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余は如何にして芸人となりし乎──「或る芸人の話」第二部

はい獰猛、UnKoUです。

 余が芸人を始めるきっかけになった話を載せようと思う。これは高校の卒業文集に載せた文章であり、拙いところもあり、少し気恥しいが、芸人としての余を語るにこれ以上のものはないと思う。「或る芸人の話」として何者かが余のことを投稿していたが、どこの誰が書いたかもわからないあんなものよりも本文を読んで欲しい。一応参考にその馬の骨が書いた「或る芸人の話」もここに貼り付けておこうと思う。いずれにせよ判断するのは文章を読む君であり余には関係ないことだけど。



 バークレー高橋とブッダ中村のコンビ、「海鮮市場」が甕-1グランプリで惜しくも2位になったのを、僕は砂吹き荒れる亀東ヶ崎高校のグラウンドで体育座りをしながら他の数百の観衆と共に見ていた。優勝は、「まり使い」であり、高橋爆零の双子の弟である高橋白蓮と早河野武雄の面の整ったコンビだった。陽の傾いた砂煙舞うグラウンドは、彼ら、「海鮮市場」に敗北の味を認めさせるには絶好であり、事実、彼ら、2位以下の芸人らと体育座りしている我々は砂を吸い続け、「まり使い」のみが設営されたステージの上、地上1m上で砂煙の餌食になることなく表彰されているのだった。それはまさしくグランプリで優勝することが雲の上の存在となることと同義であり、優勝とそれ以外との差を視覚的に如実にあらわすことを示していた。同じクラスの馬鹿女共は顔だけを評価し「まり使い」に投票し、優勝へと導き、砂を吸いながらも馬鹿面を振り回して歓喜しているのだった。それは数百の観衆のほとんども同じで、僕のみが「海鮮市場」を応援し、しょぼくれていた。項垂れて、砂弄りをしている僕、負け犬の後輩に、紫庭晃太朗が取り巻きの女2人をベタベタさせシーブリーズの匂いを纏わせながら、話しかけてくる。
「よお、スナネコ君。お前は、楽しくなさそうだな。楽しくないお前にお笑いはわからないだろうよ」
などと言った後、1秒間を置いて、僕が大学受験に失敗することを予言し、自らは指定校推薦で大学へと行くこと、取り巻きの女らも勿論同じ大学へ行き、同じお笑いサークルに入り、華やかなキャンパスライフを送ることなどを早口で捲し立て女2人と腕を組んだままこちらを振り返りながら夕陽よりも先に地平線の向こう側へと消えていった。
 今もそうであるが、当時、彼らのように、顔を使って大学へ行く者は多かった。なぜならその前年、インフルエンサーT先生がインフルーエンス動画の中で説明した理論「人は顔が100割」がイギリスの100人の男女という、この世で最も信頼のおける聖なる男女によって科学的に実証され、また、このT先生を政府が有識者として文部科学委員会に招いたからである。よってすべての基準は顔になった。いずれにせよ、僕らには勝ち目がないということだ。

 バークレー高橋の能力は「バックれる」である。それは、予定されていたことをキャンセルして無かったことにする能力である。そして、ブッダ中村の能力は「説法」であり、相手を啓発し仏道へ導く。彼らはこの2つの能力を活かした漫才をしていた。つまり、あるボケで滑ったら高橋の能力で「バックれ」、滑ること自体を無くしてしまう。そして、中村の能力で啓発する。ボケの試行回数が増えればそれだけウケる可能性も高くなる。「説法」による啓発は客の煽りにも、ツッコミにも使える。「バックれ」によって滑ることはない。よって彼らは甕-1グランプリ決勝の舞台へと上り詰めた。
それに高橋は、課題未提出を、赤点を、遅刻無断欠席を「バックれ」でキャンセルし、中村は「説法」で説き伏せてきた。結果、彼らは内申点は高く、教師の票を稼ぐことは出来たはずなのだ。
 ではなぜ彼らは敗北したのか。主な理由は「顔」である。「まり使い」は2人ともその顔の良さによって、顔の大学最高峰、顔山学院大学への進学を既に決めていた。それは顔学直々のオファーであり、授業料無料の特待生扱いであった。
 もう一つ考えられる原因があるとすれば、決勝の舞台での、高橋の「バックれ」が効果を為していなかったことである。審査委員長亀ヶ崎悪虎のコメントによれば、以下の通りである。

