見出し画像

【ネタバレ】アンゲラ・シャーネレク『ミュージック』人間に漸近する神話のイデア

大傑作。2023年ベルリン映画祭コンペ部門選出作品。アンゲラ・シャーネレク長編九作目。前作『家にはいたけれど』では『ハムレット』を換骨奪胎して現代の物語に組み替えていたが、今回はソフォクレス『オイディプス王』が核となる。しかも、今回は前作以上に省略的で、映画で示される事実よりも想像する余地の方が広いのではとすら思えるほどの、もはや暗号的と言っても差し支えないような作品に仕上がっている(だからこそ、この映画を理解しようと言葉を並べる行為が、説明できない未知の事象に名を与えて理解しようとする="神話的な"行為へと繋がるのだが)。映画は霧深い谷間から霧が晴れていく神秘的な映像で幕を開ける。しかし、斜面には箱が散乱していて、男は泣きじゃくりながら女性の死体を抱えている。やがて、古い石造りの建物から赤ちゃんを助け出した救急隊員エリアスは子供をヨンと名付けて養育する。オイディプスとはギリシャ語で"腫れた足"という意味らしく、ヨンの足も炎症を起こしている他、印象的なシーンは足のみ(或いは手のみ)映されることが多い。足(特に裸足)の登場シーンは多くの場合で"死"のイメージを纏っていて、足が切り抜かれると死を呼び寄せるような構造になっている。まるで、アキレウスの神話のように。成長したヨンは同年代の友人たちとビーチに出かけるが、足が悪い彼は一人で車に残り、眼鏡を掛けた謎の男に襲われる。オイディプスの神話の通り、この謎の男とはヨンの父親ルシアンのことだ。そして、"襲う"瞬間に岩場の上でルシアンがヨンの手首を押さえるショットが挟まれる。その後も手と手を介した"家族"の繋がりが強調されるわけだが、その始まりとなるこのショットは正しく"神話的"な厳かさがある。加えて、ルシアンを含めた全員がパンセクシュアルっぽい描写がなされているのは、ギリシャ神話っぽい気もする。襲われる寸前にルシアンを押し返して殺してしまったヨンは刑務所に入り、そこで刑務官となっていた母親イロと再会する。しかし、二人とも親子であることに気付かず、愛を育む。イロが薬を買ってくる描写から、恐らくは足の炎症は良い方向に向かったのだろう(つまり、彼は"死"から離れたのだ)。浴場で下駄のような靴を振り上げる描写以降は足の炎症に着目する描写はない。しかし、誰がどうして何に向かって投げたかは明かされない。それでも、この短くカットの割られた"投げる"というアクションが映画の転換点であることは明白だ。釈放されたヨンはイロと結婚する。

7年の時が経ち、彼らの娘フィービーも少女となった(彼女の初登場は手を洗っていて、手=家族の繋がりを断つという予言めいたシーン)。ヨンとイロは彼女を含めた子供たちを伴って、ギリシャにあるヨンの実家に帰省している。彼らはリンゴの収穫を手伝っているというのがまた失楽園っぽくて印象的。ここでようやく、物語と現実が混じり合う。2006年ドイツW杯準決勝のイタリアvsドイツ戦でデル・ピエロが決勝点をもぎ取るという中継が登場するのだ。これが"歴史"との交点とするならば、刑務所でイロから渡されたバロック音楽家たちの名前を書いたメモ、或いはそこで掛かるヴィヴァルディの音楽は"文化"との交点だろう。意図的に名前を失って個人が"身体"となり、神話のイデアに漸近する(神話自体がイデアっぽいという話はあるが)物語の中で、短く登場する"歴史"や"文化"と交わるのは、正しく"人間的行為"という感じがする。

"音楽"というのは題名にもなっている通り重要な役割を果たす。物語は釈放から14年、イロが自殺して7年が経ち、ヨンはフィービーと共にドイツに移住した後で、唐突にシャーネレクその人みたいなマルタという女性が登場する。ヨンはリサイタルを開いていて、マルタは公私の重要なパートナーらしいのだ。もちろん、上記のヴィヴァルディやヨンのリサイタルも重要だが、本作品ではそれに加えて風や波の音、ラジオの音、鳥のさえずりから人間の会話まで含めた全ての音に存在を見出している。映画の構成が異様に静かなのも、それを意識させるためなのだろう。また、この章はここまでの繰り返しのようでもある。"死"と共に訪れるマルタの足、頭から血を流して横たわる死体、繋がりを断たれた手と死を予感させる歩み(これはヨンの歩みとイロの死を重ねている)。漕手のいなくなったボートが緩やかに川の流れに乗って流されているショットには神秘と絶望を感じさせる。また、序盤でルシアンが眼鏡を掛けていたように、この章ではヨンが眼鏡を掛けているのも興味深い。オイディプス的に言えば、彼は着実に視力を失いつつあるのだろうけど、"父親"に近付いているともとれる。ラストで、マルタの父親、マルタ、ヨン、フィービーが湖畔を歩いているのは、どこか『第七の封印』のラストっぽくて、途中で若い男と遭遇して離脱したフィービーが後から戻ってくるというのも示唆的だ。こうして神話は幕を閉じた。

・作品データ

原題:Music
上映時間:108分
監督:Angela Schanelec
製作:2023年(フランス, ドイツ, ギリシャ, セルビア)

・評価:90点

・ベルリン映画祭2023 その他の作品

★コンペティション部門選出作品
1 . エスティバリス・ウレソラ・ソラグレン『20,000 Species of Bees』スペイン、ルチアとその家族について
2 . クリスティアン・ペッツォルト『Afire』ドイツ、不機嫌な小説家を救えるのは愛!
3 . リウ・ジエン『アートカレッジ1994』中国、芸術と未来に惑う青年たちの肖像
5 . マット・ジョンソン『BlackBerry』カナダ、BlackBerry帝国の栄枯盛衰物語
6 . Giacomo Abbruzzese『Disco Boy』正面から"美しき仕事"をパクってみた
8 . アイヴァン・セン『Limbo』オーストラリア、未解決事件によって時間の止まった人々
10 . アンゲラ・シャーネレク『ミュージック』人間に漸近する神話のイデア
12 . セリーヌ・ソン『Past Lives』輪廻転生の恋と現世の恋
17 . 新海誠『すずめの戸締まり』同列に並ぶ被災地と遊園地
19 . リラ・アヴィレス『Tótem』メキシコ、日常を演じようとする家族の悲しみ

★エンカウンターズ部門選出作品
1 . Wu Lang『Absence』中国、"不在"を抱えた都市への鎮魂歌
2 . ダスティン・ガイ・デファ『The Adults』大人になった三人の子供たち
9 . ホン・サンス『in water』ほぼ全編ピンボケ映画
12 . ポール・B・プレシアド『Orlando, My Political Biography』身体は政治的虚構だ
13 . ロイス・パティーニョ『Samsara』ラオスの老女、ザンジバルの少女に転生する
16 . Szabó Sarolta&Bánóczki Tibor『White Plastic Sky』ハンガリー、50歳で木に変えられる世界で

この記事が参加している募集

映画感想文

よろしければサポートお願いします!新しく海外版DVDを買う資金にさせていただきます!