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KIKORIBEATSの余談

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#日記

心のふるさと

心のふるさと

蝉が去って静かな朝。鈴虫やらがコロコロなく朝露の間に間にひんやりした風がベッドまで流れ込んでくる。夏の暑さが異常だったせいで、まるで嵐でも過ぎ去ったかのようにより静かに感じる。

今ここにいること、誰かがいること。この場所にいることで繋がりうる人とかモノとか場所とか生き物。もしかしたらまだ東京で暮らしてたかもしれないという余韻を残しつつ、とりあえず今は、この地元の空気を感じて、地元の土を感じて、生

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自分だけの一等星

誰しもがみな、自分にしか見えない一等星があって、だから誰かと比べる必要はない。

この空気の感じ方、体温、呼吸の深さ、誰とも違う。

誰もが目指す高いあの山の頂上へ駆け上がることが人生のすべてではない。この広大な地平を心に持ち続けることのあたたかさ、豊かさは何物にも代え難い。

星の呼び声が自分にだけははっきりと聞こえていたら、それでいい。シェアしなくてもいい。この世界がどう見えてるかなんてみんな

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静なる夜

静なる夜

台風がなにもかもをかっさらっていって、忙しさまで取り払ってくれた。日常という規律正しいリズムをないものにして、一旦リセットする。当たり前にある電気や灯りもモバイル通信も、効率的な行動も、止める。

このリセットする感じのスイッチっていうのは、本当は自分の中になければならなくて、この日常の地続きの感じがずーっとあると、もとある地平というか、自分の中の元の位置に戻れ的な部分を忘れてしまう。言ってしまえ

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子育てに正解はないけど

子育てで必要なことって、「させてあげること」だと思った。子供は子供と固定化するではなくて、未来がある、つまり大人になっていく過程を踏んでいく上で経験を積ませるってことがすごく大事で、
子供だからと言って親は親の役割である炊事や洗濯や掃除をすべてこなしてしまうと、子供は「なにもしなくていいんだ」となってしまう。それはつまり、大人になって自立するための練習、下積みという行為が欠如していて、その段になっ

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やさしさの波が押し寄せてきて

やさしさの波が押し寄せてきて

東京から地元へ戻ってきてなんだかんだもう10ヶ月近く経った。15年ぶりの宮崎の夏はくそ暑い。異常だ。仕事で熱中症気味になって何度かダウンしかけた。

それまで出会うことのなかった人たちと、今までのつながり(幼なじみや高校の同級生)や、地元にいたころには知らなかった場所や人とどんどん出会い、言葉を交わし、そこからさらにつながりが連鎖する。マジでドゥルーズの言うリゾーム構造になってて、びょびょびょ〜っ

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よぎること

よぎること

頭によぎること、たとえば先祖(おじいちゃんやおばあちゃん、さらにその先)のことをふと思い出す時、それは同時にあちら側からの呼びかけでもある。
そこになにがしかのメッセージが含まれていて、共振し合っている。「タイミングがある」というのはそういうことで、探っていく
必要がある。さらには調べてなにかヒントを見つけ出す必要がある。どこかにフックになる箇所があるはず。これとこれが繋がるのか!という発見がある

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生きることは傷つくこと

生きることは傷つくこと

「若くありたい、年を取りたくない」と後輩が言っていた。それは言い換えるなら「傷つくことなくこのまま人生をノーミスでクリアしたい」と思っているように聞こえた。

生きることは傷つくことだから、かつて無傷で生還して終えた人生などどこにもケースとしてはなかったはずで、なのに何故か人は失敗を踏まないように生きようとするんだけど、避ければ避けるほどその先で起こる失敗のダメージがデカくなる。
だから小さく傷つ

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誰かにとっての6月

誰かにとっての6月

「毎月曲を一曲録音してアップしよう」なんてことを考えながら、気づけば6月。先月アップした「余韻」からはや1ヶ月。働いて、漫画を描いて、2度目のサーフィンスクールも終え、畑に撒いたパクチーの種も無事芽を出し、なんだか日が過ぎるのがあっという間だ。

現時点で頼まれているのは、幼なじみと高校のクラスが同じだった女の子の実家の牧場小屋に描く牛のイラストの依頼と、彼女の実家で飼っていて去年亡くなってしまっ

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出会いは内側

出会いは内側

人は誰かと出会うとき、その相手はもともと自分の中に存在しているんじゃないか、という事を考えていた。相手は出会う前からすでに自分の内側に存在している、と。

人と出会うという行動すべてにおいて、出会った瞬間からその人を潜在的に容認する(無意識のうちに審判を下している)という行動をとっていて、容認する条件というのは、「自分の中にあるあらゆる要素のうちの一部分と強烈に共鳴する」人であるんだろうと思う。世

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童謡のような人

童謡のような人

道草食って人生を。
お花が咲いたら写真を。
愛でる。とにかく愛でる。その童心を。おさな心をあたためる。何の変哲もないただの少年であり続ける。どこの組織にも属さない。生きたまんま、生まれたまんまであり続ける。可愛げ。うぶ。やさしさ。そのどれも狂気的な童心であり続ける。
自分自身の行動の起源、母体となるものが生まれた時いや生まれる前くらいから脈々と受け注がれた宙空をただよう春風のような、草いきれのよう

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気まま

気まま

気まま。これがなんと大事なことか。気ままに生きるって簡単なようで難しい。難しいようで簡単。歯を食いしばって力を入れれば入れるほど外の世界との壁は厚くなるけど、力を抜いて解き放たれれば壁はなくなる。ただこの「力まない」というのが難しい。
顎関節症を患ってる自分は、この「力まない」の難しさにかなり翻弄されてきた。食いしばらないで1週間平気でいられることもあれば、寝ても起きても常に頬の筋肉がビンビンに張

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完璧なんて忘れて

完璧なんて忘れて

ひとつひとつ、積み重ねて、結果を残して、プレッシャーを感じて、それを覚えて、レベルアップして、というマインドにひとつの壁が存在してて、その積み重ねてのブロックを一旦ジェンガ指で押すみたいに崩してあげて、思考のクセをなくして、それがすべてではない世界線の中に自分を見つけていく。自分を見つめていく。心の内なる、もっと奥の、それが自分の内側から発せられたのかすらわからない声に耳を傾けてみる。

学校や親

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オラどこさ行くだ

オラどこさ行くだ

世界中を旅した人は夜中目が覚めたときそこが何処の夜だと思うだろうか?一瞬ここがコートジボワールか、サウジアラビアか、ホーチミンか、エクアドルか、ブエノスアイレスか、浜松市か、わからなくなるのではないだろうか。
自分自身にもそういうことがある。野宿した兵庫県たつの市か、静岡の橋の隅っこか、群馬の山奥か、住んでた小平のアパートか、大阪の友達んちか。
蛙の囁き、風のさざめき、みんな親戚みたいで、よほど気

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わからなくなってきました

わからなくなってきました

毎日、ほぼ毎日仏壇に手を合わせてる。マッチでろうそくに火を灯し、線香を焦がし、おりんを鳴らす。日々同じことなのに日々変化してる。その変化がめちゃくちゃおもしろい。その変化に気付かさせる為にばーちゃんはおれに手を合わさせようとしてるのか。

なまんだぶなまんだぶ。二階の寝室におって階下の仏間から親父のそんな声が、低く唸るような声が聞こえてくる朝5時半。実際なまんだぶと言ってるかわからないがある時から

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