民藝、その愛。そして庶民の暮らしを取り戻す
常に、本物に囲まれていたい。
偽物ではなく、本物。
その思いが年々と強くなる。
若い頃から憧れを抱いていた暮らしや日用品は全て、「民藝」と呼ばれるものたちだったのだ、とボヤッとした焦点が定まったのが、最近だった。
新建材に囲まれた生活は、わたしにとっては快適とは程遠く、隙間風に悩まされるくらいがちょうどよかったんだと、人生折り返し地点で常々思う。
高度経済成長以降、庶民には「安価」な「大量生産品」をあてがっておけばいい、という考えがベースの「敏腕」経営者が多数派となってしまったこの国。
庶民自ら尊厳を見失って、「安い買い物」は「善きこと」と捉える消費者が多数派となってしまったこの国。
こだわりのモノづくりは、「商売」のルートに乗せると、ほとんどが「富裕層」のために、となってしまった。
もちろん「作り手」本人だって、霞を食って生活などできないし、物欲を持ち続ける限り、「高尚な趣味」を自認したい金持ちのご機嫌や顔色を伺いながら作りつづけることになる。
個人に寄り添うのは、大量生産でも規格でもないはずなのに。
わたしたちは、不器用ながら、庶民であり続けたい。
作る庶民であり、使う庶民であり、売る庶民であり、買う庶民であり。
先日の新年の集いにおいて、志を同じくするMとしばしの立ち話。
庶民の庶民による庶民のための飲食を。
時代や社会に抗いながらも、わたしたちの目の色が黒いうちは、最後まで尊厳を失わないでいよう、と心の中でじっと決意表明す。
これまで霞んでいた景色が、自営業に片足突っ込んで以降、年々すっきり見えてきたのをいいことに、今年もコツコツと歩んでいきたい。
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