6.汗臭く泥臭い香水

S社初勤務当日の朝、私は普段よりも早い時間帯に起床し、準備に取り掛かった。
充分な朝食をとり、歯を磨き、シャワーを浴びた。
家を出る前に、前日に派遣会社から届いたお仕事紹介メールを確認した。
作業内容の部分には、「日用品の仕分け」と記載されていた。
派遣会社に登録した頃から感じていたのだが、この作業内容の説明は実に簡素であり、不充分だった。
これではその作業が楽なのか大変なのか、わかったものではない。(裏を返せば、それが派遣会社側の狙いなのかもしれないが)
もっと、
肉体疲労度★★★★★ 複雑度★★★☆☆
などと記載して欲しいものだ。
素人が考えていても埒が開かなかったので、作業内容のことは1度忘れ、画面を下にスクロールし、勤務地の住所の部分に目をやった。
勤務地は自宅から直線距離で10km程離れており、アクセス手段は、自宅の最寄り駅から2駅離れた駅で降り その後30分程バスやタクシーに乗って行く方法と、車や自転車などの自力通勤との、2択であった。
非常に甲乙つけ難い選択ではあったが、遅延や乗り間違いのリスクを考慮すると、やはり公共の交通手段を使うことに対しては、あまり気が進まず、私は自転車で出勤をすることにした。(当時は、車はおろか、免許すら持っていなかった)
ある程度のルートを確認した上で、お気に入りのカーボン製のロードバイクに跨り、私は家を出発し、S社へと向かった。

ひたすら北へと進んだ。
生まれ育った地元の市内とはいっても、自宅から数キロも離れてくれば、その風景に馴染みはなく、これからの勤務の緊張とも相まって、私はなんだか大冒険でもしているかのような心持ちになっていた。
辺りからは徐々に建造物は消え、田畑の割合が増えた。
そこからさらに数十分自転車を漕ぎ続けた結果、田畑は地平線に届かんばかりにまで広がっていた。
本当にこんな所に物流倉庫があるのだろうか......とも思ったが、よくよく考えてみれば、駅の真ん前に物流倉庫が聳え立っていた例などこれまでにはなく、物流倉庫というのは辺鄙な場所にあるものだという事実を再認識した。

自宅を出発してから1時間位経過しただろうか。(地図を確認したり、コンビニで昼食を買ったりなどもした。)
これまで田んぼしかなかった視界に、突如巨大な建造物が現れた。
距離は離れていたが、それでもその建物が非常に大きいということは理解ができた。
周りに比較する物がなかったからではなく、本当にひたすら大きいのだ。
スマホの地図アプリを確認したところ、案の定、間違いなくそれが、今日の、いや、これからの私の勤務先であるということがわかった。
大きさとは即ち倉庫内の広さ、倉庫内の広さとは即ち物量、そして過酷さを意味していた。
なるほど......厳しい日々になりそうだ、と私は少し憂鬱になった。
残酷なことに、目的地に近付くに連れ、倉庫の巨大さはより顕著になっていった。
ショッピングモールも顔負けのその高さ 奥行き、そしてその両端に設置されたトラック仕様の巨大な螺旋状のランプウェイ。
あまり見慣れた風景ではなく、より一層不安や緊張が掻き立てられた。

そしてようやく、目的地に到着した。
外の看板を見たところ、この建物内には7つの会社が入っているとのこと。
なにもS社だけでこの大きさ、というわけではないという事実に少し安堵した。
自転車を停め、建物内に入った。
S社は2階の手前にあると記されていたので、エレベーターに乗りそのまま2階へ上がり、降りたらそのまま通路を進み、受付を探した。
エレベーターといい、廊下といい、その内観は非常に綺麗であり、そこだけを見れば、とてもここが"過酷で不人気な勤務先"とは思えなかった。
通路の右手には大きな扉が無数にあり、左手には小さな扉が2つあった。
左手の小さな扉のうちの1つはガラス張りであったため、中の様子を見ることができたが、どうやらそこが事務所であるということがわかった。
ノックをし、挨拶をし、派遣会社に提出する用の紙を渡すと同時に、自分が派遣社員としてS社に勤務をしに来たことを事務員の女性に伝えると、そのまま更衣室へと案内された。
左手のもう1つの扉がその更衣室であったが、そこもまた、鍵付きのロッカー配備という非常に親切な仕様であった。
嵐の前の静けさとでも言おうか、その綺麗で静かな廊下を通り、誰もいない更衣室で着替え、支度を済ませた。

