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そこに在りつづけるために

2024年も終わった。
「夏は夜」を貫く2年目の夏が。

出店という営業スタイルを選んだ故に、固定の飲食店とはちょっと異なる働き方がまかり通っているわが「動く料理屋」。

日が落ちたタイミングで、動く店舗の灯りをともす。風景と一体化したわたしたちのことを見て見ぬふりになる街の中にあって、それでも、灯りを目指してやってきてくださる「あなた」のために、じっと待つ。

先日の最後の夜営業の日。
この夏、初めて当店で一品料理を召し上がってくださった方が、改めてお連れ様とともに現れ、たくさん飲食を楽しんでくださった。政令指定都市の街中で出店するようになり1年。何時まで経っても、来店されるお客さまが少ないわたしたちに「気を落とさず続けろよ、続けられたものが勝者だぞ」と、はっきりとおっしゃったわけではないけれど、そんなふうにエールを送られたような気がした。

料理する夫とともに、ときに先導し、ときに後ろをトボトボ歩きながら、社会との仲介を行うわたし。

ずっと答えはないし、今もない。たぶんこれからもない。
忙しい?と誰かに問われれば、ぼちぼち、としか答えられないし、だからといって暇を持て余しているわけでもない。

年々、わたしたちの「仕事ぶり」に期待くださる方が、少しずつ増えているような実感があるけれど、それでも数年前にしばしばお付き合いいただいていた方は疎遠となってしまったりして、結局はどっこいどっこい。

お客さまにとって「わたしたちのお店」は、気付かない間に忘れ去られると同時に、ほんの些細な出来事を契機に、パッと恋が燃え上がるようでもある。

「食べものを作り、食べてもらうこと」なんて、いくらでも商売にするひとは居るわけで、なにも「わたしたちが(あらゆるタイミングで無理をして)命がけでやる必要もないじゃないの」と割り切るようになってから、自然と露出が減った。闇雲に、「商売のマニュアル」「商売の前例」を一生懸命なぞろうともがいていた頃は、幾日も眠れない日が続いていたけれど、今は十分睡眠時間がとれている。

当然のことながら依頼を受ける回数は減ったけれど、「モノ・サービス」の提供と対価としての「金銭的報酬」が生じる「商い」だけに生きていなくて、ただ自分の天分に従って「生きること」も常に同時並行で進行中のため、日々は非常に充実している。

経営者としては「いつだって商売繁盛」を夢見るけれど、人にバイオリズムがあるように、季節に巡りがあるように、日によっても強くなにかを引き寄せる日とそうでない日があるようで、お店の在りようだって、日によって、月によって、年によって変わるものだ、とおもう。

「最低限かつ最大限の目標設定」とも言える、「事業継続」。
「そこに在り続けるため」には、運転資金が必要。運転資金には、仕入れ費用と管理費用が色々必要。なんとか、来年の春分の日まで事業が頓挫しないよう、この秋冬の仕事が肝要。

近隣で日々生きている皆さまの年間ルーティンの中に、私たちがカチッとおさまることができたら、幸いです。

いつも、ありがとうございます。

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