KIKORIBEATS
言葉を拾いあつめたり。
音楽に詳しいわけではない。でも自分自身が生きていくうえで音楽はとても重要な意味をもっている。 それはリズム。それは世界の広がり。それはBGM。それはドラマティック。それは食べ物に取って代わる栄養分でもないのに時に食べ物以上に心の支えになること。それは余白。それは沈黙。 先日の東京行きは間違いなく正解だった。むしろ正解でしかなかった。ドンピシャのタイミング。もはや行くという選択しか与えられてなかったというぐらいに。ふるさとで生活して丸一年。深煎り濃厚ギッチギチの1年。我を忘れ
ライブに向けて部屋で歌を歌っていたら、ふと、早川義夫の「歌が伝わるというより、歌う人間が伝わってこなければ駄目なんだ」という言葉が浮かんできた。とっさに「躁と鬱の間で」「MyR&R」「音楽」をギターでなんとなくつまびいて歌ってみる。 ハタチで上京して最初に衝撃を受けたのは早川義夫だった。音楽に対して真摯で、切実で、まっすぐだった。当時のぼくはこんな声は出せないな、と思っていた。それが今、少しだけ近づいてるのを感じる。何が変わったのかといえば、歌に抑揚が出た。20代の頃は歌声
不思議である。不思議。水が枯れないでそこにあって、自分が死なないで此処にいる。流れがある。気心知れた誰かといる。その誰かもちゃんと生きていて、今日まで生きていて、また会ったり次会う約束をしたりする。そんな流れがある。 なんだか忙しいというか目まぐるし過ぎて、ここ最近自分が何をしているかってのがまったく把握出来ていない。わかっていることは、来週東京へ行くってことと、その直後に地元で初ライブをするってこと。 ホントにひょんなことからライブに誘っていただいて、ありがたい。しがな
とてもメンヘラで粘着質で口が悪くて凝り固まって禍々しい。人前ではただやさしく、悪口も言わず、思いやりを持っていたとしても、内側にはそういう部分もたくさん持ち合わせている。それが他者に矛先が向かなければ別に欠点でも何でもないんです。 ただやっぱりそういう部分を自分は持っている、というメタ認知は必要で、そこに脅かされて「なんで自分はメンヘラで粘着質で、、、」って落ちる必要はまったくない。 自分を守るための武器としての危うさや性格の悪さ、というのは必要なのかもしれない。必要悪と
一昨日の仕事の後半あたりから頭がぼんやりして何も考えられなくなった。頭がオーバーヒートしてる感じ。身体の疲れも相まって、やらなきゃいけないことと考えてる事とかがガッチャンコしてスイッチオフ状態になってしまった。疲れている、、おれは今とても疲れているぞ、、、。 ラインの返信をする気力もなくぼんやりと「ニュー・シネマ・パラダイス」を観、ワインを飲みすぎてキッチンで寝ていた。 返信が来ないことを心配して、夜にgfから電話が来てたのを明け方になって知った。なんか事故でもあったのでは
蝉が去って静かな朝。鈴虫やらがコロコロなく朝露の間に間にひんやりした風がベッドまで流れ込んでくる。夏の暑さが異常だったせいで、まるで嵐でも過ぎ去ったかのようにより静かに感じる。 今ここにいること、誰かがいること。この場所にいることで繋がりうる人とかモノとか場所とか生き物。もしかしたらまだ東京で暮らしてたかもしれないという余韻を残しつつ、とりあえず今は、この地元の空気を感じて、地元の土を感じて、生きている。 コロナになったり、入院したり、その都度生活を立て直す。リズム感、と
月曜日、という感覚はその週によって違う。生活リズムが時と場合によって目まぐるしく変わるし心境も変わるので、常に流動的であって、もはや週の始まりという概念すらなくなってる時もある。 日曜日は隣の竹藪の竹が台風で折れて電線にかかったり折れたりしてたので午前中に手前半分ぐらいまできって片付けた。前から気になってもやもやしてたのでスッキリ。 常にタスク脳になっちゃってる感じもあるけど、やってスッキリするっていうのは脳を整理する感じもあるので、心が晴れやかになる。部屋を掃除するとか食器
誰しもがみな、自分にしか見えない一等星があって、だから誰かと比べる必要はない。 この空気の感じ方、体温、呼吸の深さ、誰とも違う。 誰もが目指す高いあの山の頂上へ駆け上がることが人生のすべてではない。この広大な地平を心に持ち続けることのあたたかさ、豊かさは何物にも代え難い。 星の呼び声が自分にだけははっきりと聞こえていたら、それでいい。シェアしなくてもいい。この世界がどう見えてるかなんてみんな違うし、べつにそれでいい。ゆるやかな、そのリズムはそのままで、近いリズムの人とな
