読書備忘録_10

【読書備忘録】ブラス・クーバスの死後の回想から硬きこと水のごとしまで

ブラス・クーバスの死後の回想
*光文社古典新訳文庫(2012)
*マシャード・ジ・アシス(著)
*武田千香(訳)
 邦題通りブラス・クーバスが死後自分の人生を顧みる物語。別に幽霊が夜な夜な屋敷の住人の枕元で怨み言を語るのではなく、主人公ブラス・クーバスが死後作家として記述するのである。死後の世界で書き綴っているのか、それとも死後も現世にとどまっているのかはわからない。けれども本作品のテーマはあくまでブラス・クーバスの独白内容にあるのでメタ的解釈は置いておく。奴隷制度を継続したまま近代を迎えたブラジルの歴史、友人が提唱するウマニチズモなる奇妙な思想、成就することのない願望。政治、恋愛、貴賎、道徳、さまざまな事柄に起因する騒動に巻き込まれ、気付けば大きな成功を収められず不倫にも失敗するという空疎な自分史だけが残される。この経緯がリアルタイムで話すような独白体で展開される点が面白い。作中ブラス・クーバスは何度も読者を気にかけたり、脱線したり、書き渋る。感情的なのに肝心なところで尻込みする彼の性格は死後もなおりそうにない。この主人公の「ダメさ」が物語に深みをもたらしている。
http://www.kotensinyaku.jp/books/book148.html


焔の中
*小学館 P+D BOOKS(2015)
*吉行淳之介
 青春時代を戦時下ですごした吉行淳之介の自伝的小説であり、章わけされながらも各章にテーマが設けられていて、さながら連作小説のような形式になっている。入営するも身体的事情で帰郷。その後はたびかさなる空襲警報や閉塞した人間関係に辟易しながら日々を送る主人公。終戦を迎えてからも彼の生活は虚無で満たされていた。多感な時期ならではの不安定な心理、町が炎に包まれる情景、生々しい戦火の記録が綴られた貴重な戦争文学だろう。これがP+D BOOKSで復刊されるまで入手困難だったというのだから、世の中にはどれだけ優れた文学が眠っているのだろうか。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09352210


麻薬書簡 再現版
*河出文庫(2007)
*ウィリアム・バロウズ(著)
 アレン・ギンズバーグ(著)
*山形浩生(訳)
 若き日より同性愛と麻薬に耽溺、生活費とドラッグ代の安いメキシコシティに流れた後、内縁の妻を射殺するわ保釈中にタンジールに逃亡するわ度肝を抜く行動を起こしたウィリアム・バロウズ。今でこそ『ジャンキー』『裸のランチ』『ソフトマシーン』等でビート・ジェネレーションを代表する作家として名を残しているが、その生き方は滅茶苦茶もよいところ。本作品は大きな可能性を持つ麻薬「ヤーヘ」を求めてパナマ、コロンビアをめぐり歩く。そこにアレン・ギンズバーグの書簡が挿入される。これがまた哲学的にも観念的にも思える文章の塊であり、バロウズの倒錯性と妙に息が合っている。元来『ジャンキー』の一部として構想されていたこともあって出版されるまで紆余曲折を経た。さらに月日を経て追加されるといった特殊な作品でもあり、六つの補遺、細かい註釈、入念な編者解説がそうした複雑な経緯を物語っている。この混乱ぶりもバロウズらしい。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309462981/


実験小説 ぬ
*光文社文庫(2005)
*浅暮三文(著)
 実験小説が好きな人のあいだでは必ずと言ってよいほど話題にあがる短編小説集。浅暮三文氏はメフィスト賞受賞をもってデビューして以来、作品ごとに面白い趣向を凝らしてくる小説家だ。実験短編集と異色掌編集の二部構成である本書はそうした浅暮三文氏の個性が凝縮された実験小説の宝庫と言える。解説でも触れられているが、どこかフリオ・コルタサルの『石蹴り遊び』を思わせるゲーム的小説、星新一のような明快なショート・ショート、筒井康隆的な毒味の効いた風刺、図形と連動したりメタフィクションであったり、とにかく古今東西の実験的手法を採り入れて濃縮還元(ジュースにあらず)され、ジャンルを超えた面白味が表現されているのだ。そもそも表題からしておかしい。でも、そのおかしさも本書を読めば納得できるのだからうまく仕組まれたものである。この姿勢・手法をポストモダン文学に含める否かでは意見がわかれそうだが、小生はその系統にあると解釈している。実験小説好きだけでなく、漠然と短編小説集を読みたいと思う人にもおすすめできるぶっとんだ秀作だ。
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334739119