外に出て、先程の事務員さんと落ち合った。
けれど彼女は、「現場はあちらです。」とだけ私に伝えると、そそくさと事務所に戻って行ってしまった。
作業の話は現場の社員さんに聞いて欲しいという意味だったのだろう。
彼女のいう"あちら"とは大きな扉が無数にある右側を指しており、これらの扉の向こう側に外から見た時の、あの驚異的な奥行きが広がっているということは容易に想像ができた。
けれど、緊張も不安も憂鬱も、ここまで来たら全て背負ってやるしかないということは明白であり、私は思い切ってその扉を開けた。

扉のその先に広がっていた空間は、案の定というか予想以上というか、とにかく果てしない広さであり、全体図を把握することはおろか、反対側の壁を視認することすら不可能であった。
幼少期に家族と訪れた、倉庫型業務用スーパー"コストコ"を彷彿とさせる内観ではあったが、広さはその倍から3倍はあった。
そして、その広大な構内の中心には、背骨のように図太いベルトコンベアを纏ったソーターが配置されており、さらにそのメインのソーターは構内の至る所に枝別れをして、まるであばらのように伸びていた。
それらのソーターの隙間や 壁際などには、段ボールが何段にも積み重ねられたパレットや、そのパレットをさらに何段にも積み重ねたネステナーなどが置かれおり、まるで世界中の段ボールがここに集結しているかのようであった。
この数千、もしかしたら数万にも及ぶかもしれない茶色い箱を、人体の骨のようなフォーメーションのソーターが動くことで、決まった場所に仕分けられ、定められた場所へ送られるのだろう。
そして、それらのソーターの両端に設置された小さな機器の数々が、商品を仕分けるために、段ボールの側面のバーコードを読みとったり、そこにラベルを貼りつけたり、さらにそのラベルのバーコードを読み取ったりするものなのだろう、なんてことも素人なりに推測した。

初めて見る風景に驚かされることも多かったが、それなりには理解をし 対応していくように努めていた私だったが、それでも驚きを隠せなかったのは、働く人々の姿や動きであった。
彼らは、ソーターやパレットの隙間を、段ボールを抱えながら、まるでそれがドッジボールの球であるかのように軽々と持っては走り回り、移動させたり 積んだり 降ろしたりをひたすら繰り返していたのである。
どんなものでも、神がかった動作というのは、その動きがあまりに滑らかで淀みがないせいで、一見簡単そうに見えてしまうものである。
体操選手のバク転然り、ポーカーディーラーのカードシャッフル然り、たこ焼き屋さんの器にたこ焼きを入れる工程然り、etc......。
見る側は最初、当たり前にその動きを見てしまい、数秒後にそれが如何に尋常ならざる動きであったかを認識し驚愕する。
私も正にその現象が起きていた。
物理的に説明ができないような体勢から、指先で段ボールを触り、こちらがそれを視認する頃には、既に段ボールは別の場所へと移動されている。
その後、たちまち忍者のようにサササッと走っては、また別のソーターに移動し、同じような動作を行う、そんなことを10人程度の男達がさも当然のように永遠とやり続けているのだ。
呆気に取られずにいられるものか。
そして時折、現場には「おい◯◯!△△店のソーター詰まってんじゃねえかッ!」とか「□□!周り見ろ周りぃ!」といったような怒号が鳴り響いていた。
険しい現場であることや、派遣社員が寄り付かない理由は、早くも解明に至ってしまった。

