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僕の小さな世界と大きな洗濯機


洗濯機の底がどこかへいってしまった。

気付いたのは今朝のことで、
洗濯をしようと蓋を開けて、
今まさに靴下をぶちこもうとしたところだった。

あと数秒気付くのに遅れていたら、
お気に入りの靴下は
どこかへいってしまっただろう。

洗濯機は縦型のやつで、
底を覗くとアニメでよく見る
ブラックホールのように
モヤモヤとしていた。

寝ている間に、
何かと繋がってしまったのかもしれない。

僕は呆然と洗濯機の前で立ち尽くした。


「修理屋さんを呼んだら、
直してくれるのかな」


腕を組んで考えてみたところで、
答えが分かる筈は無かった。

途方に暮れる、というやつだ。

僕は、洗濯機のスイッチを入れて
洗剤と柔軟剤を入れて
いつものように回してみた。


ブラックホールが真っ白になった。


水はどこにいったのか、
脱水はせずともモヤモヤとした白色は
作る途中の綿飴みたいに無造作に踊っている。


モヤモヤが白色になっただけで、
不思議と恐ろしさは無くなった。


僕は、洗濯機の中に
バスタオルを投げ入れてみた。


一体底がどこにあるのか、
耳を澄まして聞いていたが
投げたバスタオルは戻って来ることもなく、
何かに到達した気配も無かった。

恐らくこの白いモヤモヤの中は、
モヤモヤで出来ている。


家中がシンとしている。

僕は、学校に行かなくなって
既に半月経っていた。

お母さんは昼間働きに出るので、
僕に洗濯の仕事を任命した。

「どうせ家に居るならこれくらいはしなさい」

お母さんは、僕に甘いわけでは無いけど、
学校に行かない事を咎めるわけでは無かった。


白いモヤモヤが気になる。

だけど、この中に入ったら
どこに繋がっているかも分からないし、
帰って来れるという保証もない。

もしも帰って来られなかったら
お母さんが悲しむに違いない。


僕は、好奇心で
白いモヤモヤを触ってみた。

モヤモヤは、雲や水蒸気のように
水気を帯びていない。
完全に気体で出来ているようだった。

暫くは、その色のついた空気を
なんとか掴めないかとクルクル腕を回していた。

空気は円を幾つも描くように、
腕の動きに沿って移動した。

中心が凹んだとき、
僕は思わず「あっ」と叫んだ。


何かが見えた。


その“何か“は、
最初に投げたバスタオルでは無かった。

寧ろ生き物のように見えた。

目が合った気がした。


恐怖心よりも好奇心が勝った瞬間だった。

そのまま、足を思い切り蹴り上げて
洗濯機の中に、頭から潜り込んだ。


家には叫び声だけが残った。


白いモヤモヤの中は
ずっと白色のままだった。

重力は相変わらず下に向かっている。

このまま全速力で底まで着いてしまったら
死んでしまうかもしれない。

でもこうなってしまった以上、
僕に出来る事は何も無い。

だって重力があるのは地球の作りであり、
人間ではどうにも出来ない自然の摂理なのだ。



ぽよん。


という、なんとも情けない音と共に、
僕は地面に着いた。

地面がとても柔らかい。
暫くトランポリンのように跳ね続けたが、
ようやく落ち着いた。


いろんなものがぽよぽよとしていたが、
僕の知っている景色だった。

というか、僕の住む家そのままだった。

1LDKの古いアパート。
そのリビングに着地したようだ。

全部が柔らかくなっているが、
見た目は全く同じだった。


パラレルワールド。


聞いた事のある単語が、
頭を過った。
つまり、ここはそう呼ばれる世界なのだろうか。


洗面台の方から音がする。

誰かいることを悟った。


一瞬ためらったものの、
洗面台の方へ向かうことにした。

さっき洗濯機を挟んで目を合わせた
何かの正体かもしれない。

リビングと玄関の間に、
洗面台がある。
左側だ。

覗き込むような形で顔だけ出して
洗面台を見ると、
見覚えのある奴が立っていた。

僕だ。


もう1人の僕は、
柔らかくなっていないようで安心した。