至福の烙印
*白水社(2017)
*クラウス・メルツ(著)
*松下たえ子(訳)
 癲癇の父、鬱症の母、水頭症の弟、変人の叔父、宗教的狂気に囚われている祖母、動物育成や養蜂に耽溺する祖父、そして生後間もなく死亡したヤーコプをめぐる悲劇的物語にしてクラウス・メルツ氏の境遇が反映されている『ヤーコプは眠っている 本来なら長篇小説』。非常勤講師で妻子持ちながら自己に対する絶望感に翻弄されて失踪、旅路の果てに死の谷に落ち込むペーター・タイラーの人生を振り返る『ペーター・タイラーの失踪 物語』。卒業後の同窓会で再会したレナと、かつて学校教員を務めており「アルゼンチン人」と呼ばれていたレナの祖父にまつわる逸話が紡がれる『アルゼンチン人 短篇小説』の三編からなる小説集。正真正銘の悲劇、数奇な運命が語られているのに描写を最小限に抑えた簡潔な文章の効果により、どこか情緒的で静謐にすら感じる不思議な世界が創造されている。これはクラウス・メルツ氏が詩人として名を馳せていることとも関連性がありそうだ。それだけに淡々と書かれる文章にこめられた意味を汲みとると、その痛烈なメッセージ性が胸に迫る。
https://www.hakusuisha.co.jp/book/b288159.html


アンチクリストの誕生
*ちくま文庫(2017)
*レオ・ペルッツ(著)
*垂野創一郎(訳)
 プラハにて生を受け、第一次世界大戦と第二次世界大戦に翻弄されたレオ・ペルッツの人生は穏やかなものではなかった。けれども先に白水社Uブックスで復刊されたデビュー作『第三の魔弾』を始め、世界幻想文学史に残る秀作を生みだす知識と想像力を得られた要因には、そうした波瀾万丈な境遇が関わっているのかも知れない。そんなことを読み進めながら思った。有名なのはおもに長編だが、本作品集に収録された中短編にはさまざまな手法で「幻想」が散りばめてあり、むしろ紙数の限られた短編小説だからこそ実験や情趣の力が遺憾なく発揮されている。全編には言及しないでおくが、一九一六年十月十二日火曜日の新聞を読み続ける内にその日付から抜けだせなくなることもあるし、宗教的な苦悩から復讐と逃亡の物語に移行することもあるし、主要人物の結末をあらかじめ明示した上で進行する(所謂先説法)回想録もある。あやしげな語り手によるリドルストーリーもある。こうした物語論の面白味が凝縮された味わいがバラエティ豊かな作風を創出している。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480434661/


ラテンアメリカ怪談集
*河出文庫(2017)
*J.L.ボルヘス 他(著)
*鼓直 他(編・訳)
 ラテンアメリカ文学を、マジックリアリズム(魔術的リアリズム)とイコールで結び付けるのは、必ずしも歓迎されることではないかも知れない。それでもホルヘ・ルイス・ボルヘス、フリオ・コルタサル、カルロス・フエンテス、オクタビオ・パスを始め、本邦でも有名な作家たちが紡ぐ摩訶不思議な幻想・怪異の世界はまさに魔術的なきらめきで充ち満ちていてたちまち虜になった。降り注ぐ火の雨から逃れる話、心中を遂げてから絶望に至る話、世界的作家と吸血鬼が戦いを繰り広げる話、干し首で商売する内に取り返しの付かない社会的混乱を招く話。こうした寓意や諷刺を散りばめた短編小説が十五編収録されているのだから実に贅沢な本だ。また編者が悪ノリして一風変わった後書きを用意しているので、そこも注目に値する。本書は千九百九十年に初版が刊行された後、長いあいだ絶版で入手困難な状態が続いていたが、紀伊國屋書店創業九十年記念特別企画として限定的に復刊、後に新装版として登場した。これぞ僥倖だ。ラテンアメリカ流の幻想譚が広まることを願う。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309464527/


