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木ノ実 ひよこ
2020年6月25日 23:42
綾子が喋らなくなったのは、中学2年生になったばかりの頃だった。1年生の頃は自然な会話が出来ていただけに、クラスの皆が戸惑いを隠せずにいた。綾子が話さなくなった瞬間は、親友の莉花と、綾子自身だけが気付いていた。2年生、春の始まり。クラスメイトが順番に自己紹介をする時間があった。出席番号に沿って、1人ずつ立ち上がる。皆照れ臭そうに名前と一言を述べては、後ろの席へとバトン
2020年6月21日 23:37
鯨のお腹の中は、暖かくて懐かしい音がして、案外心地良かった。私が乗っていた船が転覆しかかったのは昨晩の夜のことである。貨物船員として働いている女性は、世界中探してもきっと少ない。だから、嵐に巻き込まれて船がひっくり返りそうになった時真っ先に救命ボートを使って逃したのは唯一の女性である私だった。その瞬間は、確かに私を助けてくれたのだと思った。だからこそ、絶望が大きかっ
2020年6月17日 00:28
口が1つしかないのは心が1つしか無いからだと、僕は痛い程に思い知った。小さな市民体育館が空っぽになって、主催者の男が茶封筒を渡して来た。「いやはや、想像以上に大盛況でしたよ。大人も子どもも喜んでくれて」小太りでスーツを着た男は、満足げに笑っている。カメラを持った女性が小走りで近付いてきて、名刺を僕に手渡した。肩書きには『南市役所広報担当』と記されている。シンプル
2020年6月14日 10:23
洗濯機の底がどこかへいってしまった。気付いたのは今朝のことで、洗濯をしようと蓋を開けて、今まさに靴下をぶちこもうとしたところだった。あと数秒気付くのに遅れていたら、お気に入りの靴下はどこかへいってしまっただろう。洗濯機は縦型のやつで、底を覗くとアニメでよく見るブラックホールのようにモヤモヤとしていた。寝ている間に、何かと繋がってしまったのかもしれない。僕は呆然と
2020年6月11日 07:51
髪を切った。洗面台の前で、安いカットバサミを使って、バッサリ切った。そうする他に無かったからである。『人は、思い込みでヒトを認知する』大学時代、心理学の授業で教えて貰った。だから、私の髪が長いと信じているタロちゃんは私を見つけられないと思った。大胆に切った髪は上手く整えられるはずもなく、毛先もバラバラでヘンテコだった。でもそんなこと構わなかった。私はお母さん
2020年6月8日 10:50
大和家のお屋敷は不穏な空気であった。このお屋敷はとっても広くて、ご主人様とその奥様の元、4匹の猫が住んでいる。お屋敷は平屋で、その代わり部屋の数がとっても多い。猫たちには、部屋が幾つあるかなんて最早把握出来ていなかった。このお屋敷の猫たちは、みんな奥様が拾ってきた猫ばかりだ。1番年上はタマゴロウ。真っ白くてスマートなオス猫で、みんなが頼りにしているリーダー的存在だ
2020年6月4日 11:00
気付けば夜の12時を回っていた。会社では残業をしない上の人たちが省エネ省エネと謳ったせいで、最低限まで薄暗くなったオフィスに佳菜子は1人パソコンを前にして項垂れていた。社内はとても静かだ。どこから聞こえているのか分からない機械音だけが響いている。30を超えた佳菜子には、この光や音を恐怖に感じることは無かった。例え幽霊が出たとしても、次の日若いOL達に話す形で笑い
2020年6月1日 00:26
頭が痛い。何日も船に乗っていたような気持ちの悪さ。極め付けに昨晩の記憶が無い。二日酔いである。胃の中で消化を抵抗しているのか今にも喉元まで戻って来そうだ。胃薬と、スポーツドリンクを飲んだ。こんなに体調が悪くても否応無しに仕事は始まる。まだ目が覚めていない頭を支えて漸くスーツに着替えた。窓から射す光は嫌味なくらいに眩しい。どんよりとした気持ちの朝はど