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KIGO
2021年5月16日 23:51
植物が這っている建物が好きだ。最近は人口緑化を取り入れた施設やビル群も見かけるが、自然な生命活動には、より心惹かれる。東京でも、少し住宅地へ入り込めば、怪しいくらい緑を纏った民家と出逢えたりもする。そして、その写真を撮っている人物がいるとすれば、私はその一人である。細い手足が、器用に凹凸を捕まえている。よくよく観察すれば植物とは、毛が生えていたり、湿度があったり、大変に有機的なのだ。度を越し
2021年5月9日 22:16
葉桜の月に笛吹く畳かな原石鼎週末の写真を少し。緑の季節になりました。
2021年5月8日 12:11
平安時代以降の詩歌の中で、「花」と言えば「桜の花」のことを指す。「余花」とは、山間部や北国で見られる遅咲きの桜のことで、「若葉の花」と同様に夏の季語になるのだ。こんな時期に、こんなところで再び会えるとは。余花に逢ふ再び逢ひし人のごと高浜虚子余花(よか)******立夏前、四月の写真になるのですが、桜リバイバル。こちら岐阜の飛騨の方に出かけましたら、富山よりも1、2週ばかり桜
2021年5月6日 20:18
立夏、暦の上では夏の到来だ。先日、藤を見た。大きく垂れ下がる立派な藤。かの有名なガウディのサクラダファミリアは、上下にひっくり返したワイヤーで模型を作り、荷重や構造をみていたそうだ。この藤も、もしや逆さに立ち上がるのかも。匂い立つ。頭上の立夏、藤の城。立夏(りっか)******写真を撮ろうと近付けば、大勢の熊蜂にめちゃくちゃ縄張り争いされた。小学校の通学路付近。こち
2021年5月5日 15:33
みなさん、こんにちは。KIGOです。お久しぶり?でもないか。本日は、端午の節句、こどもの日ですね。久しぶりに長く実家に帰っておりました。でも一人暮らしに慣れると、一人の時間がないのはストレスだったりして。昨日アパートへ帰ってきて、ようやく日常に戻ってきた感じ。人間落ちると早いもので、最近は毎日、物語を紡ぐのがちょっと難しくなっておりました。それでも、季語をきっかけに文章を書くことは、度々私
2021年4月28日 22:12
「今年は、部屋に春が来なかった」春の終わり、暮春(ぼしゅん)。写真は桜が散る頃なので晩春とは言えないのかも知れないが、暮れ往く春に想いを寄せる小噺をひとつ。今の部屋に越してきて、これで六年目の春を迎えた。玄関ドアの目の前は小学校で、境界にちらほら桜が植わり、そのすぐ向こうには教室が並んでいた。通勤の頃になると、朝の合唱が聞こえてきて、いや正確には聞こえ始めるとそろそろ家を出る時刻が迫って
2021年4月24日 23:11
鞦韆(しゅうせん)とは、ぶらんこのことである。私にとっての思い出のぶらんこは二つあった。一つは学童期を過ごした地元にある、町役場の公園にあったぶらんこだ。棒状のチェーンで出来た、繋ぎ目に腕を挟まれると痛いやつ。手なんかすぐ錆の匂いが付いたりして、それでもそのぶらんこは皆に人気の遊具であった。立漕ぎや二人乗りもそこで覚えたし、靴を飛ばしたり、いかに遠くまで飛び降りるかを競ったりなんて、やんち
2021年3月27日 23:37
春夕焼(はるゆやけ)。季語だからか、「ゆうやけ」ではなく「ゆやけ」と呼ぶ。はるゆやけ。茜色、鴇色、桃色、うすぼんやりと滲む空。とぷん。ぷくりと小さな泡を立ててカクテルの海に包まれる。リュックの中でぶつかったドロップで色付く空を瞳でなぞる。足を一歩、ちょっと遠くに踏み出せば軽やかに音が飛んだ。春夕焼(はるゆやけ)******お散歩してきたよ。……あと、毎日