ふと我に帰り、そんな"大合戦"のような現場のど真ん中にポツンと突っ立っている自分が、今どれほど危機的状況かを改めて理解し、私は大慌てで1番近くの社員さんの元に全力疾走で駆け寄り大きな声で挨拶をした。
他の現場の例に漏れず、その社員さんも「初めて?」とだけ無愛想に私に尋ね、早歩きで私を案内した。
案内された先は、現場の隅っこであり、あばらのようなソーターのスタート地点だった。
私のその日の作業は、多少角度がついており重力で勝手に進行方向に進むソーターの上に、まだラベルも何も貼られていない段ボールをパレットから1つずつ取って 置いていくというものだった。
作業内容の単純さだけでいえば、これまで派遣社員としてしてきた作業の中でもトップクラスに単純なものである。
けれどその一方で、使う筋力や消費カロリーも単純さに比例するかの如くダントツであることが予想され、私は絶望する他なかった。
これは『投入』や『流し』と呼ばれる作業であり、それからの数年間で何千何万と耳にすることになる言葉だが、この時が初めての出会いだった。
後々理解したことだが、S社のように、トラックで来た大量の荷物をソーターを用いて仕分けて出荷するようなタイプの物流倉庫においては、この投入という作業無くしては何も始まらず、切っても切れない関係にあり、その作業の単純さと 体力的な過酷さから、その日限りの派遣社員にさせる作業としてはうってつけのものだった。
この法則は、後に行くどの物流倉庫にも当てはまるものであり、私が最後に勤めていた6年間お世話になった現場もまた例外ではなかった。

作業が始まった。
途方に暮れている私の横には無慈悲にも飲料が高く積まれているパレットがフォークリフトによってセットされた。
1段16面の4段積みの計64ケースという、飲料をパレットに積む上で最もよくある積まれ方だ。(当時の私はそんなことは知る由もないが)
私は、ポケットからラバー加工の施された軍手を取り出して装着し、社員さんから手渡された黒ずんだ傷だらけのヘルメットを被った。
ついさっきまでは別の誰かが被っていただろうし、きっと昨日も一昨日も そんな具合で大昔から何人もの作業員が汗だくになりながら被っていたであろうそのヘルメットからは、肉体労働という概念を最も短時間で表現できてしまうくらいの、生温かさと 湿り気と 汗臭さがあった。
作業を始める前に、一度更衣室に戻り 汗を拭う用に家から持ってきたタオルを頭に巻きたいと思ったし、一度充分な水分補給をしたいと思ったし、この作業を一体何時間すれば解放されるのかを事前に社員さんに問いたかったし、なにより逃げ出したかった。
けれどふと、ジュースを買うのさえままならないほど金欠だった数ヶ月前の自分や、お仕事紹介メールが届いているのか 毎分メールボックスを確認する程に不安定な働き方をしていた昨日までの自分や、モタモタしてさっきの誰かのように怒鳴られる数秒後の自分を想像して、己を奮い立たせた。
ここで歯を食いしばることが、安定にも成長にも繋がる気がしたし、自分の未来だと思った。
広過ぎる倉庫、けたたましい機械音、それに負けないくらいの怒鳴り声、汗臭い備品、朝から少しずつ蓄積されていた私の不安や絶望はここに来て絶頂に達していたが、仕方が無いので飲料の段ボールに手を伸ばし、一歩を踏み出すことにした。

段ボールを持った時の感覚は、今でも鮮明に覚えている。
2㍑のペットボトルが6本入った段ボールは単純計算で1箱で12㌕以上はあるということだ。
1箱12キロ...が1パレット64箱......のパレットが1.2.3...無数.........当時の私には縁のない重量と物量だった。
学生時代 部活のトレーニングで使っていた鉄アレイやメディシンボールで3キロか5キロ、それこそスーパーで買うペットボトル1本で最大2キロ、そのため10キロ以上の何かを日常的に持った経験などこれまでの私にはなく、"とてつもなく重いものが山程"ということ以外には、具体的な重みや それを朝から晩まで持つことで生じる疲れのイメージは湧かなかった。
心の中で「せーの!」と唱え、段ボールに手を添え持ち上げた。

