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マリア・シュペト『バッハマン先生の教室』ぼくたちのバッハマン先生

ベルリン映画祭コンペ部門に選出された一作。ヘッセン州の田舎町シュタットアレンドルフにある中学校でドイツ語などを教える教師バッハマンと彼が受け持った生徒たちの一年間の日常風景を綴った217分のドキュメンタリー作品。一つの授業についての一部始終が幾つも積み重なっているので、必然的に長大化したと思われる。人種/宗教/性別/性格など様々な背景を持った生徒が時間を共有するとあって、ある面では繊細に、ある面では大胆に接することが求められる中で、バッハマンは子供たちの心の中に相互理解と平和を構築していく。彼の言葉を借りれば"数学を学ぶよりも、正直でいることや自分自身に誠実でいることを学ぶほうが遥かに有意義"ということを3時間掛けて実践し、引っ込み思案でドイツ語が話せないことを周りの心無いドイツ人に笑われていた生徒たちが、知的で自信に満ちた一人の青年として成長していく様を克明に記録している。楽しい時間は楽しく、ルールはきちんと守った上で厳しくすべき部分は厳しくしながら、生徒たち一人一人と向き合い、徹底して言語化させることで感情の整理と社会の受容を行わせる。私が思春期に彼の授業を受けていたなら確実に恩師になっていただろうし、私の恩師も生徒に対する向き合い方はこんな感じだった気がする(脳内で美化しすぎているかもしれないが)。

バッハマンが話していない生徒を当てて、考えたことを言語化させることで、説明セリフなしに何人も居る生徒たち全員を詳細に思い出せるくらい人物像が確立される手法が非常に上手い。シュペトは生徒たちのオープンさや探究心、知性にも注目し、彼らがバッハマンを驚かせ喜ばせようとする姿も同時に記録していく。カメラはバッハマンの横で生徒の方を向いていることが多く、生徒たちとバッハマンとの信頼関係はカメラを通しても伝わるので、新任の副担任になった気分で授業に参加できるのが良い。観察者の視点を何処に置くかというのはドキュメンタリーを観る上でも撮る上でも非常に重要な要素の一つだが、本作品ではそれがスムーズかつ非常に上手い位置に置かれている。

音楽の授業(?)で、生徒たちが思い思いの楽器を同じ教室で演奏していたのが印象的だった。その直後に、親御さんとか幼い兄弟とか連れたクリスマスパーティがあって、そこで演奏会があったんだが、渋い歌声がすると思ったら先生だった。いや、アンタかい!と突っ込まずにはいられない。

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・作品データ

原題:Herr Bachmann und seine Klasse
上映時間:217分
監督:Maria Speth
製作:2021年(ドイツ)

・評価:80点

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★コンペティション部門選出作品
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