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超能力(神秘体験)と瞑想、ヨガ

超能力(神通力、霊能力、シッディ)、神秘体験について、心にうつりゆくまま、そこはかとなく、。
オカルト雑誌の超能力逸話集みたいなものです。暇つぶしにでも読んで下さい。


 ストレスマネジメントや健康目的のヨガやマインドフルネス瞑想では、あたりまえですが、超能力みたいな厨二病ネタが話題になることは ありません。

しかしちょっとマニアックな領域に突っ込むと嫌でも話が耳に入ってくることではあります。
そういった時に幻惑されないように、このnote記事はあらかじめ免疫をつけることに役立つかもしれません。


この瞑想する人noteでは建前としては、肯定的に強調して扱わないという方針ではあります。

関連note
【瞑想する人】Q&A >> 瞑想によって超能力は身につきますか?

 始めに言っておきますがヨガ、チベット密教他では、この超能力にとらわれすぎると、おかしな方向に行ってしまい心身のバランスが崩れて「魔境」に陥るなどと警告されています。

キラキラふわふわスピリチュアルでは、超能力や神秘体験への憧れが多く見られます。

しかし私の印象としては、

本当になんらかの体験と深い理解がありそうな人ほど、超能力(神秘体験)に対して慎重論を持つことが多い

、と感じています。

超能力の証拠は無い

超能力があるとする科学的、客観的な証拠は無いと考えています。
まともな研究による証拠は無いと認めざるを得ないです。

「超心理学」という奇妙な名前の分野でも100年くらいの研究の歴史がありますし、それ以外の分野でも研究があるのですが、まともな証拠がありません。


超能力者がFBIやNASAや軍に協力して、透視でいろいろと発見したり、解決したりがあるんだという人もいます。
しかしこれは本当なのかというのは、米国他の有名な懐疑主義団体が調査していて、単刀直入に言うと、インチキのイカサマ、嘘ばかりです。


 日本ではスピが流行っても懐疑主義が話題になることは無いし、関連団体にもお金が集まることも、関連書籍が売れることもないようです。

なので興味のある人は、絶版になったものも多いのですが図書館などを利用して懐疑主義関連の書籍を読んでみて下さい。
ホントに超能力者、霊能者、霊媒、宇宙存在とのチャネリングとかはイカサマの嘘ばかりです。


参考:ASIOS


関連note:【文殊利剣】 リンク集  健全な懐疑のために


そうは言っても内心では、、、

そうは言っても、、、、

超能力については、この瞑想する人noteの建前としては積極的に扱わないとしているのですが、私自身の内心としては、実は完全否定していません。

懐疑的な態度が必要だとしてますが、正直、私には混乱しているところもあります。


瞑想界隈をぷらぷらと渉猟していると、超能力など不思議な話は結構耳にします。
特に生命エネルギー系の実践界隈、クンダリーニ系ハタ・ヨーガ、チベット密教、内丹(仙道)などでは当たり前のように逸話を耳にします。

中南米のシャーマンやサイケデリクスの界隈でもしばしばあるようですし、どうしたわけだか、臨死体験界隈にもあるようです。


瞑想界隈では

Amazonで「チベット密教」と検索して、テキトーに選んだ書籍を読んでも、当たり前のように神通力(超能力)の話が出てきます。


 書籍『知恵の遙かな頂』(ラマ・ケツン・サンポ 著  中沢新一 訳 角川書店)にもありました。

修行を相当に積んだ高僧が儀式に招かれて瞑想したのですが、その最中に、まさに今瞑想しているその場所が、中国人民解放軍の軍用道路になっているヴィジョンを見たそうです。

驚いた高僧は「こんなことをしている場合じゃない」として、重要な儀式を途中でほっぽり出して、さっさとインドに向かったそうです。
しばらくしてから本当に中国軍がやってきて軍用道路になったそうです。


内丹(仙道)でも、チャクラやクンダリニーといったものを扱うハタ・ヨーガでも神通力の話は出てきます。

これらでは「こういった能力は修行の段階を示すもので、とらわれるべきではない」などと、まるで超能力の存在が前提となっているかのように、さらっと説明されていることもあります。


有名なスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)の僧侶で、日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老の書籍にも、普通に出てきます。

“ ...…仏教では、心に物質の法則さえ超える力があることを証明するために、神通を作る方法も教えるのです。それは解脱には関係ない話なので、神通力を推薦しているわけではありません。”  p.140

