で、現実を受け入れる生き方を継続するための努力でもあった。
去年まで同じ屋根の下で生活していた同級生が、皆 一流大学に進学し、まだ就活も先の話の中、楽しいだけの学生生活を謳歌しているのに対し、自分はもう彼らとは別の種類の人間であると 同じ物差しでは測れない場所にいると、そう受け入れるための儀式のようなものでもあり、言い換えるならば この疲れこそが救いだった。
それは大人達が、日々のストレスを お酒によって一時的に忘れるように、あるいは サウナという 本来熱くて疲れる筈の場所に 整いを求めるように......

けれど、原動力の根源が儀式であろうが救いであろうが、兎に角一般的な派遣社員以上に身体を酷使して日々働いていれば、様々な変化というものが自然と訪れた。

まず1つ目の変化は、身体だ。
腕、腹、胸、足、身体のどこを触っても、明らかにこれまでとは比べ物にならない程に筋肉がついた。
シャワーを浴びる時に鏡に写る自分も、別人のようだった。
このような変化が、1年2年という長いスパンではなく、昨日より今日 今日より明日というごくごく短いスパンで日々訪れた。
これは思い込みでもなんでもなく本当に自分でも驚く程に毎日感じた。
疲れに身を任せ、これまで以上に暴飲暴食をしても体重は落ちていく一方で、これは以前の投稿でも書いたが、肉体労働をする上での大きなメリットでもあった。

そして2つ目の変化が、周りの自分への対応だ。
S社にとって、派遣社員は人数調整の上では欠かせない存在だったとはいえ、その過酷な労働環境から人材が定着することは難しく、その実態はS社自身が最も強く理解していたため、来た人間を育てるというよりは、来た人間をその日だけと限定した上で使うという、例えるなら眼鏡ではなくコンタクトのような扱い方を徹底していた。
しかし私はどうだろう。
そもそも私は その使い捨ての連鎖を逆手に取ってS社に転がり込んだ身であり、その上 謎の儀式の真っ只中である。
なんだこいつ......と思った人間も少なくはなかっただろうが、その一方で「今日使いやすい」と「使い続けやすい」の2つを兼ね備えていた私を貴重に感じた人も多かったことだろう。
言うなれば、使用期間無制限のコンタクトレンズだ。(こうしてペラペラと当時の自分を素晴らしく形容することに恥ずかしさを感じない程に、私は必死に仕事をしている自負があった。)
本来派遣社員などとはコミュニケーションを取るだけ時間の無駄であると考えていた筈の社員さん達が、休憩時間などには、私にたくさん話しかけて下さり、聞かれた私は住んでいる場所や 年齢や ここに来た経緯などを話した。
皆さんがが私の名前を覚えて下さったし、私も皆さんの名前を覚え、自分自身がただの派遣社員というポジションから、チームの一員というポジションに変わりつつある実感が少しずつ芽生え、これもまたモチベーションの向上に繋がった。

初勤務から2ヶ月も経つと、私は派遣社員としては敵無しの地位を築いていた。
来た時からしている投入の作業においては、社員さんが「どういう身体の作りをしているの?」と聞いてくる程に早く行えるようになり、先の話だが、この時期から私は物流業界から身を退いた2年前までの約8年間、何千何万と行ったこの投入の作業において それがどんな商材であっても 相手が派遣でもパートでも社員であっても 他人にスピードやクオリティで負けたことは一度たりとも無い。
そう胸を張って言い切れるまでに急成長を遂げた。
そして、この頃から投入だけでなく、他の仕事もさせてもらう機会が増えた。
ソーターでは流すことのできないお米の袋や 卵 瓶などの商材の手仕分け、コンテナの荷下ろしなどだ。
どれも楽な作業は無く、夥しい量の汗が流れたが、それに比例し仕事の流れや全体図に対する認知も増し、私にとっては嬉しいことばかりであった。

そしてついに私は、初勤務の時 最初に目にした化け物じみた動きの先輩方の集うあの作業場に配置された。
その作業は『シュート』と呼ばれる作業であり、ソーターの最終地点だった。
投入を川上と例えるならば、シュートは川下。
投入された段ボールは、ソーターの上を流れる中で店舗コードの記されたラベルが貼られ、そのラベルを機械が読み取り、それに従って、それぞれの店舗のソーターに仕分けられて行く。
手を下に向け、肩から水を流せば、最終的には5本の指それぞれに水が別れ、つたっていくーちょうどそんなイメージだ。
S社は品物を10の店舗に仕分けて出荷する倉庫であったため、当然ソーターは10本に枝分かれしていた。
「神田店」のソーターには、「神田」と記されたラベルが貼られた品物が流れてくるし、「千駄ヶ谷店」には、「千駄」のラベルの品物が流れてくる。
ラベルには店舗名以外にも、主に2つの情報が記載されていた。
1つ目はカテゴリーだ。
食品ならばA 電化製品ならばB 薬品ならばC ペット商品ならばD と言った具合に 商材を大きく数種類にグループ分けした際のアルファベットが割り振られていた。
2つ目は納品の優先度だ。
店舗側が早く入荷したい品物や、一般のお客様ではなく企業からの発注によって入荷をする商品には、特別の「特」の文字が記されていて、それ以外の通常商品には、普通の「普」の文字が記されていた。
例えば「水道 B 特」とラベルに記載されていれば、それは水道橋店に特注品として出荷する電化製品であるということを意味している。
まとめると、シューターの仕事は、流れてきた品物を、カテゴリー4種類と優先度2種類からなる最大8種類に分類し、それらを別々にカゴ車に積み、いっぱいになったらそのカゴ車を払い出し新たなカゴ車をセッティングし、また1から積む、それを10本のソーター脇で繰り返すーというものだった。(文で説明するのはとても難しいです😫)