やっぱりめちゃくちゃ重かった。

確かに この1ケースだけに限定するのであれば 10代の男が持てない重さというわけでもなかったが、その一方で1日中 継続的に難なく運び続けられるかどうかという定義で話すのであれば、めちゃくちゃ重かった。
ましてや、先程見かけた猛者達のように立ち回ることなんて、絶対に出来なかった。
何を隠そうこの作業は持ち上げるだけではなく、横に移動させて、置かなければいけない。
自分の体重の何割かの重さはある物体を、重心から離れた場所に移動させながら置くというのは、筋力体力と同じくらいに 技術も必要だと身をもって実感した。
私はししおどしのように 重力に任せて倒れ込みながらソーターに段ボールを置いてしまい、恥ずかしい幕開けとなった。
それでもとにかく手を止めてはいけないと思い、慌てて2ケース目にも手を伸ばし、再びししおどしを発動させた。
そんなことをしばらく続けた。
1パレット目がようやく終わると、無慈悲にも 当たり前のようにまた新しいパレットがフォークリフトによって追加され、息をつく間もなく投入を続行する羽目になった。
腕胸腰脚には確かな負担が蓄積されていき、それはまるで重い荷物を背負いながらフルマラソンを走らさせられているかのようであった。
時折、ソーターに置く際に重力に任せる余り、雑な置き方になってしまい、これは商品なんだからもう少し丁寧に扱えという指摘を受けたり、斜めに置いてしまい機械がエラーを起こしたりと、ハプニングも多少はあった。

けれどどういったわけか、社員さん達が当初のイメージよりは自分に対して温かく接してくれているような気がした。
イメージというより、実際これまでの現場の社員さん達と比べてもなんだか温かみを感じた。
この感覚というものには、自分で言うのも変だが、かなり自信を持っていた。
何故なら、これまで多くの現場を転々としてきた自分にとって、現場の雰囲気や 自分に対する社員さんの接し方というのは、その日働く上での一種の指標でもあったし、自分自身にそれらを測定する温度計の様な器官が発達していたのも事実だからだ。

では何故 温かいのか、という疑問を持ったが、その答えは、この業界に身を置いた時から散々向き合っている"派遣社員としての在り方"という所にあった。
どういうことか具体的に説明すると、自分の立つソーターの10メートルほど離れた位置にも同じ様なソーターが配置されており、そこでも私と似た様な素人の派遣社員が同じ作業をしていた。
私が未経験ながら顔を真っ赤にし汗だくで不恰好に飲料を投入しているのに対し、彼は涼しげに というか無気力に のんびりと作業を行なっていた。
要所要所で社員さんから喝を入れられても屁のカッパと言わんばかりに、そのペースは変わらず、そのスピードが早いのなら問題はないのだが、しっかりと遅いのだ。(もちろんこの私よりも)
見た目からして私と同世代なのだろうけれど、皮肉にもその神経の図太さだけは、ある意味では評価に値すると思った。
この空気感の現場で、こんな働き方をしていては継続的な勤務は不可能だと思うので、恐らく彼も今日が"初日"であり、同時に彼だけは今日が"最終日"でもあったのだろう。
そしてこの現場の全員と、仕事を紹介した派遣会社さえもが、きっとこの事実を当然の様に理解しているのだ。
しかし残念ながら、彼は間違っていないし、悪でもない。
以前の投稿でも書いた様に、派遣社員には色々な事情の色々なタイプの人間がいて、各々が自分に合った働き方を導き出し好き勝手に実践している。
本来ある筈の、正解と不正解の境界線は無く、そこにあるのは、派遣社員本人の 明日もこの現場に来たいか来たくないかの選択と、現場の 明日もこの派遣社員を使いたいか使いたくないかの選択の権利のみだ。
彼は寧ろ派遣社員としては1つのベクトルに特化したプロであり、そういった意味では私の方がよっぽど邪道なのだ。
事実、技術もない素人が熱量だけを持って日雇いに望んでも、煙たがられるケースも少なくない。
ただ、この現場の この数分間においては、私の方が彼と比較すると重宝される立ち位置にあり、「あいつよりはこいつの方がまだマシかな」といった、自分と彼に対する現場側からの微妙な温度差を私は感じ取っていたのだろう。

