黄色い人

ある地方のまちで、小さなたべもの屋を営む。様々な感情が揺り動かされる日々を、「黄色い人…

黄色い人

ある地方のまちで、小さなたべもの屋を営む。様々な感情が揺り動かされる日々を、「黄色い人」目線で綴る。

記事一覧

鶏供養

経営判断により「秘伝のたれカツ」をお店の名物商品として全面に出すことにしてから、作り手である料理人主人が、「鶏供養」を願うようになった。 毎度生きた鶏を〆ること…

黄色い人
3週間前

新豆のおしるこ

2024年正月。 一年越しの計画で、自家栽培小豆で新豆のおしるこをつくることができた。 丁寧に繊細に炊き上げた小豆は、ふっくら大粒で、完成したおしるこは、私の記憶の…

黄色い人
8か月前

小豆とともにこの1年

ことし、生まれて初めて「小豆」をまいた。 小豆が好きすぎて、その愛おしい豆の素性が知りた過ぎて、そしてことしの正月、心に抱いた「来年の正月こそ、自前の小豆でおし…

黄色い人
9か月前
7

風に揺れるコスモス

毎年この時期になると、コスモスが恋しくなる。 秋の桜。 北のほうに広がる地域では、農夫が種をまいたのか、鳥がこぼれ種を運んだのかしらないが、ほぼ野生化して、路肩…

黄色い人
10か月前
3

百姓見習い

わたし自身は一体何者? いろいろとことあるごとに考えていくうちに「百姓見習い」という肩書がパッと閃いたのが、隣町でのアウェー出店を控えた前日に、翌日の出店で手配…

黄色い人
1年前
4

作品であり、看板であり、お店でもある

わたしたち夫婦は、「固定店舗は(あえて)持たない飲食業のカタチを」と、試行錯誤しながら、とぼとぼ歩んできた。 主人こそ「料理すること」が彼の全てを昇華させた表現…

黄色い人
1年前
2

人を愉しませる、ハッとする色づかい

2023年のわたしのチャレンジは、ユーモアと色彩。 そう決めた、1月末の今。 これまで苦手としてきた分野だったけれど、「現状の突破口」はここしかないと思えている。 …

黄色い人
1年前
2

わたしのお汁粉

新年の初出店に合わせて作ったお汁粉は、自分史上最高の出来栄えだった。 豆の皮をプチプチ弾かせて、豆の中身をもしゃもしゃ食べながら、あん粒子の溶け出した汁を飲み込…

黄色い人
1年前
5

今、生きていることの実感を

惣菜屋なのに路上ゲリラライブみたいなことをしていた時、まだ見えぬお客様を待ちながら、太陽が沈む瞬間をじっくり見守ることが多かった。 朝が来て、昼があって、夜にな…

黄色い人
1年前
4

民藝、その愛。そして庶民の暮らしを取り戻す

常に、本物に囲まれていたい。 偽物ではなく、本物。 その思いが年々と強くなる。 若い頃から憧れを抱いていた暮らしや日用品は全て、「民藝」と呼ばれるものたちだった…

黄色い人
1年前
2

美意識

わたしが「美しい」と思うもの わたしが「素敵だ」と感じるもの わたしのこころが「満たされる」もの そういうものに囲まれて生きていきたいし、そういうものを今後の人生…

黄色い人
1年前
1

途方に暮れながら、歩む

改めて、自覚・不自覚の刃で大切なひとを傷つけてしまうことに、今更ながら怖気付いている。 直情的な出来事を引き起こしがちなわたしが、とても大切な人を本当に傷つけて…

黄色い人
1年前

散り落ちて なお美しく 在る紅葉

これは、年々、写真の腕をメキメキ上げている友人撮影の一コマ。 黄色味がかった苔の色と対照的な赤。そして一枚だけの黄色。 細い葉柄が描く微妙な曲線に、見てはいけな…

黄色い人
1年前

ミニ歌舞伎町

商業看板デザインは、見るものの心理を掴む仕掛けに満ち満ちていて、所狭しと並んでいれば、その情報量と圧に圧倒される。 最近は県内各所でも様々な屋外イベントが開かれ…

黄色い人
1年前

潮目を見る

最近、かなりの頻度で、ただ単に「ああ、生きてるなぁ」と感じる。息してて、とりあえず病に伏せることなく、やることやって、毎日、生きている。仕事とか、遊びとか、休み…

黄色い人
1年前

表現することの苦悶

多分、自然や偶然が一番美しい。 今はただ、それを追従してる。 恣意的になればなるほど、醜くなっていく表現に、 ひとの力の微々たるものを知る。 全力で表現に勤しむこ…

