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作品であり、看板であり、お店でもある

わたしたち夫婦は、「固定店舗は(あえて)持たない飲食業のカタチを」と、試行錯誤しながら、とぼとぼ歩んできた。

主人こそ「料理すること」が彼の全てを昇華させた表現手段であるわけだけど、わたし自身は、なにぶん「料理以外」の部分で、わたしの中にある「美意識」を小出しに結晶化させて、要所要所にちりばめて日々事業継続を図っている。

固定店舗を営む、ということは、その道に片足を突っ込んだ人なら誰でもわかることだけれど「資本力」がない限り「事業継続のハードル」が非常に高い。

飲食業は、それでも「日銭」を稼げるから、とか、「食べる」には事欠かない(餓死というのはありえない)と言われるけれど、原材料の仕入れには当然費用がかかるし、それが売れるなんて確定もない中で、労力をかけて仕込みして、それでも神様にそっぽを向かれることは、日常茶飯事だ。

共通の趣味嗜好を持つ人々の溜まり場として機能する固定店舗は、社会から必要とされるけれど、わたしたち自身が若い頃から今に至るまで、「つるまないタイプ」のため、「心にもないこと」は到底できない。

社会の荒波に、煩雑さ極まる日常に揉まれて疲れがちな個人に対し、「思い立った時にほっと休める、止まり木」として機能できればいいな、という願いだけは常にあるけれど。

それはまだ、「虚空に放つ」ただの「遠吠え」にすぎないかもしれないけれど。


豊富な言語を持たない主人にとっては、他人とつながる唯一の手段でもあるといえる「料理」。

わたしは、唯一無二の「主人の料理」を、どうやったら大衆の中に埋もれた「あなた」に届けることができるか、つなげることができるかを、工夫し続けるマネージャー。

飛躍の年の卯年。

敬愛するデザイナーさんと生み出した「表現」が大衆の中に埋もれた「あなた」に刺さることを信じて、動くしかない。

届け!まだ会えぬ「あなた」に。

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