“ 神通とは迷信的な話ではありません。サマーディの力がある人々が育てることができる能力の一種です。人は誰でも心があるから、サマーディを作ることも神通を作ることも、論理的には可能です。”  p.141

アルボムッレ・スマナサーラ 藤本晃 『ブッダの実践心理学 - 第七巻 - 瞑想と悟りの分析 ① (サマタ瞑想編)』 サンガ  2012

日本の仏教界でも

禅を含めて日本の仏教界では超能力について、新興宗教以外では話題になることが少ないです。

しかし逸話自体は、あるにはあるようです。


書籍『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』(大竹晋 著  新潮選書)にも紹介されています。

超能力めいたものを発揮した人物として、盤珪永琢山本玄峰山崎弁栄井上日召が紹介されています。

遠隔地の様子を言い当てたとか、早期に日本の無条件降伏を予感していたとか、来客の予知、、、などです。

興味のある人は読んでみて下さい。


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書籍『密教の可能性―チベット・オウム・神秘体験 超能力・霊と業』(正木晃 著  大法輪閣)では禅や書もたしなんでいた哲学者、仏教学者の久松真一が紹介されています。

鈴木大拙の仲介でカール・グスタフ・ユングとも対話したことがある人です。

加藤清(精神科医、元国立京都病院精神科医長)によると久松真一には超能力があったそうです。

“ 久松師に関して、この件で多くの情報は得がたいが、師事された加藤清先生によると、師にはやはり霊的な力があったという。とくに、予知能力があった。さらに、「気」が見えたようである。師は書家としても、たいそう高名だったが、師の書は、気の通ったあとをなぞる、その結果が美となるのだという意味のことを述べられていたと聞く。”

正木晃 著『密教の可能性―チベット・オウム・神秘体験 超能力・霊と業』大法輪閣 1997 , p.207

伝統武術(武道)界

剣禅一如(剣禅一致)』という言葉があります。
これは「沢庵和尚」として有名な禅僧(臨済宗)の沢庵宗彭たくあんそうほうが、柳生新陰流(江戸柳生)の柳生宗矩やぎゅうむねのりに与えた『不動智神妙録』にある言葉のようです。


 日本の伝統武術では、禅など精神的な修行も尊重されてきました。
剣と禅の両方の達人という人もいたようです。
たとえば勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」である山岡鉄舟も、剣・禅・書の達人とされています。

そのためか、やはり剣術など武術の達人には、不思議な逸話を持つ人もいます。


精神的・宗教的な修養と武道との関わりで、もっとも有名な一人が合気道の開祖である植芝盛平でしょう。

植芝盛平は、宗教団体「大本」の出口王仁三郎との交流が深く、宗教家という側面もあります。
鎮魂帰神法などの修行も熱心に行っていたようです。


剣術では寺田宗有(天真一刀流)や、その門人の白井亨(天真一刀流二代目、天真伝兵法・天真白井流)など、不思議な逸話が伝わっています。

“白井亨は心法による剣術を理想として、白隠が『夜船閑話』等に記した内観法を行い、練丹を重視していたが、その内容が竹刀稽古全盛の当時の剣術思想に合わずにその流派は衰退したと言われる。しかし、その竹刀での打ち合い稽古の量と指導の丁寧さには北辰一刀流の千葉周作も驚嘆して『剣術初心稽古心得』に残している。また、大成して後にかの勝海舟も白井亨と稽古した印象を『鐡舟随感録』では「真に不思議なものであったよ」と言って神通力を備えていると述べ、『日本劔道史』において直心影流の山田次朗吉は「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ」と述べている。”

Wikipedia:白井亨


少し剣術の雰囲気でも。
関連参考:天真正伝香取神道流の動画。室町時代に飯篠家直によって創始された流派。


 中国の伝統武術においても精神修養(瞑想、気功、独特な心身の養生法など)が併修されることがあり、武術家には不思議な逸話のある人も多いです。

に通じている人は、(中国伝統医)や(道家。老荘・易の思想。精神修養。気功、内丹、瞑想など)にも通じていたり、占(占い)にも詳しい人がいます。


中国では武・医・道は渾然一体になっていることがあります。

内丹(仙道)・小周天のnoteで、書籍『気功の真髄 丹道・峨眉気功の扉を開く』(張 明亮 著 KADOKAWA/角川学芸出版)を紹介しました。

この「峨眉派」は中国の伝統的な武術、医薬、気功の名門流派です。
道家(上清派茅山宗じょうせいはぼうざんしゅう)と仏家(峨眉臨済宗)が基礎にあるようです。

流派の発祥地とされる峨眉山は道教、仏教、伝統武術、伝統医の聖地とされ、豊富な生薬・薬草の産地でもあります。

書籍『気功の真髄』には「峨眉十二荘がびじゅうにしょう」という気功法が紹介されています。
これは医家、道家の気功法が基礎にあり気血経絡を整える健康気功の側面だけではなく、身体を鍛え、動作が武術にも応用できる武術気功という側面もあります。