黄色い人
1年前
鶏供養

鶏供養

経営判断により「秘伝のたれカツ」をお店の名物商品として全面に出すことにしてから、作り手である料理人主人が、「鶏供養」を願うようになった。

毎度生きた鶏を〆ることはしていなくとも、肉屋さんの手で「精肉」となった鶏を何羽分も包丁で切る行為を繰り返すうちに、苦しい気持ちを抱くようになったそうだ。

売りたいから、売れるから、欲しがっていただけるから、とより多くの鶏を調理するようになると、その人間の欲の

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新豆のおしるこ

新豆のおしるこ

2024年正月。
一年越しの計画で、自家栽培小豆で新豆のおしるこをつくることができた。

丁寧に繊細に炊き上げた小豆は、ふっくら大粒で、完成したおしるこは、私の記憶のなかの祖母の味と母の味を足して2でわったような仕上がりに。

一口含んだ瞬間、「あ、わたしが飲みたかったのは、そしてあなたに飲ませたかったのは、これだったよ」って思った。

開業してからずっと、
ずっと「業務的正解」を追い求めてた。

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小豆とともにこの1年

小豆とともにこの1年

ことし、生まれて初めて「小豆」をまいた。

小豆が好きすぎて、その愛おしい豆の素性が知りた過ぎて、そしてことしの正月、心に抱いた「来年の正月こそ、自前の小豆でおしるこをつくって、その幸福をわかちあい、一年の幸を祈りたい」と思ったことを実現すべく、周囲からの静かな圧を感じながらも、勇気をだし、管理を任された粗放地の一角にまいたのだった。

5月にまいた小豆は、去年の今頃、近隣の農産物直売所で買った小

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風に揺れるコスモス

風に揺れるコスモス

毎年この時期になると、コスモスが恋しくなる。
秋の桜。

北のほうに広がる地域では、農夫が種をまいたのか、鳥がこぼれ種を運んだのかしらないが、ほぼ野生化して、路肩にところどころ咲いている。

それがなんとも、愛おしい。人為と自然のミクスチャーの産物。

風に揺られても、折れないコスモス。
細くて頼りない茎は、しなやかに風と踊り、元に戻る。

コスモスの葉っぱは、まるでオカヒジキ。
わずかな表面積し

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百姓見習い

百姓見習い

わたし自身は一体何者?

いろいろとことあるごとに考えていくうちに「百姓見習い」という肩書がパッと閃いたのが、隣町でのアウェー出店を控えた前日に、翌日の出店で手配りしたい!と一念発起し、ほぼ徹夜で作り上げたお店の紹介パンフ(通称:一夜城パンフ)と格闘した2022年11月25日の夜のこと。

非常にしっくりくるあまり、その後に続いてきたこの半年は、自分史上で最もラクな気持ちでいる。

百姓、それは百

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作品であり、看板であり、お店でもある

作品であり、看板であり、お店でもある

わたしたち夫婦は、「固定店舗は(あえて)持たない飲食業のカタチを」と、試行錯誤しながら、とぼとぼ歩んできた。

主人こそ「料理すること」が彼の全てを昇華させた表現手段であるわけだけど、わたし自身は、なにぶん「料理以外」の部分で、わたしの中にある「美意識」を小出しに結晶化させて、要所要所にちりばめて日々事業継続を図っている。

