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明晰夢でヨガをする。チベット密教「夢のヨーガ」

“……夢の本質は純粋な光の輝きなのである。「夢のヨーガ」という瞑想法を修行すると、普通の夢にあらわれるさまざまな あらわれ をしだいに滅していって、ついには夢が光の輝きに溶けこんでいくのを体験できるようになるだろう。”

ラマ・ケツン・サンポ  中沢新一 共著『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』平河出版社 1981 p.27

前回のnote「大光明マンダラ~~」には書籍『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』(ラマ・ケツン・サンポ  中沢新一 共著 平河出版社)からの引用があります。
この本はチベット仏教ニンマ派の修行についてのものです。(Wikipedia:ニンマ派

チベット密教およびニンマ派の祖とされるパドマサンバヴァ(蓮華生、グル・リンポチェ)

書籍『虹の階梯』には明晰夢に関するであろう文章もありました。

私は瞑想に取り組む過程で、たまたま明晰夢を経験するようになって、一時期は、意図してそれを見るようなことをしていましたが、今現在は興味を失っている状態です。

しかしこの本を読んで、明晰夢はゾクチェン(大究竟)の体験と関係がありそうに感じましたし、内なる意識の探究にも役立つのかもなぁと感じました。

今回は明晰夢について少し。

参考・引用文献

ラマ・ケツン・サンポ 中沢新一 共著『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』平河出版社 1981

ニンマ派の密教修行についての書籍。特に「ゾクチェン(大究竟)=アティヨーガ」が指向されています。


ナムカイ・ノルブ 著 『チベット密教の瞑想法』永沢哲 訳  法藏館 2000

ニンマ派「ゾクチェン」の修行の教えについての書籍。修行のための重要なポイントが解説されています。


明晰夢のヨーガ

チベットには夢を利用する修行があります。
「チベット  夢のヨーガ  夢の修行  ドリーム ヨガ」といったワードで検索すると関連書籍・情報が見つかります。

私は今後関連本を読んでみようかなと思っています。

私はチベットの夢の修行については、まだ詳しい知識がありません。
しかし明晰夢を利用するというのは確かだと思われます。それによって仏教で説かれる空性を悟る助けにするのだと思われます。

さて書籍『虹の階梯』から文章を引用して、関心ある人向けに、浅い知識ではありますが私なりに思うことを述べてみたいと思います。

“「夢のヨーガ」の修行者たちは、夢を見る時間をしだいに長くしていく訓練をしていって、眠りにおちる前からすでに夢を見ることができるようになり、瞑想の力でその夢からあらわれを滅し去って、ついにはそこがまばゆい光の輝きにみたされるまで修行をつづけるのだ。あざやかな光の体験をあたえるゾクチェン=アティヨーガは、しばしば「光り輝くオー・セルゾクチェン(’od-gsal-rdsogs-chen)」と呼ばれている。

ラマ・ケツン・サンポ  中沢新一 共著『虹の階梯―チベット密教の瞑想修行』平河出版社 1981 p.27

夢見を長くする?

一般的には夢を見るとされるのは、睡眠のサイクルの内で何回か訪れるレム睡眠期とされます。
このサイクルは脳の中枢によって制御され一定を保つとされますが、個人差や、年齢、生活リズム、ストレス、疲労、睡眠不足や睡眠過多、健康状態、脳や心の問題、、、などで違ったりします。
 脳のいくつかの部位の障害で夢見自体がなくなることもあるようです。

実際にはレム睡眠期以外でも夢は見るようなのですが、あざやかな夢らしい夢はレム睡眠期に最も多いとされます。


さて、上の『虹の階梯』からの引用文にある、

“夢を見る時間をしだいに長くしていく”

同上

、ということが訓練によって実際にできるのかどうかについては、私自身の明晰夢の体験からは何とも言えません。

明晰夢の質が良い場合には、充実した夢体験をして長い時間過ごしたと感じることはあると思います。

しかし不可能と断じることもできないでしょう。

明晰夢の仲間だと思われる「体外離脱体験(幽体離脱)」(臨死体験などによるものではなくて主に睡眠を利用するもの)を調べていた時に、体外離脱の状態で1日、2日もしくはそれ以上過ごすことができるとする体験者の意見を目にして驚いたことがあります。

しかし、これは、体外離脱の世界での時間経過の感覚なのか、それとも現実世界での実際の時間経過なのかについては確認できませんでした。

ただ、明晰夢とは違って体外離脱体験の場合は、睡眠で横になってリラックスなどして離脱体験がはじまって、その体験が終わり睡眠から目覚めるまで、一貫して意識を保てるという意見を述べる人は多いようです。


実際に夢見を意図的に長くすることができるかどうかについては、明晰夢、夢のヨーガの熟練者を科学者が調べればすぐに分かることだと思います。

既に海外ではそういう研究があって論文もあるのかもしれませんが。

睡眠に入る前から夢見がはじまる?

“眠りにおちる前からすでに夢を見ることができるようになり” 

同上

、については、これは可能だと思われます。

ただし夢のヨーガにおける「睡眠前の夢見」が正確には何を指すのか次第です。


● 白昼夢を指す?