関連note:奇経八脈(任脈、督脈、衝脈...)について。経絡と気功、瞑想


かの教団でも

“……私が知る限りでは、極めて不幸なことに、麻原には神秘体験を生ぜしめる力があったようだ。彼が単なる詐欺師であれば、あんな悲劇は起こらなかっただろう。……いわゆる霊的能力は、その人の人格とは関係なく、宿るものらしい。……おまけに、霊的能力は発現すればするほど、往々、人格を食いつぶしてゆく傾向がある。その結果、とてつもない化け物が生まれてしまうのである。”

正木晃 著『密教の可能性―チベット・オウム・神秘体験 超能力・霊と業』大法輪閣 1997 , p.133


 凄惨な宗教テロを引き起こした教団は、「超能力開発」を信者獲得の一つの売りとしていたようです。
この教団は間違いなく密教(クンダリーニ系ハタ・ヨーガ、無上ヨーガタントラ)の実践団体だったと思われます。

この教団教祖自体が、瞑想やヨーガに素質もあったようで、かつ、熟練もしていたようです。
さらに超能力めいたものもあったという証言が豊富にあるようです。

完全にインチキ宗教詐欺師だと巷では言われてますが、私としては、まぁ、そういう能力はあったんだろうと思ってます。

関連note


 教団男性信者の中で最高幹部だった人が今では「思想哲学の団体」の代表をしてます。
この団体では「オウムがやった」「オウムはカルト」「麻原は人格に問題があった」などとして「総括」を展開していますが、教団教祖の神秘的な能力については認めていても否定はしていません。

この部分をもって「麻原崇拝から脱却できていない」とする人もいますが、これについては、たとえ脱却をアピールするために麻原の超能力を否定したくても、嘘になってしまうので、できないのが本音なんじゃないかなぁと思います。

 ちなみに、この代表・団体の主張する「麻原・オウムからの脱却」がホントなのか、それとも偽装なのかについては、、私は詳しいことは知りません。


教団教祖の超能力ネタは、調べるといろいろと出てきます。

たとえば『オウム真理教元幹部の手記』(富田隆 著 青林堂)から。

“ 麻原には霊能力も超能力もなかったというのが世間的な定説です。
 そのほうが理解しやすいですし、また納得もしやすいということもよくわかります。しかし麻原の身近に接していた者にとっては、麻原の霊能力・超能力は当たり前のことでした。” p.83

(空中浮揚は事実でないにしても)“しかしシャクティパットは違います。...…私はクンダリニーの覚醒かくせい体験と体外離脱体験をしました。
 麻原のシャクティパットを受けた大半は、何らかの神秘体験をしています。” p.84

“ 実はオウムの大半の者が麻原の霊能力・超能力を信じる原因となったのは、相手の心、考えをピタリと当てるという能力でした。
 心理学的技法や予め調査しておいたデータを使うという方法をとらずに、麻原はこれができました。
……

 ただし、当たるときの精度はものすごいものがありましたが、その反面、外れたときの頓珍漢とんちんかんさにもものすごいものがあったのです。私自身は、選挙に出馬したころから外れることが多くなりはじめたと記憶しています。そして私がオウムから逃げ出したころには、その能力はほとんどなくなっていたと思います。” p.85

“ 私も、ボディガードをしているうちに、昔はあんなに強かったはずの麻原の霊的能力がどんどんなくなっていき、今ではほとんどゼロだということに気づいていました。” p.135