台風がなにもかもをかっさらっていって、忙しさまで取り払ってくれた。日常という規律正しいリズムをないものにして、一旦リセットする。当たり前にある電気や灯りもモバイル通信も、効率的な行動も、止める。 このリセットする感じのスイッチっていうのは、本当は自分の中になければならなくて、この日常の地続きの感じがずーっとあると、もとある地平というか、自分の中の元の位置に戻れ的な部分を忘れてしまう。言ってしまえばどこにいたかなんて、実際は時間が変化し続けているからないっちゃないんだけど、あ
東京に住んでいた頃、休みの日によく日の出町(ひのでまち)という街にあるイオンモールに買い物に出かけていた。 イオンモールの真正面の入口を入ると、ちょうどメインの通路にぶつかる。道路でいうところの交差点みたいな感じ。その交差点の左側にジュエリーツツミがあった。 店舗フロア内に足を踏み入れたこともないし、当然ジュエリーを購入したこともない。が、いつも通るとチラ見してしまうのだ。 というのも、通るたびに立っている店員が異常に気になっていた。 鬢付け油でベッタベタになったような
子育てで必要なことって、「させてあげること」だと思った。子供は子供と固定化するではなくて、未来がある、つまり大人になっていく過程を踏んでいく上で経験を積ませるってことがすごく大事で、 子供だからと言って親は親の役割である炊事や洗濯や掃除をすべてこなしてしまうと、子供は「なにもしなくていいんだ」となってしまう。それはつまり、大人になって自立するための練習、下積みという行為が欠如していて、その段になってなにもわからず右往左往し、下手すると赤っ恥をかいてしまうことにもなりかねない。
メルケル首相が爪楊枝で前歯のニラをほじっているとき、大きな爆発音のような音が鳴った。その振動によりメルケルのニラはあさっての方向へ飛来する。それみたことか!とクマタカが空中キャッチで奪い去る。ほんの一瞬の出来事だった。 ニラは茨城県牛久市の生産者によって作られたものだった。メルケルのニュースの翌日からニラは馬鹿売れ。スーパーからニラが消え、中華屋ではニラ玉とレバニラを食べる為に駆けつけた公務員の行列が出来た。のちにニラは「メルケルニラ」と名付けられた。 「注文の多い注意点
おとぼけGoogle先生のごとく、農免道路をスローモーションで走る軽トラのごとく、中華屋に雑多に置かれた『静かなるドン』の13巻のごとく、自然さと不自然さのちょうど中間あたりのななめ48度くらいのとこを狙ってビートを刻む。規則性のあるようなないようなビート。言葉にもドライブ感、ビート感がある。シュールにもビョークにもなれるビート。音と言葉の臨界点に立ってイルカショーよろしくのお姉さんみたいな笑顔で笑うのだ。ダンスダンスレボリューション。80年代のZINE、いや当時だとミニコミ
東京から地元へ戻ってきてなんだかんだもう10ヶ月近く経った。15年ぶりの宮崎の夏はくそ暑い。異常だ。仕事で熱中症気味になって何度かダウンしかけた。 それまで出会うことのなかった人たちと、今までのつながり(幼なじみや高校の同級生)や、地元にいたころには知らなかった場所や人とどんどん出会い、言葉を交わし、そこからさらにつながりが連鎖する。マジでドゥルーズの言うリゾーム構造になってて、びょびょびょ〜っと網目状に関係が広がっている。それに加えて、地元で出会う動物、そこに生息する鹿や
シャシャン5時のベールが鳴るべからず 最高の不埒は夜に儚きを示すなり いずこいずこと鳥が鳴くとき いずれも子連れの親にはならまいとせし ビルが潜る海の斜陽には北斎の絵すらも追いつかず ゆうべきは買うべきもの トマト缶に連れられた保育園の窓とりとめもなく カラスはつらかろうて連れ立って棒になる 蜷川の流れるほとりでの出来事 藤吉に新吉 淫らことよ 呼ばれた時のどきどきの動機 希望づらかろう新潟への変列車 霧笛を鳴らし 氷を溶かす セルロイドのロビーでチェックインの伯爵 終着駅の
乗り込む列車には乗客はおらず 暁のステージ 共に歩まん たゆたう洗濯物の踊る影が肩をかすめて 路地裏を歩く私にダイブ食らわす 夜は背にビート板 夏のほころびを落としながら夜も冷え冷えと 拾得物保管箱に入れられたままの思い出となり 微かなリズムで記憶を残す 交差点からまた飛び出すカラスの群れ 憂う時の刻む最果てのドア おうるとうるに歪められて 今ここはどこ イザナギの広場の断面によく似ている 君は確かいつぞやのあれか なんであるか 笑えと賜う御霊の心にフレンチブルドッグは鳴く