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鶏供養

経営判断により「秘伝のたれカツ」をお店の名物商品として全面に出すことにしてから、作り手である料理人主人が、「鶏供養」を願うようになった。

毎度生きた鶏を〆ることはしていなくとも、肉屋さんの手で「精肉」となった鶏を何羽分も包丁で切る行為を繰り返すうちに、苦しい気持ちを抱くようになったそうだ。

売りたいから、売れるから、欲しがっていただけるから、とより多くの鶏を調理するようになると、その人間の欲の身勝手さに、自分も加担していることの心苦しさに、いたたまれないと。

わたしは、「肉の塊となってしまった精肉に対して行う調理行為により、鶏の命を人の命のかたちに繋いでくれている」のが料理人だとおもうし、何より「美味しい」と喜んで食べてくれる人がたくさん居るのだから、なにも苦しまなくてもよいではないか、と思っていたのだが、それは大量調理行為を一切しないわたしの「自己都合優先なあたまでっかちな考え」であることも理解していた。

なので、包丁仕事をする料理人主人の想いは時間はかかっても必ず成就させよう、とこの2年ほどの間、頭の片隅に置きながら日々を過ごしていた。

そして、ついにこの夏。

福岡の香椎宮にある鶏石神社を訪ねた。
九州の養鶏業者の方も参拝する神社とのことで、夫婦の宮とも言われる「香椎宮」の中にある小さな神社だ。

わたしたち二人が出会って19回目の夏。
お店を開いて6回目の夏。

夫婦の宮、鶏石神社、ともに参拝できたことはとても幸せだった。
そして、これまで一体何羽分の若鶏に包丁を入れてきたかはわからないけれど、拝むことで、主人がこれまで抱いてきた苦しみが、少しでも安らかになったのなら、よかった。


※以下の香椎宮のポスターはキッチンカー内で目に付くところに貼ってあります。このメッセージにわたしたちはとても共感しています。


画像は香椎宮HPより引用(上記は当店掲示中のポスターです)


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