富田隆 著『オウム真理教元幹部の手記』青林堂 , 2018

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精神世界の暗部

宗教、スピなどでは信者ビジネスや迷信、エセ科学、エセ医学、コンスピカルトがはびこっていて、これは精神世界の暗部だと言えます。


書籍『オウム真理教元幹部の手記』にも忠告があります。
「第2章 麻原の出会いと教団の実態」の「スピリチュアル界の迷妄の海で溺れかかっている人々へ」より

“ 理想を述べる前に、目の前の現実を直視するべきだと思います。
 波動が高いとか低いとかいうのは、そのあとのことです。
 スピリチュアルで幸せになっているのは、本を書いたり、講演をしたり、人を集めたりしている人がほとんどです。
 それ以外の人は、幸せになれず、幸せの周りをウロウロしているだけです。
 波動が高いとか低いとかいっている時点で、己は他人より上だと思っているわけで、そんな選民思想を持っている己のみにくさに気づくべきでしょう。
 それを無視してしまうなら、麻原と何ら変わらないメンタリティーの持ち主だということです。
 これがオウムにいて、犯罪者にされた男からの忠告です。”

富田隆 著『オウム真理教元幹部の手記』青林堂 , 2018 , p.97


超能力や神秘体験は、より一層、不気味で暗い精神世界の暗部を形成するものかもしれません。


 今現在、先進諸国を中心に瞑想が認知され広まっています。瞑想アプリも人気です。瞑想関連の市場規模は拡大中のようです。

ヨーガは欧米に紹介されて長い歴史がありますが、さらに今日では亡命したチベット仏教僧などによって密教(無上ヨーガタントラ)や明晰夢を利用した特殊な修行法などの知識・実践も知られるようになっています。

欧米の言語に訳された密教関連の書籍も多いです。
本格的なリトリート瞑想に興味を持つ欧米人も増加しているようです。

(さらに特に欧米諸国ではサイケデリクスも、いろんな理由で受け入れられつつあります)


瞑想や密教などによって自らの意識の内部に触れる人の中には、意図せずに、超能力に関する体験や神秘体験をする人も今後増えていくかもしれません。

もしもこういったものに惑溺した人たちが増えた場合には、どういう影響があるんだろうか、、と思うところです。


原則として

生命エネルギー系の実践では、ある程度の段階になると、超能力の体験を含めて神秘体験があるとは、しばしば言われています。
一般的な瞑想に関しても、真面目に長期に実践する場合には同じです。


超能力や神秘体験には執着するなというのが瞑想の伝統での原則です。

こういったものに執着して、おかしな精神状態になる人もいるようです。

過去にnote記事で、伝え聞いたことを紹介したことがあります。

“内丹系かチベット密教系で、第三の目を開くとする行法を、独修で一定期間行ったら「直感」が冴えるようになった一方で、しばらくすると幻覚が生じるようになり、まともに日常生活を送れなくなってしまったという話も伝え聞いたことがあります。
……

...…この病んだ人物をその出会った指導者がひと目見るなりに、特殊な行法で異常な状態にあることを見抜いたそうです。
「第三の目が開いている。危険な状態だ。見なくてもいいものを見ている状態だろう?いったい何をしたんだ!?」などと初対面で会うなり言われたそうです。”

note記事:『【密教】生命エネルギー体験の副作用。退火功、軟酥の法などの対処法』より

この文章で “「直感」が冴えるようになった” とありますが、この「直感」とは実を言うと透視や予知のことです。

この人は内丹だったか、チベット仏教の「ゾクチェン」に関係するものだったかは忘れましたが、第三の目を開くとする行法のやり方を手に入れて真面目に実践したら、実際におかしなことになったそうです。



 スピ界隈では、超能力や神秘体験に憧れがある人が多いのかもしれません。
しかし私は過去にいろいろと恐い話を聞いているし、オウムのこともあるしで、要注意な領域だと思ってます。


文殊菩薩。私は文殊菩薩を智慧と慈悲の象徴と思っています。

内なる意識の探究において智慧慈悲に結びつくもの以外は完全無視したいです。

関連note:【大光明マンダラ】内なる意識・霊性(スピリチュアリティ)の探究の方向性

人間性の向上や人生に役立つような「高次のインスピレーション」みたいなのが、たまにフッと湧いてくるくらいだったら有り難いとは思います。
心身の健康に役立つのもあったら嬉しいです。

しかし個人の意思を損なうようなものだったり、エゴを拡大させたり、「心霊的なものが見える」とか「声が聞こえる」とかは恐いです。
日常的にそうなってしまったら狂気に陥りそうで関わりたくないです。


 しょせんは夢に過ぎない「明晰夢」ですら、私はリスクを感じたことがあります。
しかるをいわんや神秘体験(超能力)をや。

関連note:【怖い?】明晰夢は危険なのか?リスク、注意について