「一心不乱」とはいいようで、身体だけが疲れる単純な肉体労働をひたすら続ける中で、私の脳内では前述したような哲学が展開されていた。
その中で気付いたことはつまり、この現場は大多数の"肉体労働の達人"と、そこにうっかり紛れ込んでしまった少数の"日雇い労働の達人"によって形成されているということだ。
やはりこれまで働いて来た現場の、少数の管理者と 大多数の派遣社員という構図とは真逆であることを再認識した。
と同時にここに入った時に感じた廊下や更衣室の綺麗で落ち着いた雰囲気というも、流動性を持った人材の割合に関係しているのかなぁともなんとなく思った。

しかし、どれほど立派な考察を並べてみても、明日から来ないかもしれない派遣社員という肩書きも、他の大多数のプロに比べると足元にも及ばない実力も、何一つ今すぐに打破できるものはなく、この現場で私だけが、どちら側にも転がりうる可能性を持つ曖昧な立ち位置であることに変わりはなかった。
"派遣社員として邪道"とは言ったが、かと言って 表面だけを見れば"この現場では王道"というわけでも現時点では決してなく、ポジション的な意味でも ししおどしみたいなことをしていた。
折角、安定への階段を登っているのに、至る所から不安定という名の魔の手が忍び寄っているのを感じた。

けれど、そのすぐそばの不安定が再度 自分を奮い立たせ、疲れや時間という概念を遠ざけた。
先程のマラソンの例えを用いて最大限美化した表現をするのであれば、ランナーズハイの様な状況だったのかもしれない。
少しずつ(色んな意味での)ししおどしの様な動きはマシになっていき、あっという間に昼休憩を迎えた。
午後も投入を続けたが、ふと後ろを振り向くと、あれほど並んでいた飲料のパレットは次第に溶けていき、ペットボトルから缶や紙パックの飲料へと移り変わって行った。
夕方には飲料は終わり、食品関係のアイテムを投入することになり、身体も限界には近づいていたものの段ボールの重さも少しずつ軽いものになった。

日が沈み、定時を迎えたが、まだ作業が終わる雰囲気は無かった。
もう1人の派遣社員の彼が挨拶も無く現場から去るのを視界の隅で捉えた。
さも当然の様に彼について行って退勤したいとも少し思ったが、8時間自分なりのベストを貫いたその時の自分にとっては、帰る方が怖くて難しい選択になっていた。
数分後、社員さんが私の元に来て、
「時間だけどまだできるの?」
と私に尋ねた。
まるで退勤時間など気にも留めていなかったかのような白々しい表情で私は、
「やっていいなら続けさせてください」
と伝えた。
すると社員さんが、
「名前は?」
と聞いてきた。
そのトーンはやはり無愛想で、まだ仲間として認めたわけじゃないぞと言わんばかりであったが、どんなトーンであれ、現場の社員さんに名前を聞かれたのはこれが初めてのことだった。
私はそれが嬉しくて嬉しくて、苗字だけ答えればいいものを、思わずご丁寧にフルネームで答えた。
そして照れ臭さを紛らわすためにも、すぐに作業に戻りラストスパートをかけた。

