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知らない靴


頭が痛い。


何日も船に乗っていたような
気持ちの悪さ。

極め付けに
昨晩の記憶が無い。

二日酔いである。



胃の中で
消化を抵抗しているのか
今にも喉元まで戻って来そうだ。

胃薬と、スポーツドリンクを飲んだ。


こんなに体調が悪くても
否応無しに仕事は始まる。



まだ目が覚めていない頭を支えて
漸くスーツに着替えた。


窓から射す光は嫌味なくらいに眩しい。

どんよりとした気持ちの朝は
どんよりとした天気の方が相応しい。

そんな気持ちで靴を履いた時だった。


「え?」

思わず、意識していない声が出た。

玄関に知らない靴が置いてあったのだ。


俺よりずっと小さくて、
カカトが少し高い靴。

爪先の辺りに、
キラキラとした装飾が付いていた。
靴を持ち上げてみる。
裏面には、
アルファベットで小さく文字が書いてあった。


こういうとき、1番に訪れる感情は
焦燥である。


記憶を辿るが、
昨晩の帰り道すら覚えていない。

念の為、家中のあらゆるスペースを
確認してみたが、
人の気配は一切無かった。


会社に行かなければ。


あらゆる心残りを置いて、
家を出た。



まだ頭がガンガンする。
誰かに叩かれているような痛さもある。


今日1日は、この頭痛と戦うことを
覚悟しなければいけない。


俺は昨日共に飲んだメンバーを
思い返しながら、
心当たりを探った。


昨夜は中途社員の歓迎会で。

煌びやかな靴を履きそうな人は
推定3人。


糸井先輩、大島さん、古谷。


この3人の誰かの靴を、
俺はどうした?

それとも果たして、
俺が持って帰ったのは
本当に靴なのだろうか…。


そう思うと、
会社への足取りが余計に重たく感じた。



「おはようございます」

タイムカードを切って、
いつものように席に着く。

ビルの14階にある会社は
小綺麗だが小さい。

見渡せば隅から隅まで視界に入る
小規模な支社である。


パソコンの前に貼ってある付箋を元に、
クライアントへメールを送る。

自分が帰った後に誰かが受けてくれた電話は、
大抵こうやって卓上にメモが残されている。

昨日電話を取ってくれたのは、
少し遅れて飲み会に参加した
大島さんだった。


「あ、その人ね、
今日の昼電話かけて来るよ、多分」


後ろから聞こえた声に振り返って、
伝達の礼を述べた。

「とりあえず現状の進捗だけ
早めに知りたいって」

必要な情報を述べると、
大島さんは少し離れた自分の席へ戻った。


彼女の足元を見た。


カカトは少し高いが、
装飾は付いていないシンプルな靴を履いていた。

多分、彼女ではない。



昼休みを目掛けて、
同期の小谷の元へ近付いた。

古谷は経理をしている為、
席までだいぶ離れている。

天井に形だけ吊り下げられている
『営業』と『経理』の小さな看板が、
営業陣にとっては大きな仕切りとなっていた。

業務内に話かけるのは至難の技だ。


古谷は地下の食堂で
持参した弁当をモグモグと食べていた。

ここは社員の休憩室代わりになっていて、
定食を注文することも出来るし
古谷のように持ってきたものを食べる者もいる。

白くて古い蛍光灯に照らされた古谷の元へ、
ハンバーグ定食を持って近付いた。

「お疲れ様」

お疲れ。
小さく片手を上げた。

社員同士の決まった挨拶である。

俺は古谷の向かい側へ座った。


「昨日無事帰れた?」

少し焦げた玉子焼きを摘みながら、
古谷は話しかけてきた。


俺の無事を知らずにいたということは、
古谷はあの靴の犯人では無さそうだ。

「昨日酔いすぎて記憶無いんだよな。
朝気付いたら家にいた」

古谷は驚き半分に笑った。

「昨日大変だったんだよ。
あんた酔いつぶれて、トイレに篭って
出てこなくなるわ、
電柱に思い切り頭ぶつけるわ。
最後は蒲田課長が
あんたをタクシーに突っ込んだの」

ガンガンと響く頭痛の中に、
ズキズキが聞こえる。
誰かに叩かれているような、痛さ。

頭の右の方を触ると、
確かに腫れていた。

「俺、1人で帰ってた?」

「1人だったよ。
そんなに酔ってたの?
家まで帰れて良かったね」

古谷は大きなハンカチに
弁当箱を包んで、
小さく手を合わせていた。


靴の話をする勇気が出なかった。


糸井先輩が俺の家に上がることなど
まず考えられない。

あの人は仕事一筋のキャリアウーマンだし、
俺たちにとっては高嶺の花とも呼ばれるくらい
スラッとして綺麗だ。


だとすれば、
酔って何処かから盗んだのか…?


俺は仕事の合間に
こっそり靴のブランドを調べた。

記憶は曖昧だったが、
予測変換で似た靴がヒットした。

どうやら2万円相当らしい。


心臓がバクバクした。

どこから盗んだ?


普段は残業してでも終わらせる
業務が全く手に付かず、
時計の針が6を刺した瞬間に帰宅した。


電車に揺られながら、考える。

昨日の記憶。

今朝の記憶。


マンションに着くまでにも考える。

昨夜のタクシー。

仕事中の糸井先輩の様子。


やっぱり、何も思い出せなかった。

もう2度と、
飲みの席での失態には気を付けよう。

反省と共に自宅の鍵を開けた。


「あ、おかえり!」


奥の部屋から、声が聞こえた。


「早かったね、珍しい。
あ、それお土産ね、机の上に置いたやつ」


女が、小さなスーツケースから荷物を取り出し
衣類を片付けていた。


「何してんの?
早く手洗って。
あ、私明日まで泊まるからよろしく」


女の声を聞きながら、
ただ立っていた。


足元を見ると、
知らない靴が増えている。

赤色の、小さいスニーカー。


知らない靴。
知らない人。


思わず右の頭に手を当てた。

誰かに叩かれているような、ズキズキ。


頭をぶつけた余韻だけが、
俺の頭の中で響いていた。




挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=7xo3rqlobkx9

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