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現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【10・最終回】終わりなき宣言文
著者・若林拓哉
第一回の「宣言なき宣言文」に始まり、その後八回にわたって現代的な問いのキーワードを挙げてきた。今回は第十回の節目として、これまでの総括としたい。
―私は建築を愛し、建築家を嫌悪する。
第一回の冒頭で私はこう述べた❖1。それでもなお、肩書きとして建築家を名乗り続けている。建築家が社会から断絶している現実は、建築界全体が向き合わなくてはならない課題である。そのためには、外野か
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【9】〈境域〉の只中を航海せよ ―暴力、群衆、アイデンティティを超えて
著者・若林拓哉
―現代建築家は、〈境域〉によって逃走する人間に〈闘技〉の場を拓く。
〈現代建築家〉は、〈贈与〉の連帯によって他者と正の連鎖を生むことを希求するものである。そこでは〈歓待〉の精神こそが不可欠となる。一方で、私たちの社会は常に敵対性と隣り合わせにある。この他者との闘争を
前提として、その事実に立ち向かわなければならない。そこで第八回の終わりに現代的な問いのキーワードの一つとして〈
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【8】〈互酬性〉は〈贈与〉と〈交換〉でできている
著者・若林拓哉
―現代建築家は、〈互酬性〉の連帯によって他者を〈歓待〉する。
〈現代建築家〉は、「魔術化」された事物を〈分解〉によって〈発酵〉させることでその事物を身体化するとともに、無為の連鎖を生み出しうるプラットフォームとしての役割を果たすことが求められる。そして分断が進行する社会との連関を築くための別様な価値基準を導入する必要がある。そこで〈互酬性 reciprocity〉を提示して幕
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【7】〈分解〉と〈発酵〉 ― 〈疎外〉された事物の内部化と他者性の連鎖
建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。
*『建築ジャーナル』2020年10月号からの転載です。
著者・若林拓哉
―現代建築家は、「魔術化」された事物を〈分解〉によって〈発酵〉させる。
〈現代建築家〉は、複数種とその生態系を自己の身体の延長として捉え、それらの他者をどのように食べ、また食べられるかとい
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【6】私たちは〈可食性〉を咀嚼し、 反芻する動物である
建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。
*『建築ジャーナル』2020年6月号からの転載です。
著者・若林拓哉
〈現代建築家〉は、無数に存在する「正しさ」を可能なかぎり摂取しながら「誤り」を享受する存在である。そしてそれは他者を「食べる」存在でありながら自己もまた「食べられる」存在だと認識することへつなが
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【5】〈可謬性〉の海を漂うことは 〈誤配〉に身を任せることであり、 それは〈偶然性〉の暗闇で迷うことであり、 それは無数の〈模倣〉の連鎖であり、……
建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。
*『建築ジャーナル』2020年3月号からの転載です。
第5回 〈可謬性〉の海を漂うことは〈誤配〉に身を任せることであり、それは〈偶然性〉の暗闇で迷うことであり、それは無数の〈模倣〉の連鎖であり、……著者・若林拓哉
〈現代建築家〉は、多角的なパースペクティヴの揺れ動
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【4】ぶきみなきみをきみはわらう
建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。
*『建築ジャーナル』2019年12月号からの転載です。
第四回 ぶきみなきみをきみはわらう著者・若林拓哉
――現代建築家は、〈不気味さ〉を懐抱することで「生」を解放する。
〈現代建築家〉は、善悪の価値判断を越え、「生」と「死」の狭間を見つめ、自己の境界を無限遠へ
現代建築家宣言 Contemporary Architects Manifesto【3】人類、崇高さ、死 ―表象不可能性の先へ投擲せよ―
建築界のこの底知れぬ閉塞感と、夢のなさを肌身で実感する平成生まれの
20代建築家が、それでも建築に希望を見いだす術を模索した痕跡。
*『建築ジャーナル』2019年9月号からの転載です。
第三回 人類、崇高さ、死 ―表象不可能性の先へ投擲せよ―著者・若林拓哉
――現代建築家は、〈崇高さ〉によって人間中心主義を超克する。
〈現代建築家〉は個人的性質を可能な限りつぶさに見つめ、それらを具体的に
BFF ベタ・フラッシュ・フォワード[8]鈴木哲生 グラフィック・デザイナ【366文字目の質感】
*『建築ジャーナル』2019年8月号の転載です。
誌面デザイン 鈴木一誌デザイン/下田麻亜也
誰にもわかるような簡単な問いでも
素直に答えたくない
難しい問題からとっかかる程
余裕ないのに
作詞 つんく♂
田中れいな 《Rockの定義》より
グラフィック・デザイナの鈴木哲生はレタリングを専門とする。レタリングとは一単語、一見出し、一タイトルのデザインを、タイポグラフィとは一連の文章、つま
あいちトリエンナーレ2019の閉ざされた展示室 -増大する不寛容-
五十嵐太郎|東北大学大学院工学研究科教授
あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」展が、開幕3日目で閉鎖に追い込まれた。特定のイメージだけに反応した否定的な論調のほとんどが、作品の背景や展示のシステムをまったく理解しないまま、電凸と驚異的な数の脅迫を引き起こした。そこで以下に基本的な説明をしよう。まず、これは展覧会内のミニ展覧会であり、全部で100くらいある芸術祭の企画の一部分で
居住の夢 第19話 「林・富田邸/ハイムM1」 工業化住宅の住みこなし |竹内孝治@take_housing
◎420万戸とも言われた住宅不足解消から始まり、より人間的な住まいを求めてさまざまな試みがなされていった戦後の住宅ムーブメントを年代順に追うシリーズ。(過去の連載は→こちら)
◎第19回は、先進的な工業化住宅を見事に住みこなしてみせた「林・富田邸」。住宅はこんなにも自由なのだ。波及効果は、周囲の庭、さらにはまちにまで及ぶ。
*『建築ジャーナル』2019年7月号 に掲載した記事に大幅加筆したもの