『シュート』と『投入』はありとあらゆる点が対照的であった。
まずは人数。
投入は2,3人で行うのに対し、シュートは5,6人で行う。
人数に倍の差があるため、持つ段ボールの数は単純に計算をすればシュートの方が少なく、そのため腕への負担はシュートの方が少ないと言える。
次に移動距離。
投入はその場に立ったままの作業であるのに対し、シュートは常に動き回る作業である。
全ての店舗に同じ数量の品物が同じリズムで流れてくるのであれば、少しは楽なのだが、店舗によってカテゴリーや物量の毛色は異なる。
電化製品の多い店舗があれば 食品の多い店舗もある、週末に物量が増える店舗があれば 逆もある。
常に、今流れている商材が何か 今が何曜日か 月初か月末かなどの情報を経験と共に照らし合わせ 10秒後 どの店舗の流れが強くなるかを予測しスタンバイする、自分がどこかの店舗のソーターで作業をしていても 他の店舗の流れが強くなれば そこに応援に入る、などといった動きが求められるため、移動距離とそれに伴う脚への負担はシュートの方が圧倒的に多いと言える。
最後に思考量。
これも先述のシュートという作業のスタイルを踏まえれば当然のことだが、圧倒的にシュートの方が多いだろう。
投入が"無心"を要とする"個人プレー"であるのに対し、シュートは"思考"と"経験"を要とする"チームプレー"だ。
流れている品物と 誰がどこにいるかの現状を把握しながら、次に自分が行くべき店舗を考え動く。
そして、行った先の店舗で、重力によってスライディングしてくる品物に貼られたラベルの情報を瞬時に視認し段ボールに手をかける。
段ボールを持ち上げる頃には、どのカゴ車に積むかのイメージができていなくてはならない。
その上、積む際も軽い物の上に重い物を置くわけにはいかないので、言わば3次元テトリスのようなプレイングが求められる。
これらのことを1日中身体も疲れてくる中で 集中力を欠かさず続けようと意識すれば、身体と同じくらい もしくはそれ以上に脳や目が疲れてしまう。
筋力や根性をいくら持っていても、一朝一夕ではどうにもならない壁を感じたし、来たばかりの派遣社員にはさせられない理由も深く理解ができた。
裏を返せば、そこに自分が配置されたということがどういうことなのかを考え、非常に嬉しいと同時に 裏切れないなという大きなプレッシャーも感じた。

走り回り、ソーターを流れる品物のラベルを確認し 自分の身長程のカゴ車に段ボールを積み込む、目線ぐらいまで品物の積み上がった総重量数百キロのカゴ車を引っ張り出して 新しいカゴ車をセットしては、隣の店舗のソーターへまた走る。
そんな作業が朝から晩までだ。
時には誤った先読みをして 1人だけ何も流れて来ない別の店舗へ真っ先に走って行き、時にはカップラーメンの段ボールの上に飲料の段ボールを威勢良く積んだ。
社員さん達から叱責を受けることも決して少なくはなかった。
それでも喰らい付いて走り続け 運び続け、連日iPhoneのヘルスケアに記録される勤務中の歩数は5万歩 距離にして30キロを越えた。

勝手に自分で自分を追い込み、失敗と学習を繰り返し、人生で初めて、階段を登っているかのような確かな成長を自分に感じながら、日々汗水流して働く中で、気付けば厳しい夏が終わった。
最初はどうなることかと思ったシュートの作業においても、少しずつ少しずつ脳みそも身体も追い着いて行き、会社から戦力にカウントされる程度には育った。
19年間自堕落に生き続けたことで、溜まるに溜まった毒素が、数ヶ月間の儀式によって一気に放出された私は、給料や立場など本来社会人が持つべき欲を置き去りにして、ただただ気持ち良くなっていた。
この頃から、私は"真の肉体労働者"になったのだろう。
クズから派遣社員になり、派遣社員から労働者になった。
ロバが旅に出たところで、馬になるわけではないが、私は一流のロバにはなれたと思っている。
時には、馬より強く速いロバがいるかもしれない。
エリートの馬に囲まれ、自分も当然馬だと思って生きてきた私にとっては、自分がロバであったと認識を改めて生きるのは辛い選択であり、だからこその儀式であり だからこその救いだった筈だ。
けれど、流れる汗と溢れ出るアドレナリンと それらから生まれる充実感から、儀式は自然と日常へと変わり、救われたのではなく そもそも救われる必要がなくなっていった。
「ロバで上等 それが私の人生だ。」
そう考えるようになった。
S社に勤務するようになってからここまでで 様々な変化があったが、これが最も大きな変化だろう。
そして、派遣会社に登録してから受け入れるという生き方に努めてきた私にとっては、ある意味集大成とも言える変化だったのかもしれない。

内間さんと親しくなったのも、そんな夏の終わりのことだった。

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