固定店舗を営む、ということは、その道に片足を突っ込んだ人なら誰でもわかる

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人を愉しませる、ハッとする色づかい

人を愉しませる、ハッとする色づかい

2023年のわたしのチャレンジは、ユーモアと色彩。

そう決めた、1月末の今。

これまで苦手としてきた分野だったけれど、「現状の突破口」はここしかないと思えている。

放っておいてもついつい滲み出てしまう「真面目」はそのまま置いておいて、表向きの「見た目」「感触」の部分には「ユーモアと色彩」を。

年始から今までの4週間。
予定して会う人が居る場合、「新調した、よそゆきのコート」を「やりすぎ」の

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わたしのお汁粉

わたしのお汁粉

新年の初出店に合わせて作ったお汁粉は、自分史上最高の出来栄えだった。

豆の皮をプチプチ弾かせて、豆の中身をもしゃもしゃ食べながら、あん粒子の溶け出した汁を飲み込む。

暮らしがまだ前時代の香りを残していた頃、ストーブの上でことこと煮た豆がじっくりゆっくり柔らかくなる味。

秋にとれた初物を、トロ火でゆっくり煮たら、豆は口の中でほろっと崩れて、最高だった。

実家にいる時、母は、まめに手料理を作る

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今、生きていることの実感を

今、生きていることの実感を

惣菜屋なのに路上ゲリラライブみたいなことをしていた時、まだ見えぬお客様を待ちながら、太陽が沈む瞬間をじっくり見守ることが多かった。

朝が来て、昼があって、夜になる。
寒かったのが、暑くなって、また寒くなる。

植物が日頃から生き様としてやっていることそのままに、人間のわたしもまた、日の光にコントロールされている、と実感していた。

所詮、生物。ただ、偶然今、生かされているだけなんだな、と。

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民藝、その愛。そして庶民の暮らしを取り戻す

民藝、その愛。そして庶民の暮らしを取り戻す

常に、本物に囲まれていたい。
偽物ではなく、本物。

その思いが年々と強くなる。

若い頃から憧れを抱いていた暮らしや日用品は全て、「民藝」と呼ばれるものたちだったのだ、とボヤッとした焦点が定まったのが、最近だった。

新建材に囲まれた生活は、わたしにとっては快適とは程遠く、隙間風に悩まされるくらいがちょうどよかったんだと、人生折り返し地点で常々思う。

高度経済成長以降、庶民には「安価」な「大量

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美意識

美意識

わたしが「美しい」と思うもの
わたしが「素敵だ」と感じるもの
わたしのこころが「満たされる」もの

そういうものに囲まれて生きていきたいし、そういうものを今後の人生かけてずっと貫いていく、と、これまで40ウン何年の経験の蓄積が、じわじわ、我がこころに訴えかけてくる。

妥協の産物ではなく、「いい」と思うものをただ、「いい」と、「言いはり続ける」こと。

お金と引き換えに、誰かの作った、誰かが関わっ

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途方に暮れながら、歩む

途方に暮れながら、歩む

改めて、自覚・不自覚の刃で大切なひとを傷つけてしまうことに、今更ながら怖気付いている。

直情的な出来事を引き起こしがちなわたしが、とても大切な人を本当に傷つけてしまったということ。困らせてしまったということ。

それを改めて感じて、己の至らなさに、呆れ果てる。

「人の気持ちを思いはかること」
「ゆっくり人を待つこと」

よりも、己の直感の実現を、急ぎすぎるきらいがある。ずっと自分の中で反芻して

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散り落ちて なお美しく 在る紅葉

散り落ちて なお美しく 在る紅葉

これは、年々、写真の腕をメキメキ上げている友人撮影の一コマ。

黄色味がかった苔の色と対照的な赤。そして一枚だけの黄色。
細い葉柄が描く微妙な曲線に、見てはいけないものを見てしまったような艶かしさすら覚える。

花鳥風月がもたらす「ハッとする経験」が、わたしたちの奥深いところに刷り込まれ、蓄積されて、溜まりに溜まってくると「表現の衝動」が起きる、と最近、つくづく思う。

誰かの猿真似でもなく、

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ミニ歌舞伎町

ミニ歌舞伎町

商業看板デザインは、見るものの心理を掴む仕掛けに満ち満ちていて、所狭しと並んでいれば、その情報量と圧に圧倒される。

最近は県内各所でも様々な屋外イベントが開かれるようになり、その度に、人間心理を汲んだ大きなメニュー表示に、見た目にも工夫を凝らしたキッチンカーが所狭しと集結する。

ぱっと見てのわかりやすさ、が求められ、いろんな専門店がしのぎを削る。

統一感というのは、なくて、とにかく単独の主張

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潮目を見る

潮目を見る

最近、かなりの頻度で、ただ単に「ああ、生きてるなぁ」と感じる。息してて、とりあえず病に伏せることなく、やることやって、毎日、生きている。仕事とか、遊びとか、休みとか、これまで歩んできた人生の殆どがそうであったように、時間とか義務とかそんな感じの外的要因に縛られることなく、飛び込んできた外からの要請と内から湧き出る衝動が、適度な緊張関係にあるというか。ああ、なんというか。絶妙な塩梅で均衡がとれてるよ

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表現することの苦悶

多分、自然や偶然が一番美しい。
今はただ、それを追従してる。

恣意的になればなるほど、醜くなっていく表現に、
ひとの力の微々たるものを知る。

全力で表現に勤しむことは、そのひとを救う。
(しかし一方で、ほかのひとに犠牲を強いることもある)

自然に、素直に、混じりけなしに、を追い求めるほどに、その姿は消えてしまう。掴めそうになった途端に、ドロン。

あの人はどこへいくのか。
わたしはどこへいく

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