バークレー高橋の「バックれ」は観る者のほとんどが気づかずに行われますが、私を含む能力者、一部の人間は気づいています。それを加味せずとも、高橋は「俗」、対して、ブッダ中村は「聖」、この対立が観る者を笑いへと導きます。高橋は我々と同じ「俗人」であり、中村がそれを指導します。我々は高橋を対象化して観るので、滑稽な俗人とそれを指導する聖人という対立、「説法」というかつてない革新的なツッコミによって笑ってしまうが、後に帰路を独りで歩いている時に、高橋は観客である我々だと気づき戦慄するのです。「海鮮市場」のネタはこのような構造になっています。我々は試されているのです。それはともかく、今回は高橋の能力「バックれ」が意味を為していなかったので、滑るところはとことん滑ったというわけです。実は私も能力者ですので、「バックれ」が成功した時の観客の反応などを見るのはおもしろいのですがね。

 この老いぼれのコメントではどうして「バックれ」が成功していなかったのかは明らかでないが、能力者には効かない場合がある、ということがわかる。僕はここで2つの仮説を立てたい。あの時僕を除く会場のほとんど、観衆どもは高橋の「バックれ」が作用していなかった。とすると、何者かが能力で場を塗り替えていた。もしくは「まり使い」が能力者であり、「海鮮市場」になんらかの術をかけていたのではないか。そうすれば高橋の効果を無効にできるはずだ。僕はといえば、能力というものに自覚的になったことは無いものの、幼い頃の話にこんなものがある。

 僕ら家族は、東北地方の山間部のある村で暮らしていた。その、交通の便の悪い、閉鎖的な山間の村、草臥村にはある伝説があった。それは以下のようなものである。
「500年に一度、山から「インモウゾリ」がやって来て全員の陰毛を剃ってしまう」
 500年前の村の者らがどうしたのかは明らかではないが、500年に一度のその日が数日後に迫っていることを、村の天皇──彼は村の天皇になりたすぎるあまりに、後にも上皇として君臨する──文峰悶台麻仁愛が山の意思からのお告げとして宣言した。500年前の村の者らがしたように、蹴鬼侍を組織して「インモウゾリ」を迎え撃たなくてはならない。しかしながら、村には一人も蹴鬼侍や「インモウゾリ」を知る者はなく、曖昧な伝承のみだった。毎日村の天皇を中心として話し合いが行われたが、実のない議論が交わされた。結局、現代的な武装、爆薬、包丁、鍬、鎌などを寄せ集める他なく、誰もがなんとなく投げやりな感じで武装することになった。村の者らの中には、「インモウゾリ」は存在しないと言う者さえいた。

 その夜は、日が暮れても空が明るかった。なぜ明るいのか誰もわからなかったが、村に異変が迫っていることは村の全員が気づいていた。山の頂上から光が届き、それは山を中心として世界が終わりはじめているようにさえ思えた。僕は、村の唯一の子供だった──当時7歳の僕以外は15歳、18歳の少女がいるのみで、「子供」は僕のみだった──ので村の自警団には参加せず女どもと村の真ん中にある天皇の家に隠された。
 深夜頃だったと思う。犬が吠え、大きな音がして、戦争が始まったことがわかった。当然ながら、ろくに対策もしていない村の者ら、即席の蹴鬼侍はことごとく敗北し、数分で全員が陰毛を剃られ気絶してしまった。いよいよ女子供の隠れている天皇の家に「インモウゾリ」が来るとわかり、唯一残った男である僕はひとりで飛び出していったらしい。僕はそこである言葉を聞いたのだ。その声はおそらく文峰悶台麻仁愛のものであり、こうだった。
「ちんちん出しなさいや! 出しなさいや!」
記憶にないので何があったかはわからないが、祖母の話によれば「インモウゾリ」は僕の、まだ毛の生えていない陰部を見て、逃げていった。「インモウゾリ」の撃退方法は陰毛の生えていない陰部を見せることだったのだ。

 この話が甕-1と関係があるようには到底思われないだろう。しかし、甕-1グランプリの閉会式が終わり、決定的な出来事があった。みなはそれぞれの教室へ戻ろうとしていた。人間が一斉に移動する雑踏の中に僕は立ち尽くしていた。その時、遠くからではあるが鮮明に、その声、バークレー高橋の声は聞こえたのだ。
「チンパンZラフィ! チンパンZラフィ!」

 僕の頭には彼のその言葉が、文峰悶台麻仁愛の声と重なり、轟音のように内側から鳴り響き、頭の中で反響した。そして、その言葉がそのまま出囃子となり、気づけば僕はチンパンZラフィとしてステージの上にいたのだ。
この時から僕はなんらかの能力に目覚めたような気がしたが、それがなんであるかはわからない。僕が芸人になったのはこの不思議な二つの出来事に偶然、それも十年越しに「挟まれた」からであり、この時から僕の人生は大きく変わったような気がする。しかし一年後、甕-1グランプリで僕は敗北するのだが。

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