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BFF ベタ・フラッシュ・フォワード[7] ハラサオリ ダンサー/美術家 【分身のアフォーダンス】

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*『建築ジャーナル』2019年7月号の転載です。 
 誌面デザイン 鈴木一誌デザイン/下田麻亜也 

何度も見たことのある映画を再生する。三輪車に乗った少年はホテルの廊下をこぎ回る。右に曲がり、左に曲がり、そして突き当たりでいつものように双子に出会う。1時間後には、吹雪の中で迷路をさ迷い、抜け道を跨ぎ、外へと出ていく。彼の脱出とともに映画はまたしても終わる。氷漬けの父親は、映画の再生を待つ間に溶けて復活するのだろう。データとしては変質のない繰り返しだが、幾度も見るうちに私たちは「こうなっていたら」という可能性を想像するようになる。あの角で右ではなく左に曲がっていたら?
 こうして映画は、私たちの内に繰り返しの分だけ、ありえた世界を蓄積し続ける。

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 舞台でも、同じ作品は幾度も再演される。映画と同様、鑑賞者である私たちもいつも同じではないし、役者たちもまた都度同じ演技を繰り返すため、全くの再演とはありえないのだ。それでも私たちは、映画や舞台を見続ける。この繰り返されるものへの希求は、かつては宗教における不老不死や輪廻転生のモチーフへつながっていた。あまりにifの多い現代において、これは「これしかないのだ」という絶対性への希望として言い換えられる。しかし劇場ではその絶対には到達できないことが、逆説的に明らかになる。

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