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そこに在りつづけるために
2024年も終わった。
「夏は夜」を貫く2年目の夏が。
出店という営業スタイルを選んだ故に、固定の飲食店とはちょっと異なる働き方がまかり通っているわが「動く料理屋」。
日が落ちたタイミングで、動く店舗の灯りをともす。風景と一体化したわたしたちのことを見て見ぬふりになる街の中にあって、それでも、灯りを目指してやってきてくださる「あなた」のために、じっと待つ。
先日の最後の夜営業の日。
この夏、
小豆とともにこの1年
ことし、生まれて初めて「小豆」をまいた。
小豆が好きすぎて、その愛おしい豆の素性が知りた過ぎて、そしてことしの正月、心に抱いた「来年の正月こそ、自前の小豆でおしるこをつくって、その幸福をわかちあい、一年の幸を祈りたい」と思ったことを実現すべく、周囲からの静かな圧を感じながらも、勇気をだし、管理を任された粗放地の一角にまいたのだった。
5月にまいた小豆は、去年の今頃、近隣の農産物直売所で買った小
作品であり、看板であり、お店でもある
わたしたち夫婦は、「固定店舗は(あえて)持たない飲食業のカタチを」と、試行錯誤しながら、とぼとぼ歩んできた。
主人こそ「料理すること」が彼の全てを昇華させた表現手段であるわけだけど、わたし自身は、なにぶん「料理以外」の部分で、わたしの中にある「美意識」を小出しに結晶化させて、要所要所にちりばめて日々事業継続を図っている。
固定店舗を営む、ということは、その道に片足を突っ込んだ人なら誰でもわかる
人を愉しませる、ハッとする色づかい
2023年のわたしのチャレンジは、ユーモアと色彩。
そう決めた、1月末の今。
これまで苦手としてきた分野だったけれど、「現状の突破口」はここしかないと思えている。
放っておいてもついつい滲み出てしまう「真面目」はそのまま置いておいて、表向きの「見た目」「感触」の部分には「ユーモアと色彩」を。
年始から今までの4週間。
予定して会う人が居る場合、「新調した、よそゆきのコート」を「やりすぎ」の
今、生きていることの実感を
惣菜屋なのに路上ゲリラライブみたいなことをしていた時、まだ見えぬお客様を待ちながら、太陽が沈む瞬間をじっくり見守ることが多かった。
朝が来て、昼があって、夜になる。
寒かったのが、暑くなって、また寒くなる。
植物が日頃から生き様としてやっていることそのままに、人間のわたしもまた、日の光にコントロールされている、と実感していた。
所詮、生物。ただ、偶然今、生かされているだけなんだな、と。
そ
民藝、その愛。そして庶民の暮らしを取り戻す
常に、本物に囲まれていたい。
偽物ではなく、本物。
その思いが年々と強くなる。
若い頃から憧れを抱いていた暮らしや日用品は全て、「民藝」と呼ばれるものたちだったのだ、とボヤッとした焦点が定まったのが、最近だった。
新建材に囲まれた生活は、わたしにとっては快適とは程遠く、隙間風に悩まされるくらいがちょうどよかったんだと、人生折り返し地点で常々思う。
高度経済成長以降、庶民には「安価」な「大量
途方に暮れながら、歩む
改めて、自覚・不自覚の刃で大切なひとを傷つけてしまうことに、今更ながら怖気付いている。
直情的な出来事を引き起こしがちなわたしが、とても大切な人を本当に傷つけてしまったということ。困らせてしまったということ。
それを改めて感じて、己の至らなさに、呆れ果てる。
「人の気持ちを思いはかること」
「ゆっくり人を待つこと」
よりも、己の直感の実現を、急ぎすぎるきらいがある。ずっと自分の中で反芻して
散り落ちて なお美しく 在る紅葉
これは、年々、写真の腕をメキメキ上げている友人撮影の一コマ。
黄色味がかった苔の色と対照的な赤。そして一枚だけの黄色。
細い葉柄が描く微妙な曲線に、見てはいけないものを見てしまったような艶かしさすら覚える。
花鳥風月がもたらす「ハッとする経験」が、わたしたちの奥深いところに刷り込まれ、蓄積されて、溜まりに溜まってくると「表現の衝動」が起きる、と最近、つくづく思う。
誰かの猿真似でもなく、
誰