最後のアイテムはお菓子だった。
徐々に見えてくる投入完了という希望に縋り付いた。
それでも数百ケースは残っていたが、1ケース1ケース確実に減らしていった。

そして夜9時を過ぎた頃に、全ての投入が終了した。
終わった瞬間に、目を逸らし続けていた身体の疲れが全身を包んで、フラフラのガクガクになった。
全身黒い服を着ていたが、それらには10時間以上に及ぶ作業でかいた大量の汗によって、白い模様ができていた。
作業前に貸し出された汚いヘルメットはとっくに自分の汗で塗り替えられていたことだろう。
ずっと作業をしていた私の立ち位置も、お風呂の脱衣所のように濡れていた。
読者の皆様からすれば汚いと感じることかも知れないが、当時の私からすれば これらの全てが誇らしかった。
すれ違う作業員全員に、「私は今日一生懸命頑張りましたよ!」と口を開かずに説明することができたのだから。

残っている作業員の方々に挨拶を済ませ、私は帰宅することにした。
挨拶の中で、1人の社員さんが「またね」と私に返事をしてくれた。
ただの言葉の綾なのだろうけれど、それすらもその時の私からしたら、「また来てね」という意味に感じることができ、そこでまた悦に浸った。
作業を終えた後の、1時間の自転車は困難を極めたが、充実感の余韻のおかげでなんとかなった。
家の前のコンビニで、1㍑の紙パックのバナナミルクを疲れに任せ一気飲みしたのを覚えている。
そしてあれだけ汗をかいたにも関わらず、帰宅後はシャワーも浴びずにベッドへ直行し、泥の様に眠った。
S社初出勤の1日は、こうして幕を閉じた。

"ブラック企業"や"働き方改革"という言葉を耳にする機会が増え、"気合い"や"根性"という概念を労働に持ち込むことが古いとされがちな昨今、この時の私の考えや行動が、必ずしも美しいものなのかどうかという疑問を持つ人がいることに理解はできる。
ましてやそれが誇りを持つべき仕事に従事している人間のしたことならばまだしも、偉そうに語っている張本人が高校を卒業して 進学も就職もしていないプー太郎だというのだから尚更である。

けれど、あえて言うならば、私はこれからも労働者としては、汗臭く泥臭くありたい。
学生時代、好き放題過ごし、優等生と劣等生の境界線が見えれば喜んで劣等生側に飛び込んで行き、試験前日には迷わず眠っていた私が、自分なりに考えて ここまで踏ん張れるようになったのだ。
言い方を変えれば、あの時私に構わず努力していた同級生のみんなは、S社に勤める私よりも若く、その踏ん張り方を知っていた。
人間、きっといつかは踏ん張らなければならない時が来る。
それが早ければ早いほど、その後の人生は生き易くなるのだろう。
私は同級生よりはそれが遅かったから、少し遠回りをしてしまったけれど、それでもS社に勤めて気付けてよかったと思っている。

転職をするタイミングでこのブログを書く決心をしてから、早いもので2年が経とうとしている。
現在、一生勉強とまで言われる職人の業界に身を置く中で、ブログを書くことも忘れ、それこそ死に物狂いで日々様々なことを学んでいる。
一人前になっただなんて口が裂けても言えないけれど、少しずつ成長はできているのかなという実感もある。
そんな中でいただいた大型連休、ふと昔のことを思い出し、こうしてnoteを久しぶりに開いて見た次第。
2年前、寂しさを埋めるためにと思って始めた活動だったが、筆を走らせていくうちに、職種も雇用形態も変わった今でも意外と働く上で持つべきものは変わらないなあと少し思う。
過去を振り返りながら書いている筈が、途中から今の自分すらも、あの時の様に奮い立たせていた。
考えてみれば、今も働きながら私は、心が折れそうになれば 汗臭くて泥臭い香水を自分に振りかけているような気がする。
それに、同じ香水をつけている上司や部下が隣にいれば、もっと頑張りたくなる。
そして、不思議と今の私の職場の周りにも、そういう人が多い気がする。
間違った考えでも 古い考えでもなんでもいい。私自身はそんな今も昔も大好きだ。

明日も私は、この香水を忘れずに持って仕事に向かうし、香水を切らさないためにもやっぱりこれからもnoteは更新していきたいです。
みなさんもう暫くお付き合いください笑

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