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小豆とともにこの1年

ことし、生まれて初めて「小豆」をまいた。

小豆が好きすぎて、その愛おしい豆の素性が知りた過ぎて、そしてことしの正月、心に抱いた「来年の正月こそ、自前の小豆でおしるこをつくって、その幸福をわかちあい、一年の幸を祈りたい」と思ったことを実現すべく、周囲からの静かな圧を感じながらも、勇気をだし、管理を任された粗放地の一角にまいたのだった。

5月にまいた小豆は、去年の今頃、近隣の農産物直売所で買った小豆。どんな品種かもわからないけれど、地元の方が出荷するのだから、この地域の気候にあってるものなんだろうな、としてまいてみた。

まいてわかったのは、なんと晩生の小豆で晩秋に収穫期を迎えるもので、夏に収穫期がある早生ではなかったこと。

待てど暮らせど、つるばかり伸びて、花が咲かないしさやがつかない様子に、やきもきしながらまつこと半年。

いつのまに花が咲いていたのか、気づいたときはたくさんの「さや」が鈴なりに。はじめてまともにみる「さや」はまるで見慣れたいんげん豆で、試しに青いうちに採って茹でて食べるも、あまり美味しくない。いんげん豆に限りなくにてるけどまったく違うことがよくわかった。

5月11日、3列まく。
5月21日、すべて芽が出る。
5月26日、来年のまき時期検討のため、もう2列まく。
7月4日、先の3列分を土寄せ。
7月23日、あとの2列分を土寄せ。

生育期間は基本ほったらかし。
もじゃもじゃつるが伸び、大地の天パー状態。

花からにじみ出る蜜がほしくてアリが行列をつくっていたり、やたら細長いカメムシがついてみたり、黄色い花を好むシジミチョウが舞っていたり、いろんな虫たちが入れ代わり立ち代わりやってきては、小豆の葉っぱなり、花なり、茎なりで、その瞬間の生を全うしていた。

10月6日、初収穫。茶色くなったさやをみつけては、一個ずつバケツへ。
その後11月半ばまで、日々ルーティンにて、さやを収穫。

採れども採れども見つかる「茶色いさや」に、
豆という植物の生命力、繁殖力につくづく驚きを隠せなかった。

そして、古代の日本でも栽培されていたという「小豆」。

あずきバーでおなじみの老舗、井村屋のHPには、「小豆の赤い色が、太陽や火、血といった「生命」を象徴すると考えられ、呪術的(じゅじゅつてき)な力を持った特別な食材」であったと書かれているが、土にまくことから始めると、確かにそれを実感する。

耕した土色の中に、赤い色の粒がぽとりと落ちている、という光景は、まるで鮮血のようにも見えたし、赤く光る「ルビー」のようにも見えたし、自然にはありえない「異質なもの」に見えた。

その後、ただただ、すくすくと育つ小豆の姿を日々まのあたりにしながら、豆もそうなら子どももそうだ。「あの小さな粒が各々育つ力をもっている」のだから、わたしなぞ、それを見守り、またときどき手助けするだけでいいんだな、と、子育て人生訓のようなものを思いついたりもしていた。

そして収穫。
毎日見回っては、「収穫どきのサイン」を送るさやのみを回収し、洗濯ネットにいれて干しておく。単純作業ながら、一日たりともサボれない緊張感。(一日サボると翌日の大量回収作業が待っている)「マメな人」ってこういうことをやりのけることなんだろうな、と、「小豆」が自給作物として作られなくなっていった経緯に思いを馳せる。

さらに分別。
洗濯ネットをガシガシして、さやから脱粒させた小豆。もちろん虫食いも多数で、生育過程でうまく大きくなれなかったものも多数。どうやってより分けよう、と思案していたら、物置小屋から先々代がつかっていたという「ザルやかご類」が見つかる。

手が空いたタイミングを見計らい(あるいは単純作業で気分転換したいときに)ひたすら分別。

大きさもバラバラ。
色艶いいの、わるいの、いろいろ。

これ、絶対、効率的に、合理的にやりたくなっちゃうよね、発明したくなっちゃうよね、と技術開発に走る人間の心理も、分別作業をしながら想像できた。

一方で、わたしが「ちまちま」と作業していると、傍らに子どもがやってくる。本人とっては「遊びの延長線上」で、分別作業に加わる。あーだこーだいいながら、10分くらいは一緒にやれただろうか。

「飽きた」「疲れた」と言って、どこかに去る。
去っては、また様子を見に近づいてくる。作業をしながらあれこれ雑談する。手先と目を使う単純作業だから、全集中する必要はなく、聴覚は宙ぶらりんだから、(わたしがあまり得意でない)並行コミュニケーションが図れるのだ。

そのむかしは、こうして、すべての手作業があって、家の中で、衣・食・住すべての要素を複雑にからませながら、人間は日々を生きてたのかなと、生育期間中のもじゃもじゃ繁茂の周辺に見た虫たちとおんなじだったはずの暮らしが、とても尊いものに思えた。

思い切ってまいてよかった、小豆を。

この師走、選別が無事に済んだ小豆を、こんどのお正月。そして節分の時期に、必ずおしるこにしよう。

皆に幸あれ、願いを込めて。

基本的な違いを認めあい、それでも同じ食べものを口にしながら「美味しさ」を分かち合える社会に。同じ「うた」を口ずさみ、宗教や立場、すべてを尊重しながらお互いに肩を組み合える世界に。

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