 「睡眠前の夢見」が鮮やかな白昼夢のような現象で、その白昼夢を精神集中や瞑想や変性意識的な技法で意図的に作り出して、それに没入することかもしれません。

これはチベット密教の修行者のような瞑想オタクなら可能なのかもしれません。
西洋オカルト・魔術でも似たようなことは聞いたことがありますし、高藤聡一郎氏の仙道本の中にも似たような話はあるようです。

この白昼夢は訓練以外では、持って生まれた素質・才能も関わっているようです。


雑学ですが、歴史上で天才と評価される人々(天才的な科学者や芸術家など)の中には生々しい白昼夢を見る人がいたようです。
たとえばニコラ・テスラはそうだったようです。



● 入眠時幻覚を指す

 他には「睡眠前の夢見」とは「入眠時幻覚(入眠時心像)」を指すとするものです。
入眠、睡眠におちる境目あたりで経験する夢見状態のようなものです。

私にはこの方が白昼夢よりも現実的で何より容易だと思われます。

関連note:明晰夢、体外離脱体験(OBE)が生じやすいタイミング >>

私も意図的に明晰夢を見ようとしていた頃にしばしば体験しました。
暗くした部屋の中で横になって眠くなり意識を失う境目あたりで、明るい光景が広がるのです。

まぶたを閉じているのですが、眠くて寝ぼけ状態でもあり、その明るさのせいで、まぶたを閉じているのか開けているのか分からなくなり混乱して、思わず目を見開いて確認したこともあります。
目を開くと暗い部屋のままです。

この状態を過ぎると、感覚的にはそのまま夢見状態に突入することがあります。

なおこの現象は眠い時に我慢して瞑想するような時にも、経験することがあるようです。

意識の光明?

“瞑想の力でその夢からあらわれを滅し去って、ついにはそこがまばゆい光の輝きにみたされる”

同上

、について瞑想の熟練者なら可能なのかもしれません。興味深いところです。

明晰夢の場合には夢の中で、意思をもって行動できたり、風景を変えたりできます。
夢に干渉できます。

なので夢の中に登場するものを滅し去ることができるかもしれません。


夢というのは脳が作りだすものです。(なので脳の疾患・障害などによっては夢見がなくなることがあったり、夢に「光」の要素が無いことがあるようです。)


夢の光景にある「光」というのは、脳の作り出す意識の光と言えるのかもしれません。

夢に出てくるものを滅し去れば、意識の光明それ自体を体験できるのかもしれません。
興味深いです。


チベット仏教ではなくてボン教の夢のヨーガの動画を見つけました。

参考:ゾクチェン夢の瞑想
“ボン教ゾクチェン修行者が実践するドリーム・ヨガ(夢の瞑想)について”

利点

明晰夢のヨーガの利点はいろいろとあるようです。

一つには「夢の中での修行の方が効果が出やすいから」というのがあるようです。

夢の中だと、現実世界でのような物理的な制約、肉体器官の制約がありません。
なので明晰夢の中で修行をすると効果が出やすいようです。
(参考:ナムカイ・ノルブ 著 永沢哲 訳『チベット密教の瞑想法」法藏館 2000 Ⅲ註釈 四 夜の修行 p.171~)


夢の導き ―― 光明の夢

芸術、科学、他の分野でも夢見は創造性の発揮に役立つと主張する人たちがいます。

夢によってインスピレーションを受けて重大な発見に結び付いた例も多いとされます。

関連note:【 明晰夢の見方 】 無意識から創造性を得る夢見のヒント >> 夢と創造性の実例


チベット仏教でも、修行が進むと啓発的な夢を見るようになるといわれています。

 「薫習(くんじゅう)」とは、乱暴に説明すると、「心、行動、反応に染みついたもの」というような意味を持つ仏教用語です。
「移り香」のように染みついて残り影響をあたえるもの、と表現され説明されることがよくあります。
仏教の「唯識」などでよく用いられる言葉のようです。

(修行が進むと)“...… しだいしだいに薫習の夢は減り、やがては消失してしまう。逆に、光明の夢が増える。
 光明の夢というのは、そのときの状況(縁)と結びついて、心の本性からより直接にあらわれてくる夢である。たとえば、来年計画していることがあるとしよう。まだ来年にはなっていない。しかし、ふつうはもう何か準備をしている。ということは、その計画と関連した副次的条件(縁)が、すでに現在の状況の中に存在しているということだ。そういう副次的条件があるときには、光明の夢があらわれてきやすい。将来どんな風になるか、夢に出てくるのである。修行者にとって、教えや修行体験とむすびついた光明の夢は、特に大切だ。夢の中で、教えや修行法についてさらに明かになるのである。”

ナムカイ・ノルブ 著 永沢哲 訳『チベット密教の瞑想法』法藏館 2000 p.195

この引用文を現代人の世俗社会風に訳すと、

勉学、仕事・業務、スポーツ競技、創作活動、科学、研究、発明、会社経営、政治、社会活動、、、、などに熱心にたずさわっている人が、瞑想などによって心が澄んだ状態だと、たずさわっていることに関して有意義なインスピレーションを与えるような創造的な「導きの夢」を見やすくなる

、というものでしょうか。本当なら興味深いですね。

関連note:夢の導きを得る?


こちらも👇 明晰夢のリスクについて。

↑↑ リスクはあらかじめ知っておくべきだと思います。
私は今現在は明晰夢を頻繁に見たいとは思いません。


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