2084 世界の終わり
*河出書房新社(2017)
*ブアレム・サンサル(著)
*中村佳子(訳)
 本作品は二〇一五年度アカデミーフランセーズ小説賞グランプリ受賞作に輝いたアルジェリア人作家ブアレム・サンサルの代表作であり、ジョージ・オーウェルの『1984年』を原点とするディストピア小説である。大聖戦後に荒れ地と化した大地。やがて荒野は偉大なる神ヨラーと忠実なる代理人アビを信奉する宗教国家アビスタンとして新たな道を歩みだした。しかし、強固な全体主義に染まったアビスタンでは思想・信条の自由を禁じ、各街区に居住する信徒たちに窮屈な生活を強いているため世相は暗澹としていた。そうした中、サナトリウムで療養していたアティと祭司の息子コアは真実を求めて〈境界〉を目指し、命を懸けた旅に出る。彼らは旅先で失われた文明に触れ、虚偽と暴力にさいなまれるわけだが、二人にとっての〈未知〉と読者にとっての〈既知〉が交差する演出が巧みだ。失礼ながら物語の展開「だけ」に着目すれば、ほかにも面白い小説はある。けれども悪夢のような未来、現実味のある悪夢を大規模な冒険譚に置き換えた本作品は存在自体が有意義で、その予言的なテーマが大変な興趣を添えるのだ。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207308/


マルテの手記
*光文社古典新訳文庫(2014)
*リルケ(著)
*松永美穂(訳)
 まぎれもなくこの手記は小説だ。しかし特定の分野にわけるのが非常に難しい風変わりな作品でもある。前書き、解説、後書きと周到に用意されているのも頷ける。全体を見渡せば主人公マルテの随想録と言える。ところがパリでの体験や家族との対話を回顧する内容かと思えば、彼の思考はいつの間にか歴史上の人物評に移行する。こうした右往左往する思想が複数のノートをまとめたような面白い構成を作りだしている。また解説で斎藤環氏が書かれているが、本作品は随所にマルテたちの強迫観念・幻視が描写されており、ときには不条理の香りをただよわせることがある。所謂物語らしい物語が進み、歴史的人物の軌跡を追いかけ、精神的な圧迫感を与える。マルテの思想は一つ所にとどまらない。思い付いては考察に耽る彼の内面を読み解くのは容易ではないが、その言葉選びには不思議な心地よさを感じる。
http://www.kotensinyaku.jp/books/book190.html


硬きこと水のごとし
*河出書房新社(2017)
*閻連科(著)
*谷川毅(訳)
 二〇〇一年に閻連科氏が生みだした革命物語。舞台は文化大革命期における貧村程崗鎮。従軍を経て故郷に復員した若者高愛軍は文革期の風を受けながら革命への思慕を募らせ、美しき人妻にして堅固な野心を抱く夏紅梅とともに決起し、壮大なる革命の道を走り始める。言わずもがな順風満帆とはいかず、彼らの前には何度にも渡り権力者が立ちはだかる。それでも革命家として歩を緩めない二人の行動はまさに疾駆するようだ。刊行当時は過激な性描写が問題視されたが、革命歌を聴きながら絶頂に達する二人の原動力が「革命と性愛」である以上、両者は表裏一体の関係にあり、切り離すことはできない。愛のために革命をおこない、革命のために愛を交わす高愛軍と夏紅梅の劇的な革命史を追跡するには性と愛の表現は不可欠だ。それにしても凄まじき表現力。大地が揺れ動き、枯れた草が蘇るかのように激しい性の波に突き動かされる情景は生命力に満ちあふれており、真紅の信念を太陽のように輝かせている。頻繁に引用される毛沢東語録も手伝い、悪魔主義的とも言える痛烈な風刺性が創造されている。
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207360/


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 読書備忘録ではお気に入りの本をピックアップし、感想と紹介を兼ねて短評的な文章を記述しています。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという小生の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている小生の趣味嗜好が顔を覘かせているためです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その過程で出会った良書を少しでも広められたら、一人でも多くの人と共有できたら、という願いを込めて当マガジンを作成しました。

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