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日本の天文学(近代)

前回の続きで、日本の天文学の歴史をお届けしています。


前回は江戸時代末期までで、今回は明治から昭和初期(~1945)までです。

1945年以降は細分化が進むので今回で本シリーズの区切りとしておきます。

明治になって文明開化で一気に西欧科学が雪崩のように押し寄せます。その立役者が福沢諭吉です。
お雇い外国人の招聘や、フランスの教育制度をまねた小・中・高・大学が全国に設立されます。

天文学の教育と研究は、東京大学の星学科で始まります。合わせて奈良時代から続いた暦を作る活動も、幕府や天皇家管理(安倍晴明含めた土御門家)から正式にこちらに移管されます。

その際に、今の制度である太陽歴も導入します。大幅リニューアルですね。

この頃は、お空、もっといえば宇宙の原理を辿るという科学的探究が深まったというよりは、他の分野(ダーウィンの進化論もこのころ輸入!)含めてそれをどう摂取するのかが一杯だったようです。

改めてキリスト教(戦国時代と異なりプロテスタント)の影響も入ってきており、新渡戸稲造(武士道の著者)や内村鑑三などキリスト教に改宗した知識人も出てきます。
同時に、国家の形を作るべく改めて日本の神話(以前にも触れた記紀など)を使って天皇制を明文化しようという動きも出てきます。

やや強引ですが、白村江の戦い後に中央集権化を急いだ(そして手段として外来知識を活用した)日本と状況が似ていると感じます。

そんな科学・宗教交えた明治・大正という混沌の時代を経て、現代の物理学にいざなったイベントを大胆に1つだけ取り上げると、「アインシュタイン」の来日かもしれません。

本人による日記も書籍化されています。

アインシュタインの経歴については、戦争に焦点を合わせたものを過去触れたので引用にとどめておきますが、来日途中で丁度ノーベル賞も受賞し、既に世界のスーパースターとなっていました。

日本でも、欧州で研究していた科学者もおり、その一人の長岡半太郎(原子模型の初期提唱者)が神戸港でアインシュタインを迎えます。

アインシュタイン自身による相対性理論解説本も和訳され、多くの研究者・学生・一般層がその革命的な理論(時間と空間は動的)に大いに関心を寄せます。

上記の伝記でも触れてますが、欧州では(政治的意図もあり)反発する層もいましたが、比較的日本ではすんなりと受け入れられたそうです。

これは奈良時代から続く日本人特有かもしれない受容性の高さかもしれません。以前どこかで聞いた記憶があるのは、明治維新のような革命を血を流さずに成し遂げたのは日本ぐらいだそうです。(裏付けは取れず・・・)
このあたりは、自然科学的な研究材料としては難しいかもしれませんが興味深い特徴です。

この頃は、長岡半太郎のほかに、相対性理論を初期(1909年)のころから論文を書いていた石原純もいました。一時期アインシュタインの下でも学んでおり、来日時の通訳も担当しています。

とある事件で研究者の道を閉ざしますが、以降は在野で科学啓蒙に力を注ぎ、彼の書いた書籍は若い学生に影響を与えます。

そのうちの二人が、後世ノーベル賞を受賞する下記です。

また、一見つながりがなさそうな文学の世界でも、アインシュタインの相対性理論の影響を受けたのではないか(作品の中で「4次元」表記も)と言われる「宮沢賢治」もいました。

いかに当時のアインシュタインによる影響が大きかったのかが分かります。

そして上記の湯川秀樹・朝永振一郎とその下で学んだ研究者が、1945年以降に世界的な活躍を見せ始めます。

この二人は天文学というより素粒子物理が専門ですが、1947年に発表された宇宙創成のビッグバン理論が発表されるとその接点が広がっていきます。

湯川の下で学んだ林忠四郎は初期に提出されたビッグバン理論の誤りを指摘して1950年にその理論も組み込んだ改訂版につなげます。

今回でこのシリーズを一旦閉じますが、個人的に興味深かったのが「日本の多様性を受け入れる土壌」です。

日本の同質性(同調圧力?)が際立つ現代ですが、歴史をたどると決してそんなことはなく、むしろ「異質なものを包み込む寛容性を持った風土」があるのかなとすら感じました。


<本文引用以外での参考リソース>


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