もう1人の僕はしきりに洗濯機へ
何かを入れていた。

黒くてモヤモヤした何かだった。

それは、洗濯かごいっぱいに入っているので、
何回にも分けて入れているようだった。


もう1人の僕が洗濯かごに視線を落とした時、
僕の気配に気付いたようで
勢い良く顔をあげた。

「君かい??この家をこんなことにしたのは!」

もう1人の僕は、
黒いモヤモヤをほっぽり出して
僕に近付いてきた。

「君が来る前、この家が何故だかわからないけど
柔らかくなってしまったんだよ。
何かしたのかい??」

僕は口をぱくぱくさせたまま、
先程の出来事を思い出していた。

「あ、ごめん…僕だ」

さっきの柔軟剤だ。

「もう戻せないの?」
僕は聞いた。

「そんなの知らないよ」
もう1人の僕は言った。


僕は、黒いモヤモヤを指差して
何を洗濯しているのか聞いてみた。

「モヤモヤはモヤモヤだよ」

もう1人の僕は言った。

「君にはモヤモヤは無いのかい?」



モヤモヤは、ある。

お父さんが帰って来ないこと。

半年前くらいから帰って来なくなったこと。

それを、お母さんが何も教えてくれないこと。

僕はまだ子どもだけど、少しだけ大人だから
何故お父さんが帰って来ないかの答えは
幾つかあった。

だけど、お母さんは答えを教えてくれないから
この問題はずっと迷宮入りしている。


「君のモヤモヤ、洗濯してあげようか」

もう1人の僕は言った。


「洗濯したら、このモヤモヤはどうなるの」

僕の答えに、
もう1人の僕は不思議そうに首を傾げた。

「そりゃぁモヤモヤが綺麗になるんだから、
スッキリするんだよ、心が。
今悩んでいることとか、
とにかくモヤモヤしていることが
どうでも良くなっちゃう」


僕は少し悩んで、答えた。


「やめとくよ」


このモヤモヤがどうでも良くなってしまったら、
お父さんのことも
どうでも良くなってしまう気がした。

僕にとってお父さんの存在はモヤモヤだけど、
このモヤモヤは大事な存在だった。


「君も学校に行ってないの?」

僕は聞いた。

「僕の世界は今、
ここだけが全てなんだ。
君の世界が僕の世界だから」


別に辛く無いけどね。

と、もう1人の僕は鼻歌混じりに答えていた。

もう1人の僕は、モヤモヤを全部
洗濯機に入れきったので、スイッチを入れた。

洗濯機の回る音は、『ヴォン』が1番近い。

同じ僕なのに、
もう1人の僕はとても楽しそうだった。


廊下をスキップすると、
何倍にも高く跳ねる。
床が柔らかいからだ。

「柔らかい床も悪く無いね」

もう1人の僕はお尻から
着地をしながら言っていた。

「君もここにいたら?案外楽しいよ」

僕は、廊下の波に乗りながら
少しだけ間を空けて、それから答えた。

「いや、帰るよ。
それから、僕の世界を広くしようと思う」

そりゃ良いね。
もう1人の僕は言った。


「帰りは大変だよ」

もう1人の僕は、ハシゴを持ってきた。
大きくて長くて、
終わりの見えないハシゴだった。

「行きは落ちてきたんだから、
帰りは上ってもらわなくちゃ」

「そりゃそうだ。
それが自然の摂理ってやつだ」

僕は、もう1人の僕と握手をして
柔らかいハシゴを上り始めた。


「戻ったらお母さん、帰って来てるのかな」


僕を探して心配しているかもしれない。
心配してお父さんに連絡を取ったりしないかな。
それでお父さんも心配して、
家に帰って来るかもしれない。
でもそれで僕のモヤモヤが無くなるのかは、
やっぱり分からない。

僕は溜息をついた。
心配事の溜息なんて、大人みたいだった。


ハシゴは真っ直ぐにそびえ立っている。

上を見ても何も見えなかったけど、
それでも上らなければいけない気がした。

とりあえず、明日学校へ行く為に。

それから、
家よりもっと広い世界を見る為に。


挿絵提供:みゃーむょん
https://instagram.com/wimwim_1616?igshid=9w5bg0oupbp

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